昨日は一日休みで、孫がいる葛飾区に出かけた。孫に会いたいということもあるが、先日購入したガイガーカウンターで娘夫婦や孫の安全を確認したかったこともある。
夕方、江戸川まで、のんびり歩きながら測定をしたりして過ごした。寅さんの舞台の江戸川河川敷でも測定したが、東京都の中でも東側で北側の葛飾区は年間の放射線量が1mSvを超えると言われていた。実際に測ってみると、八王子と同じで、地域により高い数値を示すところもあり、そうでない地域もあったりする。
江戸川沿いの金町は、区の発表する発表値と同じような値(0.1〜0.2μSv/時)であったが、地表に置いて測定すると二倍近くの値をしめすようで土壌が確実に汚染されていることが判った。安全な年間累積線量をどう考えるか議論が分かれるところであるが、一つの目あすである1mSv/年は時間当たりに計算してみると、0.114μSv/時となる。
発表値は0.1〜0.2μSv/時なので、安全と仮定しても地表は仮に2倍とすると、その数値は確実に1mSv/年を超える。犬や幼児・子供の影響はどうか確かに心配である。
ただ、子供や孫のいる住居内は、八王子の私の自宅と変わらず1μSv/毎時を下回っていたので安心した。
さて、夜、娘夫婦と孫と近くのファミレスで食事をした。そのとき、混雑していて和室の食事の席が取れなかったこともあり、孫が落ち着かず皆困った。私は、孫と動物園に行ったときに、孫が階段がどういうわけか好きで、ほっておくと一人で階段をいつまでも上りおりしていることを思い出し、階段につれていった。そして、孫は階段をのぼりおりすると何かが満たされたようであった。
放射能汚染にも負けず(と言っても、孫は放射能汚染をどこまで理解しているかは大いに疑問だが)、階段を昇り降りする姿を見て、何か胸があつくなった。
ただ、この現象も「生き甲斐の心理学」の観点から見ると、昨日の「私は何のために生きているか?」と問いかけるのと同じ自己実現の領域で、自分のやる気、生き甲斐を大切にすることに直結している。
自分でも人生の危機のとき、どういうわけかマンションの管理組合の理事長で、その時の管理会社や修繕費の調達で燃えていたことを思い出す。危機とは全く関係ないことでありながら、その時々の生き甲斐を生きることは、こころの健康と大いに関係しているように思う。日々の厳しい不安感の中で生き抜くときのオアシスである。
なお、今回の「不安を観る」は「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)の系統図を参照していますので、是非参考にしてください。図のAに当たるところを昨日から明日まで思索します。)
不安を観る 9/10