昨日は、久しぶりに母に会いに行った。そして、ちょっとしたミニ旅行をした。自分の信じるものを確認したり、自分の好きなものを食べたり、自分の好きな芸術に触れたりするのは、何となく暗い感情に支配される生活に、活気と明るさを与えるようだ。幸せそうな母を見て、こちらまで幸せになった。
さて、暗い感情は人間の本質のようであり、日々、お目にかかるわけである。もちろん、そうしたストレス曲線は人生をよりよくする宝石のような一面があり、それをバネに、より深い幸福曲線を味わうための一里塚であったりもする。しかし、日々の大半をストレス曲線に浸り、また、何となくそれでいいと居直ったりすると、周りからは疎んじられたり、本人も辛かったりする。
やはり、ストレス曲線に安住するより、少しづつでいいから、明るい感情が増えてくるような人生を歩みたいものである。
幸福には、幸福の条件と幸福感があると、生き甲斐の心理学で学ぶ。実に重要な知恵である。一般に人は、幸福の条件をもとめ、お受験、就活、婚活、終活(最近出来た言葉らしい)をしたりする。それも、もちろんこの世の中では大事な要素であり、何らかの幸福のためのゴールは必要だと思う。しかし、それで幸せになるかというと決してそうでもないようだ。もうひとつの幸福感の領域。あまり知られてないが、明るい感情の幸福曲線を意識し、それが増えるよう、質的に向上するよう意識して生活することである。
幸福感は具体的なゴールが幸福の条件のようにあるわけではない。生き甲斐の心理学テキストによると、①健全なアイデンティティの統合 ②健全な防衛機制(抑圧、抑制、感情の転移、昇華等) ③健全な現実吟味力が幸福感の領域の鍵だという。何か禅問答のような感じだが、幸福曲線に乗っている人、多くの人に慕われる方、傍にいて心から楽しくなる人もいることも事実だ。そして、彼らは決してお受験、就活、婚活、終活の勝者ではなかったりする。
旅と真善美① 8/10