皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

花日記~水無月

2022-06-26 22:53:10 | 日記

今月六日の梅雨入りから三週間。はじめの十日ほど連日の梅雨もうようだったのが一転、ここ四五日厳しい暑さが続いています。水無月の四十度越えは観測史上初めて(伊勢崎)ということで昨日ニュースの話題も持ちきりでした。

紫陽花、朝顔が暑さで元気がないのをよそに、城跡脇の向日葵が一輪たくましくも花を咲かせています。夏を前にと驚きつつ、すでに夏至を過ぎましたので梅雨前線が北上すれば夏本番です。ややあまりの暑さに身体がついていかない気がしてなりません。

「夏を待ちきれなくて」
そんな思いを一輪の向日葵に感じています。
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肉巻きおにぎり

2022-06-17 06:41:49 | 日記

昨日今日と中学校は各部活の地区大会が行われています。我が家の長男はテニス部の二年生。外部委託が進めようとされるなかで、昔とからさわらぬ顧問の先生による熱血指導を受けています。

初日の個人戦は三回戦敗退となり、目標としていた県大会への道は開かれませんでしたが、三年生相手に粘りあるゲームを展開したようです。今日ば団体戦が行われます。
給食がありませんので早朝五時前からお弁当づくりをしてもらいます。お握りが好きだということで、味付けの肉巻きおにぎりを詰めたようです。
物価高、インフレ、エネルギー価格上昇と不安な社会情勢が、続きますがこうした日常のでのお弁当が子供の記憶にのこり、日々の生活を大事に成長していくことを願います。先行きの見えない日本の未来を彼らのスポーツで培った前向きな精神で切り開いていく時は必ず来るでしょう。それまで私たち世代が頑張らなくてはいけませんが。

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杖ことばと共に歩む

2022-06-11 23:50:07 | 心は言葉に包まれて

先日木暮桂先生と植えた蓮の葉が小さいながらも青々と水に浮かび出しました。まさにいのちの息吹。梅雨空の下、多く参拝者の皆さま方に蓮の成長を愛でていただけたらこれほどの喜びはありません。

泥に咲き泥染まらぬ蓮の花
木暮照子先生に教えていただいた言の葉にはその優しくも凛とした生き方が感じられました。

高太寺の蓮は大きくその葉を広げていました。
毎日流されるように、それでいて日々懸命に生きているつもりでいますが、時には誰かの助けが必要なときが必ず来るはずです。現にいま心身を休めるように指導されています。
杖ことば
座右の銘という響きより、人に寄り添う感じで非常に好きなことばです。
よき人生は 日々の丹精にある
 一日一生 今日という一日を仕上げて参る

また明日もよい一日となりますように
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チーズはどこへ消えた~その①

2022-06-09 22:42:17 | 先人の教えに導かれ

早い時期に小さな変化に気づけばやがて訪れる大きな変化にうまく対応できる
変化は災難に見えても結局は天の恵みだった。
つかい古された言葉のようだが、この三十年自分が環境の変化に気付きながら先伸ばしにしていたようだ。変化はすでに十分起きている。
災難と受けとるか天の恵みとするかは自分が環境を変えるか環境に合わせて変わるしかないのだろう。
初版からすでに23年。当時社会人五年目ほどだっただろうか。いまだに同じような仕事を同じような場所でしがみついてこなしている。でももしそこが螺旋階段であるならば、かなりの高みまで登っている事になる。
見える景色を楽しんでいるだろうか。
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加須市南大桑 瘤神様

2022-06-08 22:00:33 | 神社と歴史

加須市南大桑には利根川の旧堤がいくつか残っていて、この地が古利根川(中川」)の流れに沿って水の恵みと水害に悩まされてきたことが伝えられている。先述の雷電神社がその堤の上に建つ目印で、近隣は今でも多くの田んぼと共に、開発のため工業団地が広がっている。
工業団地の中にはこんもりとした小さな森があってその中に「瘤様」と呼ばれる不思議な伝承が残る木が茂っている。


その昔特殊な力を持ったお坊様がいて雨降りの予言をしたり、鳥の言葉がわかったりしたそうだ。
ある時お坊様は旧堤に立つ古木を見つめると、その木は瘤のついたソロの木だった。

これは珍しい瘤の木だ私が祈って世の人々を救おう」とお坊様は言った。一心に祈りを捧げると神の木として祀られるようになった。以来この木に祈ればどんな病も治るといわれた。評判は響き渡り、近郷からこの木を訪ね手を合わせる人々が後を絶たなかったという。

願いが叶うという伝承は人づてに残るように感じる。特に病を治すという霊験は人の生への強い願いから人から人へと伝わるのではないか。高鳥邦仁先生の著書を読み、何度か周辺を探してから三年近く経っても見つからずあきらめていたところ、たまたま時間があり周辺を再度周り巡っていたところ瘤様にお参りできた次第だ。時は過ぎても人の思いは残る。そう思わずにはいられない梅雨入り前日の初夏の日差しに照らされた出来事だった。

引用文献「古利根川奇譚」高鳥邦仁先生
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