他人に出会うと、人はその人を瞬時に判断して好きか嫌いか、怖いか怖くないかを見抜くと言われている。原初感情といわれるものだ。
これは、人間でなくても動物にも当てはまるようである。
先日、孫娘と遊ぶ中で、廃品のDVDを7枚紐で繋げて首飾りのようなものを作った。首に吊るして、お化けの真似をしたりした。孫娘も驚いたり笑ったりキャッキャしたが、飼い犬のノコちゃんも、明らかに驚愕しつつ、私だと知って尻尾をふったりの錯乱状態であった。
さて、心理療法の必要にして十分な条件を満たすとされる傾聴について語ろう。
傾聴が成り立つポイントの一つは熱意である。お客様の顔を見ないで一方的に話すセールスパースン。パソコンを眺めてばかりの医師。一方的に話すだけの教師。人のことは言えないが熱意のない状態は傾聴とは限りなく遠い。
そして、熱意のもとは、何を隠そう好きかどうかである。
傾聴は、自分の感情にも気をつかう。傾聴するお相手に対し湧き上がる感情が好きであれば熱意も湧くが、嫌いな場合はだめだ。
相性がよくて、いつもお付き合いをしている人でも、その時その時で湧き上がる感情が嫌いということもある。初対面ということもあり、何か過去の経験が重なって、嫌だなという方もいる。
こうした時、嫌いな感情を好きに変えるべく知恵を絞りつつ、本物の熱意を引き出し傾聴していく。その原動力は意外にも思想・哲学の世界、人間観の世界だと思う。極端な言い方だが、ヒットラーでも愛せるような思想・哲学があれば乗り越えやすい。
感情の世界は実に神秘的である。泣いたカラスがもう笑うという話もあるが、激しく変わることもある。怒りが友好的感情に、ウツが幸福感に・・・それを待つのである。
最後に傾聴は、感情労働?そのもの。50分が限界ともいわれる。無理をしないで自分も大切にすることも大事だと思う。
傾聴 2/10