唐招提寺の南門に掲げてある勅額が孝謙天皇の直筆であることを知り、その書をとおしてのお人柄を空想したりしてる。
ある方は、男のような字という感想を言われたが、私もそんなことを感じる。さらに、母の光明皇后の天衣無縫のような明るい字とも違い、ちょっと暗めで抑制の効いた字であることも感じた。
さて、最近生まれた年の意味を「生き甲斐の心理学」の学びを通し良く考える。生まれた年は、当然ながら本人の記憶はない。しかし、人生を左右するような人格形成はすでに始まっているのだ。もちろん親との関係もあるが、大雑把に時代の背景の影響も性格形成(深層心理も含め)にとって凄いようだ。
生まれた年をWikipediaで検索すると、当時の情報がかなり詳しく出てくる。私の場合も1951年を観るとすぐわかる。1951年は、安保条約ができ、サンフランシスコ講和条約が締結され、マッカーサーが解任されるなどが大きなポイントだ。朝鮮戦争の勃発による大きな時代の流れが始まる年といってもよい。戦後すぐの占領時代からちょっと明るい日差しが垣間見られる時代。アメリカの政策で一喜一憂する世代かもしれない。
話を元に戻そう、孝謙天皇が生まれた718年を調べてみる。詳しい情報はあまりなかったが養老律令が藤原不比等により選定を開始する年となっている。藤原不比等全盛の時代なのだ。それが、どう性格形成に影響を与えたのだろうか?父も母も不比等の影響はものすごいことは想像できる。孝謙天皇の人生は藤原氏に振り回された人生といっても良い。女性で初めて皇太子になり未婚を通さねばならない人生。藤原氏に政権を牛耳られるが、天然痘で藤原氏が没落。その後、仲麻呂の乱で政権を取り戻すが道鏡事件など不思議な事件も続く。
こんなふうに、生まれた年を思索すると、いろいろ見えてくることがある。そして、人の身体は神の神殿とか人間に宿る仏性とか・・・いろいろあるが、自己肯定・他者肯定の視線で考えると、人の生の不思議さや美しさが見えてくる感じである。私にとって、生まれた年を思索することは、人嫌いになるのではなく人好きになる修行のようだ。
生き甲斐 9/10