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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

現代人と縄文人の思考を想う!(幸福曲線を辿る ① 7/10)

2014-08-14 | 第七章「光と復活体」

 先日立ち寄った星糞峠のおみやげとして買った黒曜石のブローチ(半完成品)を仕上げた。黒曜石を削って完成させたのだが、教科書では加工しやすいと言われていたが、実際はガラスの一種なので破片が飛び散り、危険な面もあることを知った。

 日本では3万年くらいから2000-3000年前まで黒曜石は貴重品として扱われ、今でいえば最先端の技術で発掘したり加工したりしたようだ。

 現代はご存じのとおり、現代の黒曜石?コンピュータ、遺伝子技術、脳科学などが発達し、それにより随分生活も環境も変わったが、その現代の思考・思想は、縄文時代と比べてどうなのだろうか?

 ちょっと不気味な縄文の土器や土偶などを最近、観る機会が多かったせいか、思考・思想を何となく俯瞰したくなり、「ニューエイジについてのキリスト教的考察」というカトリック中央協議会の冊子を再読している。人類の思考・思想は多様であるが、いつの時代も傾向は似ているところがある。2000年前と今と、普通の感覚では全く違っているようで、意外に思想・思考の風景は似ている。

 縄文時代という例えば4500年前の時代。その世界も、人々の思想は単一でなく多様だったのだろう。そして、意外に傾向も今と似ている可能性もあるかもしれない。黒曜石を巡って、どのような思想があり、どのような感情を産み、どのような社会的問題があったのだろうか?そんなことを妄想してしまう。

 昨日の「花子とアン」では花子さんの長男、歩が亡くなってしまう。当時の医療技術の限界だったのだろうが、その中で花子さんは蓮子さんとの再会する。そのシーンには思わず涙が出たが、そうした出会いやドラマも4500年前にあったかもしれない。そういえば新約聖書にでてくるサマリアの女が井戸端(この井戸も一種の技術なのだろうか)でイエスに出会うシーン(2000年前)を思い出し、思わず考え込んでしまう。

 思考・思想は心の支援の中でも、支援する側にとっては大事な要素。どのように鍛えるかは大事だと思う。

幸福曲線を辿る 7/10

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2 コメント

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縄文人にひかれて (Nagako Iimura)
2016-12-22 16:34:10
耳の垢が溜まりやすくなって、ふと弥生人と縄文人の耳垢の質でどちらに属するかとかの記事を思い出し、自分は左右でどちらにでも属するなぁと思いながら、神秘的なのは縄文人かなと検索しましたら行きついた次第で私的に興味をそそる記事が山ほどあるのを発見しました。
私は地方の公立高卒なので学がありません。
悩み多く、自己カウンセリングやカウンセリングの勉強にはまっていましたが、ここ4~5年ほど瞑想会からチベット仏教に興味が出てきた状況です。
慈眼などという言葉は瞑想を成就する過程にありますのでとても参考になります。
時々こちらへお伺いしますのでよろしくお願い致します。
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ありがとうございます! (森裕行)
2017-01-03 12:33:27
IInumaさん、読んでいただき感謝です。慈眼深いですね!
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