イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

二人の間の関係で悩む時に何をするか?(異文化と愛 ② 3/10)

2014-10-20 | 第九章「愛」

 今朝のマッサン、仕事一筋のマッサンにエリーさんが愛妻弁当を携えて仕事場に行くシーンが印象的であった。ほのかにマッサンを想っているふしのある優子さんも、心づくしのおにぎりを既に差し入れていたりしていて複雑。

 「おふくろの味」という日本語があるが、人それぞれとはいえ、かなりの人が経験する「おふくろの味」の幸福感。U先生の「生き甲斐の心理学」でいうと「おふくろの味」は愛の原形に関係しそうで、かつ五感を刺激する要素が大きいので、国民的共感をえているのかもしれない。

 さて、私は昨日も歴史の勉強会に参加したりし、歴史熱、縄文熱は留まることを知らない。そして、おにぎりのドラマを観てから、縄文時代の祖母が祖父に声をかけることを想像したり妄想している。「いのししの落とし穴掘り、頑張ってね、今年のどんぐりで作った私のケーキ食べてね!」とか・・・

 因みに、昨日の古墳・横穴墓の先生のお話では弥生時代に来た渡来人が全面的に先住民(縄文からの)と置き換わることはなかったようだ。横穴墓等の人骨のDNAの研究で、置き換わるのではなく混血している可能性が高いとのこと。

 ドラマは大正時代であるが、意外にこうした出来事はえんえんと数千年続いているかもしれない。

 マッサンでの優子さんとエリーの関係、和解していくことを願っているが、嫉妬など様々な感情が人をあらぬ方向に押しやったりする。そんなことで、私の愛読書でU先生から教えていただいた「男女の魂の心理学」(ジョン・ウェルウッド著 日本教文社)を久しぶりに開いてみた。

 男女だけではないと思うが、人間関係を深めていくには、何をしたらいいかが書かれている名著だが、冒頭の言葉は示唆的だ。

「私たちは、幸せな恋愛を実現するためには自分にぴったりの相手を探し出し、正しくつきあい、愛を感じていけばいいと考える。しかしそれでも、まだ私たちが気づいていないことがあるー相手との関わり方は自分自身との関わり方で決まってしまうこと、ふたりの関係は自分の心のあり方の延長であり、相手とうまく関わっていけるかどうかは、自分に対してどれだけ心を開き、深くかかわっていけるかどうか次第だということを。」 2ページより

 対人関係であっても、①自分は何のためにいきるのか?②生き甲斐は何か?③自分を大切にしているか?この自問自答にブメーランのように戻ってくるのかもしれない。

異文化と愛 ② 3/10

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新宿ミニ・ツアー、意外に知らなかった新宿!  

2014-10-19 | 旅・雑記帳

 昨日は、「生き甲斐の心理学」四ツ谷勉強会を東新宿の新宿文化センターで行った。縄文語や言葉と五感の関係など、楽しい話題を交えて終了したが、その後は地下鉄で都庁前まで行き、熊野神社に。

 新宿中央公園は、このところの冷え込みでデング熱・蚊の脅威が減ったのか意外に賑わっていた。新宿御苑が再開したようで嬉しいことだ。そして、中央公園を突っ切って熊野神社に。

   

ちょうど遷宮の関係からか工事中で、池や大鳥神社は入れなかったので、全く池の影のない神社はとこか寂しい。このあたりは江戸時代、明治時代などは浮世絵にも描かれる景勝地であり、滝や十二社の池があったのだが、全く水気のない神社は何とも寂しいのだ。

 東新宿のイーストサイド スクエアのような現代的な雰囲気は、一見良いのだが、どこにもあるチェーン店などで埋められ、本来の新宿の香りが無くなっているようで寂しいと感じるのは私だけでなかった。しかし、こうしたエリアを一歩出ると実に新宿の香りが漂う、つまり一万年以上前の縄文の香りがただよってくるのだ・・・

 写真は、熊野神社から、十二社の池があった右手のビルを歩道橋から撮ったもの。中央公園の木々が何かを訴えているようだ。

 そして、池のあった裏通りにはいると、先週の台風の影響か土嚢が積んであったり、何か不思議な感じだ。中野長者の大蛇が居たという池。そこも近代的なビルが既に立ち並んでいるが、池の気配をどこか感じさせるようだ。

 

 そして、ミニツアーを終了し、新宿駅西口の某所で楽しいビールと竹鶴のハイボールを味わってしまった。その時の会話は、某氏によるとサラリーパーソンの飲み会では全く話題にならないことが肴になり、また、シニアの飲み会で主な話題の健康の話や孫の話題もなかった!十二社の大蛇のパワーを頂いたのかもしれない!

 (おまけ)

 昨日は、新宿文化センターに行く途中で、ちょっと裏道に入り、大聖院と西向天神社によってみた。

 大聖院の駐車場のなかには、太田道灌(室町時代)に因み。山吹を差し出して有名な紅皿さんの墓地があった。

  

 そして、西向天神には富士塚まであったのには驚いた。

   

新宿は、縄文の香りを残す不思議な地なのである!富士講について、興味が俄然湧いてしまう。

異文化と愛 ② 2/10

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私の好きな新宿で愛を考える!(異文化と愛 ② 2/10)

2014-10-17 | 第九章「愛」

 今日は、青春時代まで育った新宿区で「生き甲斐の心理学」の勉強会。そして、勉強会終了後に西新宿の熊野神社や昔通った十二社の池跡の三省堂ビル周辺にも行く予定だ。

 この写真は、昔の十二社の池あたりから都庁ビルを撮った写真。

 しかし、勤めていた時は全く関心が無かった新宿の歴史だったが、この十二社あたりは新宿定礎伝説に関わる場所だった。角筈(ツノハズ)なるシャーマン的な言葉も残る土地だ。新宿は室町時代の鈴木九郎が元祖で発展した町のようで、それまでは全くの原野のようだった。ただ、定礎伝説には縄文の香りが漂っている。十二社の池に住む大蛇とか、熊野神社そのものもそうだ。そして、勿論、この新宿には縄文遺跡も出てきている。

 有名なのは、百人町三丁目から出た、12,000年前の隆起線文系土器で新宿歴史博物館でほぼ当初のかたちに復元された土器を観ることができる。私の住んでいた新宿区坂町からも縄文土器が発掘されていたのはつい最近知ったことだ。

 熊野神社の祭神はスサノウとイザナミ。どちらも私見では縄文系の神様で、地母神を彷彿させる。あるいは、スサノウと弥生系日本人との戦争など、いろいろ妄想してしまう。

 しかし、オオゲツヒメ、イザナミ、ウケモチノカミ、カグツチ・・・日本の女神は一癖はあるものの、神話世界では無償の愛を演じる尊い神様だ。自分の愛の原形を考えたり、日本人の愛の原形を考える上で眼をつけるべきポイントかもしれない。

 さて、愛の原形といえば、今朝のマッサンは愛の原形の具体的な話があり、はっとした。エリーさんが作ったごはんにマッサンが何も言ってくれない。「おいしい」と言って、自分の愛の原形に触れてほしいとエリーさんは言っているようであった。

 U先生の「生き甲斐の心理学」には愛の孤独を感じている時に、具体的にここに触れてほしいということは大切と書かれているが、教科書どおりであった。日本は何も言わないことを美風とするところがあるが、愛の原形に関してはきちっと伝える必要があるのだと思う。

異文化と愛 ② 2/10

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愛の原形は人それぞれ!(異文化と愛 ② 1/10)

2014-10-17 | 第九章「愛」

 マッサンでは、エリーとのやりとりが国際結婚ということもあり、愛し愛されの流儀の違いから、ちょっとした誤解が生じる場面が結構でてくる。そこが面白いのだが、この愛し愛されの流儀の違いは、実は人それぞれ生育史によりかなり違っていて、誰でも当てはまるところがありそうだ。それを私が学んだのは「生き甲斐の心理学」で私の人生後半のことであったが、とても大切な智恵になっている。

 例えばハグする表現が愛の流儀である人(例えばエリー)が、微妙な言葉かけだけを愛の流儀とする人(例えばマッサン)の愛に気が付かないことは簡単に想像できる。本当は愛されているのに愛の孤独に陥る。自分なりに愛の表現をしているはずなのに伝わらないで自己嫌悪に陥ることも。これは、夫婦や恋人でも、親子や仕事での関係など、なんでも当てはまるように思う。孤独や自己嫌悪の前に、愛の流儀=愛の原型の違いが原因かな?と思い出せば随分楽になる。

 さて、今縄文語の学説を「縄文語の発見」(小泉保著)で勉強しているが、縄文語も、いろいろ方言がでてきたようだ。縄文時代は一万年くらい続き、その後弥生時代に入ると、北九州方面から中国語系語彙が流入し裏日本縄文語、九州縄文語、琉球縄文語、そして弥生語に別れていくようだ。勿論、縄文時代でも縄文土器が地域により違いがあるように、方言もきっとあっただろう。まあ、同じ日本の中でも言語でさえ微妙に違い、マッサンとエリーのように、愛の流儀も結構違い混乱したことも。

 多摩ニュータウンNo72遺跡では普通は地域の土器が見つかるのだが、東海や東北の土器もまれに見つかっていて、多摩の住人の外に、奥さんが東海や東北からやって来ていたかもしれないと類推されている。そして、そこで祖先も同じように苦労したかも。

異文化と愛 ② 1/10

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縄文語に一番近い方言!(異文化と愛 ① 10/10)

2014-10-16 | 第九章「愛」

 縄文語に一番近い方言は何だろうか?「縄文語の発見」(小泉保著 青土社)を読んでいたら、どうも東北弁が該当するようだ。

 この数年、東北に興味を持つようになり、遠野に行ったり、平泉に行ったり、その前は福島。そういえば、東北弁に縁のある出雲にも行った。読む本も、遠野物語、宮沢賢治、石川啄木、日本神話・・・そして、孫娘のために遠野物語かるた、啄木かるたまで買ってしまった。買った当時は孫娘には無理で一人で観ていたが、最近はひらがなが読めるようになった孫が時々つき合ってくれ、遠野かるたをときどき遊ぶ。

 若いころに関西に住んだこともあり、関西も好きであるが、透明感があって落ち着きのある東北には惹かれる。特に年をとってくると、いいなと思う。

 さて、今日は「生き甲斐の心理学」での自己開示のことを考えている。自分の心の奥のことは、自分でももやもやしていてはっきりしないことが多い。そんな自分をうまく大切な人と語り合うことで、うまく表現してスキッとすることがある。それが自己開示のよさなのである。

 若いころに仲間と小説集を作った経験があるが、その時初めて短編小説を書いた。下手な小説で赤面するが、その時も何かスキッとしたことをはっきり覚えている。小説などの芸術活動も、自己開示の一種なのかもしれない。

 日本の小説や詩歌は、島国の良さか、結構残っている。清少納言や紫式部は弥生系の関西弁をしゃべっていたのだろうが、その中でも世界的な小説を書いた。それに対して、縄文圏内の土地に生まれた宮沢賢治や石川啄木も素晴らしい詩歌や童話を残している。言葉は大切だが、開示する本人の心というか、それは普遍的で深さがあり人のこころを打つ。魂なのだろう。

異文化と愛 10/10

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