旧大里村玉作の地名は古代勾玉や管珠が製作された場所で、近くには船木遺跡からの出土品として見られる。往古玉造部が住んでいたと考えられており、近くを流れる荒川支流和田吉野川の治水に苦心してきた。
現在玉作水門が建てられその治水の役を果たしているが、荒川流域の氾濫は古くから地域を悩ませていて、この八幡神社の社殿も水害を避けるために水塚の上に建てられている。
『郡村誌』の記述によれば往古は「玉作神社」と記されていて古代の玉造部が信奉した神社ではないかと思われる。玉造神社から八幡神社へと改称した時期や理由は明らかではないが地内にある玉泉寺は源頼朝の弟、源範頼が創建した慈眼院を再興したものとの伝承があることから源氏の台頭にともなって八幡神社となったものと推測される。御祭神の誉田別命は戦の神とされ、戦時下では出兵兵士の武運を祈る八幡参りが盛んにおこなわれたという。大戦後現代となってそうした信仰から五穀豊穣や家内安全が主に祈願されるようになっている。
境内末社の石碑がしっかりと祀られていて、過疎化に伴う氏子の減少からか、境内の見回りも警察のパトロールに頼るところも見られる。
一方境内地脇には広々とした敷地にたくさんの桜が植樹されており、氏子の神社に対する思いが伺われる。植樹20年前後のものが多く、幹も枝もまだ若々しさが残っている。もししばらくすれば美しい桜の花が咲き誇るのだろう。