唐招提寺の金堂。ますます好きになってきている。若いころは、その良さが分からなかったが、昨年夏に行き、今年も3月上旬に行き、ますます感動した。「唐招提寺」の称徳天皇の勅額がかかっている南門を入ると、すぐ天平時代の金堂が眼に入る。その威容は素晴らしい。何とも美しいのだ。759年に建立され、平成になってから大修理が完了している。
この金堂は、調べてみると鑑真大和尚と共に来日された胡国人の如宝の設計という。ペルシャ方面の人の作品なのだ。金堂もエンタシスの柱とかギリシャからのシルクロードが意識されるが、設計者までがそうだったのかと納得した。実は、今年もう一回唐招提寺に行く計画があり、今から楽しみである。
さて、私は「生き甲斐の心理学」を学んでから、初めて出会ったときなどの感情を大事にするようになった。人と出会うときもそうだが、美術品を見たりする時は、なるべく説明とかを見ない聞かないで、作品を見るようにしている。すると、心が躍るような感覚とか、いろいろ湧き起る感情が意識できるようだ。まあ、様々な感情が湧くのであるが、単純に好きか嫌いかを分類するだけでも結構役に立つ。そして、それは自分の真実を垣間見させてくれる。
そして、良い作品を楽しんだ後、説明を読んだりするのだが、その時、自分の感覚と世の中の評価が一致することは、少ないと気がつく。この認識は重要だと思う。
人間関係でも、美術品ではないが似ているところがあり、大事な人間関係は~べきだ。というところがあり、湧きあがる感情を抑えて気がつかなかったりする。ところが、それはあまりよいことではなく、理論的には一旦は自分の感情を認識したほうが良いようだ。
そして、嫌いという感情であれば、その意味を考え、単純に感情に引きずられるのではなく、よりスマートな行動につなげていく。そのうちに、好きという感情に変わったりすることも。
親子だから、夫婦だから、師弟、姑嫁だから、世の中には倫理道徳的な~べき。ということが多い。初めから、~べきと感情を押し殺していると、嫌いという感情(一つのセンサーのように)が教えてくれる意味を逃してしまうのだ。友好的感情が湧くためには、感情をキャッチすることは必要条件だという理論がある。
その応用であるが、大事な人に一日どんな感情が湧き起ったか?それを、思い出し書き留めたりすると、以外な発見があったりする。感情の世界を垣間見ることができる。
なお、湧き起ってくる感情は一旦は認識する必要があるが、そのあとは防衛機制を働かせ、現実に受け入れられるような思考、行動をとることも大事である。
生き甲斐 7/10