イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

感情七変化の一日、感情表現を想う!

2008-04-20 | 第五章「和解と平和」

 今日は懐かしい人との再会、初めての人との出会い、親しい人たちとの語らいなど、ゆたかな一日であった。また、伯母の葬儀もあったり、楽しい語らいもあり、感情も七変化の一日であった。横浜中華街に行ったが、そこの雑多な風景は一日を象徴しているようであった。

 五感で知覚し体感する、本物の感情に出会うこと。感情の流れを意識していると、感情表現が上手になるそうである。名著といわれる小説などを読むと、みずみずしい感情の流れの描写あり驚くことも多い。すぐれた音楽もそうかもしれない。

 感情表現とは何だろうと思う。特に悲しさ、わびしさ、嫉妬、自己嫌悪といった暗い感情を表現するとは何か?ストレートに相手かまわず表現する。我が家のマルチーズなどは、それだけでかわいいし意味があるとも思うが、成熟した大人はどうか?

 ストレートに暗い感情を表現するのではなく、それを自分の人間観で解釈し、表現するのが本当ではないだろうか?相手を想い、自分も大切にしつつ表現する。とっさの反応も表現の一つであるが、思考・行動にじっくり繋げることもあるのだろう。

 暗い感情で無口になる。これも感情表現の一つである。私もこれに気づくまで、結構時間がかかった。そして、まだまだ感情表現は下手だなと思う。

 感情表現がうまくなると、いさかいをを予防し、いさかいから和解への一歩となると思う。

  <感情表現2/4>

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暗い感情を味わうことは和解の一歩!

2008-04-18 | 第五章「和解と平和」

 昨日から雨が降り続いている。雨の日は鬱陶しいが、風がないので久しぶりに近所を散歩してみた。花水木(はなみずき)の並木道が綺麗で、雨の日の散歩も決して悪くはない。

 駐車場のわきに転がっていた古タイヤがあった。ずっと放置され続けていたのか、タイヤの周りに雑草が生えて、妙に美しかった。

 他人との和解、自分との和解。表面的な本音を乗り越えて和解に辿りつくためには、自分の感情の把握が大切な気がする。好きか嫌いか、怖いか怖くないか・・・。正直な感情の流れの把握は意外にも和解への切り札のようである。

 自分の感情、恨みつらみ、嫉妬、自己嫌悪・・・そういった感情を生々しく感じる。そして、二呼吸置いてその意味をできれば明るく解釈し、表現していく。

 タイヤをよけて、しっかりと成長する雑草。また、雑草と溶け合うような古タイヤ。雨の日は、和解のための一歩かもしれない。

<感情表現1/4>

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天井裏での抵抗、ホンネで行動を始める時!

2008-04-17 | 第五章「和解と平和」

 小学校高学年のころ、両親が私の将来を心配したのだろうか、従兄に勉強を教えてもらうことになった。月に何回か大学生の従兄が家に来て、勉強を教えてくれることになった。
 
 遊び盛りの私であり、特に受験をするわけでもなかった。また、勉強内容も問題集をただ解いていくものでつまらなかった記憶がある。そんなことで、勉強を教えてもらうのは嫌であった。

 ある日従兄が来たとき、二階の押入れから天井裏に登り隠れた。従兄は二階にいるはずの私がいないので困ったようだ。私は天井裏で、下の従兄の動向を注意したが、移動したときにミシミシといった音をだしてしまった。
 
 それで気づいたのだろうか、ちょうど二階の別室にいた妹に確認をとり、従兄が天井裏に上がってきた。「何もしないから、出てくるように!」そんな言葉で、ごそごそと投降した。

 天井裏(屋根裏でもある)は、埃だらけであるが、不思議な暗さと、木材の臭い、
忍者ごっこなどの自由なファンタジーにも繋がり、なにかほっとする空間であった。

 自分の深いホンネを見えなくする、殆ど忘れている恐怖の原型。恐怖の体験。そして、こうした抵抗の原型というのだろうか、自立への兆しというのだろうか。考えていくと、日常での大きな和解へに繋がっていくようだ。

 ふと眼に留まった、郊外のショッピングセンターの木材。天井裏で感じた懐かしい肌ざわりを思いだす!

 <本音論4/4>

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ホンネが観え始める時を大切に!

2008-04-16 | 第五章「和解と平和」

 青葉茂れる季節になると、ふと思いだすことがある。

 大学に入学したころ校舎までの並木道を歩いていた時のこと。一昨年に第2種普通免許の試験を受けて合格し、近くの公園で時間をつぶしていた時のことの二つである。

 どちらも、ストレスの多い慌ただしい時間を過ごしたのち、ほっとした時であった。今日のように曇りで、木々の緑、野原の草花が目にしみる。人影もまばらで一人の贅沢な時間である。

 喜びの感情で満たされるわけでなく、ふと感じる寂しさ・・・周りの人からは、良かったねと喜びを分かち合ってくれるものの、何処かに違和感や寂しさ。

 満たされたはずなのに、なにか意識にきちっと上がってこない何か。無意識の世界から寂しさという感情で送られてくるメッセージのようだ。

 「生き甲斐の心理学」を学ぶことで、この暗い感情を大切にする術を知った。意味がはっきり判らない暗い感情は、非常に貴重である。自分のホンネが見え始めていると言える。

 この100年位で急速に進歩した臨床心理学分野では、精神分析、自己成長理論、交流分析など、この本音をキャッチする理論を言葉は異なるが構築している。

 自分の本音が観え、こころの中で整理統合が進み、殻が割れ何かが生まれる。

 話は変わるが、最近読んでいる神話に関する本で、世界のいたるところにある、宇宙卵神話のいくつかを読んだ。フィンランド神話の「カレワラ」は素晴らしかった!

 何かが生まれるということ。名も知らぬ祖先の時代からの関心事だったのだろう。

<本音論3/4>

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会社を辞めて見えること!

2008-04-15 | 第五章「和解と平和」

 昨晩は、5年前に会って以来久しくお会いしていない、元の会社の先輩にお会いした。5年の年月も忘れ、楽しく本音で語り合った。

 先輩も、前後するが4-5年前に長年勤めた会社を辞められ、会社を辞めて見えてきたこと、会社時代には見えなかったことが話題の中心となった。

 会社時代は収入を意識したが、収入が減れば税金も減るので、生活の質はさほど変わらないことの発見などで盛り上がった。

 生き甲斐のある仕事も話題になった。好きなことを仕事にする。世のため人のためになる仕事をする。そんなことも楽しく語り合った。

 会社は社会的な責任、利害得失いろいろ本音を見えなくする雑音に囲まれている。否、会社だけでなく仕事の場は、自分の本音を判らなくする様々な雑音の温床かもしれない。

 そんな中、いつも自分の本音を意識し、流れを注視することは重要だ。

 そして、本音が明るい生き甲斐に繋がってくると、嫌なことに耐えられる抵抗力もつくようだ。

<本音論2/4>

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