最近、日本人の遺伝子の研究が進み、日本人がどのように日本列島に流入してきたか、それはいつごろなのかなどが徐々に判ってきているようである。
その中の一つに日本人のY染色体で日本人のマジョリティであるD2があるが、新石器時代の15,000年前~12,000年前に日本列島に到着した縄文文化(漁撈、雑穀農耕、定住型狩猟、採集)の担い手と推定されている。ある説だと、彼らの言語が現在の日本語の原型となったとのことで、私も、いろいろ知的に興奮してしまう。
昨日、著名な小説家・高橋克彦氏の「東北・蝦夷(えみし)の魂」を手に入れた。高橋氏の説は本当に楽しく今読んでいるところであるが、彼の説では出雲を中心とした和(縄文系)に、大陸から九州に上陸し奈良を占拠するようになったヤマト族が進出し、最終的に和を破り大和(ヤマト)を設立する。その後は東北や九州に追いやられた蝦夷や隼人は和の文化を継承しつつも、ヤマトに圧倒されその歴史は勝者によって見失われたとする。
そして、和の国(東北が代表的、長崎などにも色濃くあるという説もある)は、基本的に中世は浄土思想(長崎、国東半島などはキリスト教も)が中心で、なんと万物平等の人間観等が基底にあるようなのだ。私は母がカトリック。父が浄土真宗の家庭ということもあり、その親近性は何となく感じる(私はカトリックだが)。ただ、このような人間観・価値観で成立した国は地球上に未だかつてなく、平泉が世界遺産に登録されたのも、当時の政権の優れた思想性が、今回の東日本大震災の被災者から見え隠れし、その影響があったのではと高橋氏は述べている。
厳しい自然と飢餓。さらに中央による様々な圧迫。こうした中で、生き抜いてきた縄文文化の末裔たち。今回の、東日本大震災の悲惨の中でも、生き抜くバイタリティは何なんだろう。
私は、やはり基本的な人間観にあると思う。個々人を大切にする、あたたかい心の存在を信じる。オリンピックの招致プレゼンテーションにもあった、おもてなしの心。この基底にも愛そのものの魂の存在のような思想があるのではないだろうか?
旅と真善美② 4/10