傾聴とかカウンセリングという言葉を知り、「生き甲斐の心理学」を勉強しだして13年目になるが、傾聴は実に奥深いと思う。当初は単なるテクニックと思っていたところもあるが、そうではなく死ぬまで修行といった奥の深い分野だ。
そして、他人の悩みを傾聴するだけでなく、自分自身の本音を探求したりすることで非常に役立つ。
この傾聴の訓練方法というと、すぐ傾聴訓練といった感じで、二人でロールプレイをしたり、積極的傾聴法を学んだりすることを連想する人が多い。私も、そんなことを連想してきた。しかしこのごろ、それも大切だが、それだけでは訓練にならないと思うようになってきた。
私の恩師のテキスト49Pに共感性(傾聴のポイントとして、受容、共感、純粋と一致ということを言われるが、その大切な共感)の訓練として、次の言葉が書かれている。
一番重要な訓練方法:日常生活での自分の感情のあるがままを倫理・道徳を超えて、あたたかく、優しく自己肯定しつつ、一旦受容できますか?
これは、賛同ではなく、在るがままを優しく認めるという受容の訓練にもなるので傾聴の訓練としては非常に重要なのだろう。
当然ながら、私もこの言葉を意識し、事ある中で反省しつつ訓練を積んでいる。しかし、簡単ではない。
自分の中には感情の曼荼羅がをある。そして、それを引きづられず観る目を養う。先日訪問した長谷寺や室生寺の曼荼羅や曼荼羅図。なぜ曼荼羅を作ったのか。その意味が少し分かったように感じた。
傾聴のこの大事な訓練方法。これからより意識していきたい。
傾聴 1/10