昨日は、オフであったが孫娘の突然の来訪。そこで、埋蔵文化財センターの縄文の村に連れて行った。最近は、かくれんぼやお化けなどに興味を持ち、縄文の世界も、孫娘の成長に繋がるかなとふと考えたからだ。
昔は、闇というものが日常的にあった。3.11の時には少し闇が増えたが、今は闇は意識しない限り都内では得難い状態になったようだ。それと共に、お化けや怖い話をする場所が少なくなる。
さて、縄文中期の竪穴式住居は、いまの住居と比べても、より深い哲学・宗教に基づいているようだ。技術的には高床式とかいろいろ別の選択も可能なはずなのに、何故このような住居を選んだのか。
例えば、円形の竪穴住居で井戸尻文化とも言われている住居には、出入り口のところに埋甕があり、胞衣が中に入っているとか、死産の子供の亡きがらとかが入っているとも言われている。今ではヘンだが、当時は神聖な意味があったに違いない。また、実際に入ってみると、文字通り、座れば大地そのも(自然のクーラで涼しい)、殆ど光が入らないので真っ暗。何か、母体の中にいるような感覚だ。
中央の炉も不思議な意味があるようだ。火は一年に一度祭儀の中で点火されたとも言われる。祭儀の時には不思議なランプ(表面がポジティブ、裏面がネガティブな感情を湧き起こさせるような)に火がともされたりしたとも。勿論、火は食物の変容の鍵であり、女神イザナミは神々を産んだ後に、火の神を産んで死んでしまい、黄泉の国に行ってしまう。そして、有名なイザナギの黄泉の国の探索と、この世と黄泉の国の境目の話などにも通じる。
土器の図柄を研究する方もいろいろいらっしゃるが、今私が読んでいる「縄文のメデゥーサ -土器図像と神話文脈ー」の田中基氏によると、日本神話のイザナミーイザナギの神話に通じる土器図像や祭儀跡、そしてこの縄文住居もどこかで繋がってくるようだ。8世紀に成立した日本神話の源流は、やはり縄文時代や旧石器時代まで辿ることができるようだ。古事記や日本書紀は、当時の政権によりかなりバイアスがあると思うが、祖先の歴史は残されていたようだ。
孫娘と、一緒にこの暗い住居の中に入り、怖いお化けの話?をしてあげた。余り怖くなかったという感想だったが(私の準備不足もあり)、良い思い出となった。しかし、怖さを求めるのは、感情の光と影で、その反対の幸福感とか愛を求めるための何かのようだ。お化け屋敷に一緒にはいると、家族の絆が一層強固になったり。ストレス曲線は幸福曲線を得るために必要なのである。これは、縄文時代の私たちの祖先も同じ知恵をどこかで使っていたかもしれない。
幸福曲線を辿る 6/10