イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

神話を知らない世代からの神話雑感!

2010-01-26 | 第四章「愛とゆるし」

 小学校のころだっただろうか、日本の歴史を勉強しはじめたころであった。母が、天皇家の歴代天皇名を一息で私に言ったことがあった。暗記していたのである。そのうち、私も学校で習うかなと思っていたが、結局そういうことはなかった。

 日本神話も学校で記憶にある限り、教科書で勉強したことはない。

 第二次世界大戦敗戦後の大きな変化の中で育った私たちの世代は、絵本で神話を親から学ぶことはあっても、きちっとした神話教育はなかったように思う。

 10年くらい前から「生き甲斐の心理学」を勉強するようになり、神話を勉強する機会が増えた。欧米では心理学の勉強をするとき、誰でも知っていて、人間の心のありようをコンパクトに語る神話は極めて大切にされているようだ。難しい学術語を使わなくても、様々なこころの状態が判る。U先生に感謝である。

 日本神話、ギリシャ神話、中国神話、北米ネイティブの神話・・・

 勉強していると、いろいろ気づくことがある。一つは、場所も本当に離れているのに、ギリシャ神話と日本神話が極めて似ている話があったりする。シンデレラ姫の話が日本の落窪物語と極めて似ていたり、イザナミ・イザナギの話とギリシャ神話のペルセポネ等の話と殆ど似ていたりする。

 昔の文化の交流を想定したりしてもよいが、異なる文化を形成する前に、共通の経験を各々の祖先たち(共通の祖先かもしれない)が持っていたと想定することもできる。

 最近、「一万年前の旅路」(ポーラ・アンダーウッド 星川淳訳 翔泳社)を読んでいるが、モンゴロイドの祖先がユーラシア大陸から、ベーリング海を歩いて渡った記憶が伝承されている。海峡を渡るときに命綱を使って徒歩で渡る様子には本当に驚いた。日本の神社にある綱の意味。そんなことも考えてしまった。

 神話には、人類の数万年の歴史・経験が、凝縮されているのでは(勿論、さまざまな政治的な意図等で変形されたとしても)と思う。

 そして、描かれている人(神であったりするが)のこころも魂も、大きな時間や空間のギャップがあるにしろ、私を直接的にとらえる。また、癒される(昨日の蜘蛛の起源のアラクネの話など、アテナが蜘蛛にかわいそうで変身させたというところなど、胸を打たれた)。

 私も、神話を知らない世代だが、日本神話だけでなく世界の様々な神話を、読むことができる。現世人類の大きな宝ものをもっと大切にしなければと思う。

(感謝の領域<生まれる前の歴史>8/60)

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生命の不思議さを考えつつ傲慢にならないように!

2010-01-25 | 第四章「愛とゆるし」

 私たちの生命は何処から来たのか?45億年前に地球が出来てから、まだ酸素もない時代に地球上に現れたようであるが、高校生の時に習った、オパーリン等の物質から進化したとする説が一般には受け入れられているようである。

 そして、この生命は、基本的な構造がウィルスも植物も動物も、人間も同じである。深海熱水孔や海底等の信じられないような環境でも微生物がいる。原始の地球上でも、深海熱水孔のような環境は想定されるので、生命の起源の候補として有力視されているが、隕石から74種類のアミノ酸が発見され、地球外から生命の種がもたらされたとする説もある。

 35億年くらい前には、葉緑素をもったシアノバクテリアが登場する。それから緩慢な生物の発展があり、5億4千3百万年前に生命のビックバンと言われるカンブリア紀となっていく。それ以降が化石でいろいろ馴染みのある世界と繋がっていく。

 こうした、大きな流れを考えていると、この世は何と神秘的で奥が深いのだろうかと、感動してくる。

 ところで最近、新聞やテレビを見ていると、日本の政治、小沢氏の報道が大きく報じられている。せっかく政権交代で国民の一般の感情も幸福曲線の方向だった(国民というより自分といったほうがよい)のに、また暗い感情に・・・と思う。

 また、マスコミ報道の仕方が冷静さを欠いているように思えてならない。きちっとした柱が全く感じられないのだ。自民党をたたき、民主党をたたき、一体どこに行くのだろうか。

 ギリシャ神話に、アラクネの話がある。機織りの名手アラクネが、工芸の神であるアテナと競い、神々をからかう図柄の敷物を織り、アテナの怒りをかい絶望のうちに死んでしまう。それを見たアテナがかわいそうに思い、アラクネを蜘蛛にしたという神話である。

 政治家もマスコミも決してアラクネのようになってはいけないと思う。静かに進行している情報社会(インターネット)への大変化がある。

 私もアラクネにならないように注意しよう。ギリシャ神話は今でも立派に通用する見識を示している。

(感謝の領域<生まれる前の歴史>7/60)

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受験勉強と普通の勉強!

2010-01-24 | 第四章「愛とゆるし」

 このところ、高校時代のことを思い出すことが多かった。私の通っていた高校は昔からイギリスのイートンハーレー校をモデルにしていたこともあり、当時かなり独特の校風であった。授業も100分授業、土曜日は隔週休み。授業も生徒による発表授業が多かった。徹夜して準備した記憶もある。

 今考えてみると、授業は決して受験向けのものでなく、学問の楽しさを学ぶためだったようだ(そうでない授業もあったが)。逆に、受験勉強という観点では、かってに自分でやってくださいという授業も多かった。

 さて、私も入学試験、入社試験、資格試験と、沢山試験を受けたものだ(失敗も結構あった)。50代後半でも受けた。その一方、結構いろいろ本を読んだり勉強したりした(勉強をしなかった時期もあるが)。仕事の実務(英語や企画関係など)に関係するものなどもあったが、歴史や哲学の本も読んだりした。そして、最近10年間は「生き甲斐の心理学」を学びながら指導を受けつつ、いろいろ勉強を楽しんでいる。

 そんな訳で、受験勉強と普通の勉強の違いがだんだん明確になってきたようだ。ポイントは受験勉強は明らかに普通の勉強と違い、点をとる勉強であるということだ。これも考えようによっては、生きる上で大切な訓練といえる。

 受験勉強のポイントは、点をとるためのものであるので、試験にでそうな問題を勉強するということである。そして、出そうな問題の解答が受験の環境下でできるようになる。そんなことではないかと思う。何を勉強するか、限られた時間等の資源の中で何をやるのか。このあたりがポイントだ。

 最近は大学受験で「隣の人の鉛筆の音がうるさい」などのクレームを試験官に平気でつける人もでてきてるようだ。不思議な世の中である。受験はある条件内での競争であるという、基本的な理解不足を露呈している。そういうことも含め、受験勉強とは何かを良く知ることは大切である。そして、時に積極的に挑戦したらと思う。昔読んだ、糸川英夫著「糸川英夫の入試突破作戦」は素晴らしかった。受験というものに最適化した勉強方法というものがあり、それを楽しんで書かれている。

 しかし、如何に受験で成功しても、普通の勉強の楽しさ等を知ったほうが良い(豊かな人生を送る上で)。そして、普通の勉強の楽しさを知るには、楽しんでいる(苦しみながらも)人を知ることであり、さらに楽しんでいる良き師と出会うことだと思う。

(感謝の領域<生まれる前の歴史>6/60)

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生命の起源も考えると楽しい!

2010-01-23 | 第四章「愛とゆるし」

 生命とは何か?高校生1年の時の生物の時間は貴重な時であった。その時、二重らせんのDNAの話や、ダーウィンの進化論など貴重なことを学んだ。そして衝撃的だったことに、生命を実験室で作り始めているという話を聴いたりした。1967年のころであった。カトリックで幼児洗礼を受けた私にとっては、特に意識はしなかったが、無意識に宗教から遠ざける知識だったかもしれない。

 一番前の席で必死にノートを記し、K先生の書いたニンジンの黒板の絵までノートにそのまま写し、先生から授業中に名指しで馬鹿にされたことを覚えている。その時馬鹿にしたK先生の論理と馬鹿にされた私の論理がかけ離れていることを妙に覚えている。自分の中で無意識に感情転移や置き換えがあって、K先生からみると私が奇異に見えたのかもしれない。そんなことをふと考えたりした。K先生はご健在だろうか。

 さて、そのころから40年が経過し、当時はメジャーな学問という感じでなかった生物が今では極めてメジャーになっている。その象徴はヒトゲノムの解析完了発表が2000年に当時のクリントン大統領とブレア首相によってなされたことではないかと思う。

 その時のヒトゲノム計画のリーダであった、フランシス・コリンズの「ゲノムと聖書」(NTT出版 中村昇・中村佐知訳)を今年になって読んだ。極めて面白かった。進化論を宗教界や唯物論者がどう解釈しているか、インテリジェント・デザイン論の本質が何なのか、信仰とは何か・・・考えさせられた。

 私は、カトリックで神を信じているが、著者の意見に多く共感した。因みに、カトリック教会も唯神論的進化論を真面目に研究しているようである。宗教を信じている科学者は沢山いるが、意外なことに寡黙で語らず、無神論の科学者の著作が結構出回っているのが丁度気になっていたこともある。

 真理という面で、宗教も科学も補完的で矛盾しないものだと私は思う。

 科学は唯物論者だけのものではないし、原理主義は特定の宗教家だけのものでもない(偏る議論は唯物論者の中にもある)。批判するだけでなく、お互いの主張をよく聞くと世界は違って見えてくるのではないだろうか。

 それにしても、高校生のころの知的な不安は今かなり解決されてきている。本当に感謝。生きててよかった。

(感謝の領域<生まれる前の歴史>5/60)

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牛に変身したイオ。イオの火山に変身したアマテラス!

2010-01-22 | 第四章「愛とゆるし」

 地球が出来た45億年前は、太陽系の惑星などができた時でもある。水星、火星・・・。

 私が11,12歳のころは、天体観測や地学が趣味であった。エリクソンの人格形成理論では技能の時期(10-12)で、勤勉性や劣等感が生まれるのもこのころである。確かに、勤勉性を趣味に発揮し(何か違う自分に初めて変身しようとしていたようだ)、夜空の星座や恒星、惑星のギリシャ名をよく覚えた、ただ、その名前の意味など考えなかった。

 当時は、ギリシャ神話を教えてくれる人もいなかったし、ギリシャ神話にも興味がなかったので当然かもしれない。しかし50年近くたち、生き甲斐の心理学の勉強でギリシャ神話や日本神話に興味を持つようになった。

 ギリシャ神話を少しでも知ると、夜空を見ながら楽しげに会話する西欧人の感覚が少し理解できるようになる。

 水星から冥王星の惑星の名前も、基本はギリシャからの輸入のようだ。因みに火星はアレス、木星はゼウス、冥王星はハデスに対応する。

 さて、天体観測で最も当時感動したのは、木星を見たことである。天体望遠鏡の性能が高かったわけでもないので、木星の表面の紋様、例えば大赤紋などは見えなかったが、4つの衛星は見えた(ガリレオ惑星と呼ばれる)。その美しさにほれぼれと(感情転移)したものだ。

 その4つの木星(ゼウス)の衛星の名前は、イオ、エウロペ、ガニメデ、カリストである。ギリシャ神話で大神ゼウスが浮気をして、妻の女神ヘラとのやりとりがあるのだが、特にイオ、エウロパは大変有名。

 イオは、ゼウスの浮気相手で、ヘラに見つかりそうになり、ゼウスが美しい牛に変身させてしまう。その後、ヘラの嫉妬でアルゴスという目玉が沢山ある怪獣(木星のあの大赤紋が大きな眼のようで、怖いこの怪獣を想像してしまうが)に見張られる、それを倒して逃げる・・・。

 こうした、ギリシャ神話の本は、少年少女向けの本や里中満智子さんのマンガギリシャ神話など、肩が凝らないもののほうが良いようである。是非一度読まれてはと思う。

 そんな、イオと命名された木星の衛星は、近年のボイジャーの映像で火山の噴火が観測されたりで有名。そして、表面の地形も現在では判り、世界の神話に因んだ地名が付けられている。その中に、何と、日本神話のアマテラスやスサノウの地名もある。

 アマテラスもイオの火山に変身といったところであろうか!

 夜空を見ながら神話を語る。西欧の伝統を日本でも行うと楽しいだろう。因みにギリシャの自殺率は日本の15%程度(2009年)。こころの健康に影響があるかも。

(感謝の領域<生まれる前の歴史>4/60)

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