皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

城内整備は続く

2024-10-13 23:03:15 |  久伊豆大雷神社

十月も半ばを迎え、秋めいた日が続くと思えば気温が上がって夏日に戻ることも珍しくない。もはや四季の移り変わりはこれまでと同じ感覚で感じることはなくなるのかもしれない。まして今年は夏以降雨が多く、草と垣根の紅カナメの伸びが例年より早く感じる。刈れども刈れども延び放題だ。

鳥居回りと参道の垣根を刈り込むだけで半日かかっている。真夏日が続く日ではとてもできない作業だ。

これが刈り込み前

これで刈り込み後。

生け垣よりも石塀にすればどれ程楽になるかと思ったこともあるが、今ではこうした境内整備こそが生き甲斐となっているのだから年を重ねるとは面白いものだと思う。

周辺の田んぼの稲刈りも進んでいる。秋の間に年末年始の準備を始めなければならないと少し焦っている。

 

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草刈りの極意

2024-09-03 14:11:35 |  久伊豆大雷神社


台風の影響もあって今年は雨が多い。TVの情報によれば東京の8月までの降水量は年間平均降水量を既に超えるそうだ。
高温多湿になると人の動きは鈍るが草の伸びは早い。
境内地、特に社殿西側の土地は昔水路だったこともあり、気がつくと草丈も膝上を超えてしまう。こうなると除草剤だけでは間に合わず、一旦刈払い機を入れて短くしてから薬剤を撒いている。都会の神社でコンクリートで固めた敷地が羨ましく思う。

参道の土の部分もあっといふ間に草だらけとなり、除草の手間が常にかかる。

一方で時期遅れに撒いた朝顔の花が綺麗に咲いている。ここ5年ほど境内と自宅を別ける垣根に朝顔の種を撒いている。
朝顔に釣瓶とられてもらい水
手水舎周りに蓮を生けてからというもの、こうした自然の中にある水のありがたさを一層感じるようになった。

どんなに科学技術が発達し身の回りが便利になったとしても、生物の活動は自然に働きかけ何かを生み出すことでしかないらしい。
人間以外はその働きかけが、自然の循環システムの中に取り込まれ、連鎖することで多くの種を生み長い歴史を刻んで来たという。
人間の進化だけが、その過程で自然由来でないものを多く生み出し、その生態を崩していくのだとすれば、それはまた終わりの始まりでしかないのかもしれない。
全てコンクリートで固めた世界よりも、草が生え、蛙の寄り付く社がいい。いつしかまた自然に帰れるように。





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米騒動に見る価値と使用価値

2024-09-01 23:04:27 | 物と人の流れ

 

九月に入り北埼玉でも稲穂が実りつつある。すでに北川辺周辺では収穫を終え、検査も始まって近々流通するようになると伝え聞いている。

そうは言うものの多くの消費者が頼る大手食品スーパーの米売り場に米が並ばない状況が続いている。並んだとしても一度供給不足になっていると、即売してしまい常に売り場が空になってしまう。東日本大震災のあと特定商品が品切してしまったり、地震のあとペットボトルの水が品切してしまうのと同じ状況だ。国民の主食である米が流通不足になりながら『新米が出ると解消されるのお待ちください』とはよくいったものだと思う。これほど国民生活の脆弱な一面を感じることはそうはない。

資本主義である以上、いかなる商品でも価格メカニズムが働いて、『価格』が決まる。いわゆる需要と供給のバランスで社会全体が成り立っているということだ。どんなに収穫できても余ってしまうと価格が下がってしまうのでレタスやキャベツが産地で捨てられてしまう様子がよく写し出される。でも米はそれでは困るから1995年までは政府による全量買い上げが行われて来たが(食管法)米を生産者が直接消費者に売ることができるように食糧法として改正し30年が過ぎた。行き過ぎた減反政策や備蓄米の管理など様々な問題を抱えながらも、1993年の米不作移行米が手に入らないという事態は記憶にない。

食糧政策について提言できるほどの知識も経験もないが、ひとつ言えることは生産手段を持たない消費者は、その使用価値を求めるのに(米を食べて腹を満たす)、価値(すなわち価格)の決定権を持たないということ。

資本論で言う価値の対価として働き続けるしかないと言うこと。米が高いから小麦を食べましょうというのは、根本的問題を先送りにして、今日の空腹を満たそうということに他ならない。

消費者は米を大事にしてきたのだろうか。食べられなくなってはじめて気づく。新米が流通すればすべて忘れてしまうのだろうか。喉元過ぎれば熱さ忘れる。いつまでもそういうことが繰り返せるほど今の社会基盤は磐石ではない。

 

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落とし物が戻ってきて

2024-08-22 10:15:13 | 生活

先日長男の通う高校からメールが入り、学生証が警察に届けられているの取りにいくようにとのことでした。聞くと通学途中に落として気づかなかったそうです。実は今回二回目。中学校の学生証もおとしたことがあり、その時もここ熊谷警察署にから受け取っています。

昼時の休憩時間にもかかわらず対応していただき申し訳なく思いましたが、12時過ぎの警察署内はさすがに閑散としていました。私たち以外にも一組落とし物の受け取りにきていました。

一般的に日本では拾得物の返還率が非常に高いと言います。財布、携帯電話、などの資産価値のあるものほど実は高いようです。そこには困った時はお互い様という日本の伝統的価値観が反映されているといいます。

一方で被災地の空き家に窃盗が入るなど、実際には日本人の道徳が高いとは言えない側面もあるようです。

拾得物に関しては、日本の交番制度が大きく貢献しているといいます。例え小銭でも落とし物を届ければ社会規範に基づき(法的根拠もあり)、警察官(交番のおまわりさん)がしっかり対応する制度が確率しているためであるといいます。日本の交番制度が治安を維持する重要な役割を担うとして諸外国も見習っていることを聞いたことがあります。

小さな問題でもきちんと対処し、倫理観に基づき職務を遂行する制度。まさに『公(おおやけ))」の最後の砦となっているのでしょう。

 

 

それともうひとつ。集団では助け合うが、個人では道にそれる人の心理。

個と公。尊重すべきバランスを取ることは難しく、人間の永遠の課題のようです。

また取得物のお礼は不要とのことでしたが、秩父鉄道宛にお礼のメールを打ちました。

ぜひ公共の施設が安心して利用できる社会が続くことを願います。

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千代田の祭り 川せがき

2024-08-18 23:43:12 | 日記

ご縁あって現在群馬県大泉町まで通勤していますが、途中武蔵大橋(利根大堰)を渡ってしばらく通るのが群馬県千代田町。本日8月18日は千代田の祭り川せがきが開催されています。

19時過ぎから灯籠流しと読経が行われますが、行事の由来は明治初期まで遡ります。

赤岩村(現在の千代田町赤岩)の『かぶとや』という豆腐屋に倉吉という誠実な男が働いていましたが、利根川に投網打ちにいった時、誤って利根川に落ちて水死してしまいました。明治十年八月十八日のことでした。

この知らせを聞いた『かぶとや』の主人は早速赤岩の光恩寺の住職と相談し倉吉の霊を弔うため河瀬で供養したそうです。これが川せがきの始まりと伝わります(川せがき案内より引用)

近くで勤務していることからとても興味があり、今年はぜひ赤岩の渡しまでいって見ようと決めていました。お陰で供養の法要にお線香を揚げて帰ることができました。

今年から有料の観覧席の販売が始まりましたが、できれば誰でも楽しめる花火であってほしいと感じています。

自宅に買えって打ち上がる花火が見えます。自宅から川岸まで約10キロ。

八月に見る自宅からの花火もこれが最後でしょう。

夏もようやく終わりが見えてきたように感じます

 

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