ふらっと、本屋さんに入ってみると、東日本大震災関係の写真集や本が陳列してあった。何気なく立ち読みしていたが、大震災からもう半年たったんだと実感した。そして、気になった児玉龍彦教授の記事が載っている、文藝春秋を買い求めてしまった。
さて、家に帰って読むと、震災当時に大活躍した東京消防庁レスキュー隊や自衛隊の責任者の投稿もあり、いろいろ考えさせられた。
私も孫がいる関係上、放射能汚染などにも神経質になっていて、いつのまにか東日本大震災の話題になると怒りが占有し、感謝のこころを忘れていたのかなと想った。
精神病理学では、本音の感謝や満足を大切にする。このことは、「生き甲斐の心理学」を学んだ、とても役にたつ知見なのだ。自己事例を考えても、こころの奥底の感謝心を忘れる時は病理に近い時に気づいたからでもある。
コップに水が半分しか入ってないとき、半分しかないと嘆く解釈もあるが、半分も残っているとする解釈もできる。半分しかないと嘆き、全面戦争をする立場も決して非難できないが(祖先がそれで頑張ってくれただろう)、半分も残っているとして、こころを自由にし困難を克服するのは生命の知恵といって良い不思議である。
命を賭し、隊長を信頼し、素晴らしい活躍をした放水作業。日本では稀有の10万人の大組織で、「すべては被災者のために」と過酷な仕事をした自衛隊。
さらに、知人が関わっているので個人的に関心の高い、循環注水冷却システムは、通常なら何年かかるか判らない大システムを数箇月で本格稼働したのも奇跡に近いと思う。
そうした事実を思い出し、この日本も捨てたものではないと感じると、何かが変わるようである。
しかし、こころの底を流れる感謝心。これは何だろう。人とは何だろうという問いかけでもある。
こころの解放 5/10