小学校高学年のころ、両親が私の将来を心配したのだろうか、従兄に勉強を教えてもらうことになった。月に何回か大学生の従兄が家に来て、勉強を教えてくれることになった。
遊び盛りの私であり、特に受験をするわけでもなかった。また、勉強内容も問題集をただ解いていくものでつまらなかった記憶がある。そんなことで、勉強を教えてもらうのは嫌であった。
ある日従兄が来たとき、二階の押入れから天井裏に登り隠れた。従兄は二階にいるはずの私がいないので困ったようだ。私は天井裏で、下の従兄の動向を注意したが、移動したときにミシミシといった音をだしてしまった。
それで気づいたのだろうか、ちょうど二階の別室にいた妹に確認をとり、従兄が天井裏に上がってきた。「何もしないから、出てくるように!」そんな言葉で、ごそごそと投降した。
天井裏(屋根裏でもある)は、埃だらけであるが、不思議な暗さと、木材の臭い、
忍者ごっこなどの自由なファンタジーにも繋がり、なにかほっとする空間であった。
自分の深いホンネを見えなくする、殆ど忘れている恐怖の原型。恐怖の体験。そして、こうした抵抗の原型というのだろうか、自立への兆しというのだろうか。考えていくと、日常での大きな和解へに繋がっていくようだ。
ふと眼に留まった、郊外のショッピングセンターの木材。天井裏で感じた懐かしい肌ざわりを思いだす!
<本音論4/4>
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尚、このブログは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。