皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

旧大里村 玉作八幡神社

2025-03-15 20:21:48 | 神社と歴史

旧大里村玉作の地名は古代勾玉や管珠が製作された場所で、近くには船木遺跡からの出土品として見られる。往古玉造部が住んでいたと考えられており、近くを流れる荒川支流和田吉野川の治水に苦心してきた。

現在玉作水門が建てられその治水の役を果たしているが、荒川流域の氾濫は古くから地域を悩ませていて、この八幡神社の社殿も水害を避けるために水塚の上に建てられている。

『郡村誌』の記述によれば往古は「玉作神社」と記されていて古代の玉造部が信奉した神社ではないかと思われる。玉造神社から八幡神社へと改称した時期や理由は明らかではないが地内にある玉泉寺は源頼朝の弟、源範頼が創建した慈眼院を再興したものとの伝承があることから源氏の台頭にともなって八幡神社となったものと推測される。御祭神の誉田別命は戦の神とされ、戦時下では出兵兵士の武運を祈る八幡参りが盛んにおこなわれたという。大戦後現代となってそうした信仰から五穀豊穣や家内安全が主に祈願されるようになっている。

境内末社の石碑がしっかりと祀られていて、過疎化に伴う氏子の減少からか、境内の見回りも警察のパトロールに頼るところも見られる。

一方境内地脇には広々とした敷地にたくさんの桜が植樹されており、氏子の神社に対する思いが伺われる。植樹20年前後のものが多く、幹も枝もまだ若々しさが残っている。もししばらくすれば美しい桜の花が咲き誇るのだろう。

 

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一節気 立春

2025-02-11 21:11:10 | 生活

日本海側の大雪のニュースが伝えられていますが、最強寒波と呼ばれる低気圧もやや弱まり、雪解けの気温となるようです。暦の上では今年は二月三日が立春でした。四年ほど前に125年ぶりの春節分が2月2日になって以来、今後は春の節分が二日になったり三日になったりするようですね。旧暦では立春に近い新月の日を元日としていたそうです。寒が明けて少しづつ春の兆しが見え始め、一年のスタートにふさわしい季節です。

立春の日にその年の恵方(今年は西南西)の井戸から汲んだ水は「若水」と呼ばれ一年の邪気を祓う神聖な水と信じられてきたそうです。のちに元旦早朝の組み水になり、神棚にお供えして飲食に使う風習が残されるようになりました。

今では恵方といえば太巻き寿司ですが、巻きずしを食す風習はそれほど古いものではないようです。商魂はなはだしいところではありますが、今ではすっかり立春前の行事となっています。

春の語源は様々ですが万物が「発る」だとか草木の芽が「張る」天候が「晴る」など命の芽吹きを感じるところです。ではなぜ厳冬の時季に「春立つ」のでしょうか。

古来中国では陰陽五行の思想から「陽極まって陰に転じ、陰極まって陽に転ず」と考えられてきました。

寒さも極まると暖かさに転じる

寒の極みこそ春の始まりだと昔の人は感じ取ったのです。

 

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本丸郵便局にて

2025-02-06 19:47:36 | 日記

花手水のきれいな本丸郵便局まできました。
忍城の本丸が地名となって、郵便局までその名がついています。我が家から一番近い郵便局で私も子供の頃から利用しています。

郵便局の前の道は忍中学校の通学路で、子供たちも毎日この局の前を歩いて学校まで通いました。私が中学生の頃は浮城通り(旧国道125号沿いにあって、東照宮と横並びだったことをよく覚えています。駐車場の確保のため、二十年ほど前に移転したと思います。(30年前かもしれません)
年賀状仕舞いをする方が増えましたが、私は手紙文化が好き。ですのでできる限り年賀状出したいと思っています。今年のお年玉は切手シート4枚でした。いただいた年賀状が60枚ほどですので、高確率で当選しています。

本丸の名もいつしか忘れられてしまうかもしれません。民営化以降郵便局もその役割を他業者に侵食され続けています。
いま忍の町を彩る花手水もいつしか忘れ去られてしまうかもしれません。すべては無常なのですから。
故にもののあわれを感じることを改めて思います。




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浅き川も深く渡れ

2025-01-21 21:25:31 | 先人の教えに導かれ

浅く見える川でも深い川だと思って慎重にわたりなさい。注意深く行動しなさいとの教え。

『石橋を叩いてわたる』の方がよく知られているようですが、冒険家の星野道夫氏が大事にしていた言葉だそうです。簡単そうになことでも油断せず気を引き締めて行動せよということでしょうか。

星野道夫さんは1952年生まれの写真家、冒険家。慶応大学卒在学中から探検部で活動。世界各地を旅し写真や紀行文を執筆している。

1996年TBSテレビ『どうぶつ奇想天外』での取材中ロシアのカムチャッカ半島滞在中テントで熊に襲われなくなっている。享年43歳。多くの写真集や随筆を残している。

浅き川も深く渡れ

凡事徹底に通じる時代を越えた素晴らしい言葉だと感じています。

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境内末社に愛宕神社がない理由

2025-01-13 21:38:20 |  久伊豆大雷神社


当社には明治の合祀政策によって三社の末社か境内に勧請されている。生駒、神明、天神の三社。それより以前に稲荷、風神の二社がその上座に摂社として祀られている。恐らく稲荷社は江戸期から、風神社については農耕祭祀として嵐よけを古くから行っていたことによるものと思われる。



末社の社殿の中に荒木地区から近衛歩兵の額が奉納されており、戦中の混乱期には多くの人が戦勝や帰還を祈願したことがうかがえる。
神社の数として最も多い八幡社が境内にないのは、実は地区内に合祀されず、個人のお宅で管理する八幡神社があるからだ。代々続く名家で明治期の合祀政策の際にも個人で社地を守ったことが伝えられる。

また火伏せの神愛宕神社は境内地ではなく、社家である私の家に勧請されている。

御幣の裏書には昭和六年の揮毫と祖父の名前が記されていて、本殿の上棟年と一致している。



恐らく竈門の神と共に神社境内地ではなく、自宅に軻遇突智命を祀り、代々氏神様とと家系を火伏せの神に守ってもらいたいと祈ったことだろう。



ロサンゼルスの山火事のニュースに心が痛む。どんなに社会が進歩しても暮らしの中で火の災いと恩恵を共に受けていることを忘れてはならない。






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