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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

多様な人の心を知って驚く!(自己愛のことを知ろう 6/10)

2012-09-18 | 第五章「和解と平和」

 この夏は、「一房の葡萄」(有島武雄著)を何回も読んで感動し、時々「生き甲斐の心理学」の勉強会でも話題として取り上げた。その中で気が付いたのだが、一人で読みこんでいると、深まるのは良いが自分の思い込み(固定観念)ができ、狭い世界を形作ってしまいがちちということだ。様々な経験を積んだ他者と一緒に読書の話題をしてると、多様なひとの心(生育史)の不思議さ・美しさに妙に感じてしまう。へー、こんな見方ができるんだと。自分の世界の狭さに愕然とすることも。

 逆の見方をすれば、自分は自他混同したり、理想と現実を混同しがちな存在ということかもしれない。それが真実を曇らせ、「一房の葡萄」の主人公は、こうした感情に支配されていたに違いない・・・とか、こう解釈すべきだと述べてしまいがちになる。相手をろくに知りもしないのにかってに解釈したり、自分のかってな理想から裁いたりする。そういう、不安定さをもっていたのだ。

 さて、自他混同、理想と現実を混同しがちな私ではあるが、この特性のことを別の観点から考えてみよう。

 私は動物園が好きで、よく散歩がてらに行くが人間と動物(霊長類を含め)と何が違うのかと考えることがある。キリスト教文化などでは、霊魂は人間だけと考えることが多いが、どうだろうかと。よく考えると、人間だけが高度な言語文化、コミュニケーション文化を持っているのが違いかなと思う。

 動物は、自分の置かれた時間・空間にかなり縛られる。一方、高度なコミュニケーション能力をもった人間はどうだろう。数千年前の異国の人が書いた記録を知ったり、あるいは、妄想かもしれないが、このブログでさえ、外国から特定の未来からでさえ読むこともできる。考えてみれば不思議だ。ヨハネ福音書の初めの言葉。「初めに言があった。」はこうしたことも言っているかもしれない。

 そして、この不思議な人間の能力と裏腹に、自他混同や理想と現実の混同もおこりがち。

 自己愛のことを知ろう 6/10

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