イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分への宗教教育の計!

2010-01-06 | 第三章「無意識の世界」

 7歳の時、アラスカに約一年滞在した。母がカトリックだったこともあり、土曜日曜は、教会に行った。母の友達の関係もあり、プロテスタントの日曜学校にも行った。沢山の子供が集まっていた記憶がある。まるで、小学校の延長のようであった。そして、楽しく遊んだ。

 日本に帰り、何年か経ち、小学校6年生になった。通っていた小学校は公立であったが、友達の何人かは学習塾に行くようになり、私も一時期通った(受験はしなかったが)。沢山の子供がいて、まるで、小学校の延長のようであった。ただ、勉強内容は小学校の延長でうんざりしたのを覚えている。

 その後青年となり、成人し社会人となり、今に至る。人生の危機(節目)を何回か迎えた。その時、何故か宗教がらみの本を読んだ。普通の本はダメできちっとした古典を読むことで、その魂に語りかけてくるような響きを楽しんだ。辛い時にどういう本を読むべきか、そんなことを自分の成育史上のどこかで学んだようであった。

 荘子、老子、孔子、仏教、日本の古典、聖書、・・・なども読んだ。そして、いつの間にか、何かを乗り越えていった。今はカトリックの信仰を持っているが、仏教や中国の古典等にも感謝である。もし、そのような機会がなかったら、どう錯乱していったか・・・怖い話である。

 話は変わるが、先日読んだ加賀乙彦氏「悪魔のささやき」(集英社新書)に、日本の宗教教育の問題が書かれていた。確かに公的教育が一部の宗教に偏ることを避けるための過剰反応で、日本神話、仏典(例えば法華経)、聖書、コーランなどの人類の宝物にまったく触れたことのない人を沢山育成してしまうようだ。私もその一人なのだろう。

 私も、恥ずかしながらコーランを読んだことがない。ヒンズー教の経典も読んだこともない。人類67億人の半分ぐらいの人の生き甲斐に近づくための基本知識を知らないで生きているのだろう。解説書は読んだけれども・・・イスラム教信者が書いた本ではない。この手の本を読んで判ったつもりになるのが一番怖い。どうせ読むなら、豊かな学識をもった熱心な信者の人が書いたものを読みたい)。

 人類の宝を、じっくり読んでみたい。これが、今年の目標の一つ、自分への宗教教育である。

 写真は、昨日高幡不動近くで撮った、富士山の写真。

(生き甲斐の創造 3/15)

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