死を想え(メメント・モリ)という言葉があるが、この2-3日庄司薫氏の「白鳥の歌は聞こえない、古事記のイザナキの黄泉つ国訪問、オオアナムジ(オオクニヌシノミコト)の根の堅洲国訪問などに想いを巡らしていた。
死の国のことを考えると暗くなる(沈鬱)と何となく思っていたが、例えば死の国の艱難辛苦の中、スセリヒメの知恵などに助けられて頑張り通すオオクニヌシノミコトの話を追っていくと、実に様々なこころの動きを感じ、逆に元気になるようである。
因みに、チベット死者の書の80自性の一覧表を見ながら、どのくらい自分のこころが神話を読んで動くのかをみると、日常の生活の中では味わえないほどの沢山の動きがあることが判る。
日本神話の冥界探訪を読むと、感情生活が逆に活性化し元気になる。勿論、何か、受け入れられない時は、直ぐに止める方が良いようにおもうが。
オオクニヌシノミコトの場合、恐ろしい死の国で艱難辛苦に出会っても、愛するスセリヒメに助けられたり、ネズミなどの身近な生き物に助けられる。
日本人が今まで生き抜いてきた一つのエッセンス(愛のストーリー)がつまっているようである(勿論、世界各国にも同様な神話があるが)。
昨日は、梅雨の晴れ間で暑かったが、雨上がりの中、紫陽花の花が美しかった。
<死の問題 2/4>
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