昔、米国の方と頻繁に接触して仕事をした時期があった。その時、日本人と違って、外人はなんと個性豊かかなと思い。また、日本人は何と個性がないのだろうと思ったことがあった。
それは、大きな間違いで、日本人も一見そうかもしれないが、実は本当に多様だと最近痛感する。「生き甲斐の心理学」を学んだ成果かもしれない。
深層心理では「自分以外の他人は驚きの対象」。確かに、他人でも関係が深まっていくと、違い・・個性が見えてくるように思う。尊厳のレベルでは同じであっても、成育史も違うし身体も違うので、違うのは当然かもしれない。まして、社会のなかで立場をもって働くとなると、利害得失もあり対立して当然である。
昨日紹介した、日本神話の山幸彦、海幸彦も、釣り道具を兄に借りるために、3度お願いしたが許されなかったとある。4度目だろうか、ゆるされたのは。クリンギット族の神話もワタリガラスがワシに承諾を得るまで3度頼んだようだ。三国志の三顧の礼も有名である。
神話の世界でもそうだから、人は簡単に同意してはくれないと考えるべきだろう。重要な問題であればあるほどだ。
和解を望んだり、カウンセリングで支援したりするとき、重要なことに他者受容ということがある。同意では決してないが。相手のありのままを受け入れるということである。これから4回、他者受容について考えていきたい。
<他者受容1/4>
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尚、このブログは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。