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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

四ツ谷育ちの四ツ谷知らず!(愛ある問いかけ ② 2/10)

2014-01-10 | 第十章「今ここでの恩寵」

 私は都心の四ツ谷近辺に、幼い頃から社会人になるくらいまで住んでいた。その後も、実家があることもあり、たびたび四ツ谷をおとづれてきたのだが、最近、この四ツ谷のことを知らなかった!と思うようなことがたびたび・・・

 さて、今月の29日に「旅と生き甲斐の心理学」の勉強会もあり、身近な名所・聖地を考察すべく、昨日は四ツ谷に行った。そして、幼いころから親しんできた三栄町公園のそばの新宿歴史博物館にまず行った。

 最近、いろいろ研究している縄文や旧石器時代の展示もあった。驚いたのは、新宿百人町三丁目西遺跡の縄文草創期の土器(約12000年前)や三栄町遺跡の縄文土器(三栄町公園周辺)も展示されていたことだった。

 幼いころに土あそびをしたりした近くに縄文土器が・・・呆然とした。しかし、この博物館も、昔に一二度は訪問・見学したことがあったが、そんな貴重なものや近くの土器など殆ど記憶に残ってなかった。

  

 三栄町公園。南側の税務署側も遺跡。

 それから、四ツ谷といえば有名な四谷怪談・お岩さんの稲荷神社も、今まで一度も行ったことがなかった。そこも初めて参拝した。四ツ谷警察の近くだったので、ほんとうに身近な場所なのに、一度も行ってなかったのは不思議なものであった。

  

さらに、これも噂には聴いていた服部半蔵のお墓も参拝。

 四ツ谷も、昨日訪れたところは、縄文時代では高台で陸地のところ。反対に近くの坂を降りたところは海岸で縄文時代の海進期には川や海だったところ。そうした場所も、中沢新一氏の「アースダーバー」などを読みつつ妄想すると、実に深い意味を感じてしまう。

 四ツ谷育ちの四ツ谷知らず。しかし、何でそうなったかは、これは隠された自己を知る上で貴重である。

 私は、両親と外祖父母に育てられたが、父も祖父も典型的な理工科系で、私も何となく日本の歴史や文化の情報があっても、自分との接点を感じなかったようなのだ。ロジャースの命題11そのもの。自己構造と矛盾するものは排除される。

 ただ、それが変われば話は違う、生き甲斐の心理学を学び(臨床心理学系)、さらに必修関連分野の比較文化や比較宗教学などの世界を知ることで、随分見方が変わってきたのだと思う。自己構造が変われば、世界も違って見えてくるものだ。

 四ツ谷育ちの四ツ谷知らずを、少しは返上してきたのだろう。

 愛ある問いかけ ② 2/10      

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