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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

筑波山の歌垣の和歌を通して、感情の取り扱いを学ぶ!(詩歌とストレス 3/10) 

2015-08-05 | 第四章「愛とゆるし」

 記録的な暑さだそうで、毎日仕事から帰宅してからのビールが旨い!しかし、昼間は動きが止まってくる・・・そんな中、もう五年も経ってしまったが、楽しい仲間とバス旅行を楽しんだ筑波山を思い出した。百人一首の名歌の一つを読みながらである。(写真は筑波山のブナの大木)

 筑波嶺(つくばね)のみねより落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院

 この歌は、恋始めた女性への想い、そして淵といった人生の深さを歌った名歌だが、背景に筑波山の歌垣がある。神々しい祭りのひと時に男女が楽しく踊ったり歌ったり、そして交わう。男体山、女体山があり、みなの川が流れる風光明媚な筑波山。なにか俗っぽい風習のように思えるが、その裏腹の神聖な聖地。これは、縄文時代を勉強している私にとってとても興味のある話のように思えてならない。

   

  

 歌垣については萬葉集の次の長歌が詳しい。

 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 娘子壮士(をとめをのこ)の 行き集ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日のみは めぐしな見そ 事も咎むな 嬥歌は東の俗の語にかがひという

  万葉集 巻第9 1759 (日本古典文学全集 小学館 萬葉集(2)を参考にしています)

 この歌は裳羽服津(もはきつ)という地名がでてくるが、これは今でも残る裳萩津という地名で、この場所には縄文中期の遺跡がある。また、津という言葉がでてくるが、海進の縄文時代だけでなく1000年前くらいは、実際に川や淡水湖が豊で、港もあったのだと推察できる。また、カガイという風習は日本だけのものでもなく、東アジアにつたわるもののようだ。また、うしはく神は古事記等にも出てくる昔の神。筑波山の掛詞のようにでてくる鷲。それもトーテム的。すべてがなんとも縄文的だ。

 さて、いろいろ縄文文化について想像の羽を広げてしまいがちだが、この長歌を歌った人の感情は如何にと真面目に考えてみた。万葉集は言霊文化の真面目な書なのである。

 昔もタブーや倫理道徳は大切にされたであろう。不倫などは咎められたであろう。そんな中で人の子は弱くいろいろ罪を犯す。そして、罪悪感をはじめ様々なストレス曲線を多くの人は味わうことになる。しかし、それが歌垣という神聖な行事の中でゆるされる(ルールはあるだろうが)。歌垣は春、秋の恐らく春分や秋分と関係がある神聖な行事だったのだろう。うしはく神がゆるす。何故、ゆるすのかは多分理由があるのだが、今となってはわからない。しかし、タブーの中で暮らす人にとっては優しい神であったのだろう。

 罪悪感は心理学ではなかなか対応がしにくく、宗教が重要な働きをするとも領域とも言われている。この性という難しい領域でこの歌はエリクソンの心理学的にみても、罪悪感と目的志向性の関係を暗示している。大きな問題の中で心が開放されるとは何か?・・・そんな理論の一端だ。

 心の解放についてはまだ、言い足りないので、もう一つの長歌を明日取り上げてみたい。

詩歌とストレス 3/10

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