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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

究極の無防備からの感動!(旅と真善美② 2/10)

2013-09-09 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 旅で寺社仏閣・教会・遺跡を訪れる人は多い。考えてみれば、最近の私の旅は、必ず寺社仏閣・教会に行っている。

 それは、宗教だけでなく、心理学的な部分も含んでいるようである。自分の中の問題を言語化したり、癒したり、時には成長に係わる心理的状況と寺社仏閣・教会が関係するのだろう。

 「生き甲斐の心理学」ではロジャースの6条件について、いろいろ学ぶ。昨日の「愛の間」も、このロジャースの6条件に関係するが、今考えている「無防備」も深く関係している。

 最近の自己事例を考えてみると、先日四天王寺に行ったときのことが思い浮かぶ。四天王寺の金堂に入ると、中村岳陵さんの日本画の仏伝図が美しい。涅槃の絵など実に感動的だった。ブッダが亡くなるときの絵は、私にとって究極の無防備の世界のようだ。そして、その絵の影響もあるのだろう、ご本像の救世観音を一目見たときに感動は深かった。

 昨年行った、ハンガリーの聖イシュトバーン大聖堂も、大伽藍の中で、一人磔刑のキリストの前で静かに祈っている老女に深く感動した。ハンガリーの歴史や教会の苦難の歴史と老女の十字架のキリストへの祈り、そういったものが十字架のキリストと重なったのだ。

 神仏との出会いは、接点のない上下関係ではなく、何か対等性が確保されている暖かい二人の人間関係に似ているのではないか。そして、それは、神仏の究極の無防備の姿とも深く関係しているのではないだろうか。

 因みに、傾聴やカウンセリングなどで話題になる無防備。かたぐるしく、きまじめで、緊張している状態ではなく、かまえや、かざりがなく、リラックスしていることが重要とされている。

 旅と真善美② 2/10

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