日々、目まぐるしく変わる感情にお付き合いしている私であるが、感情そのものについては昔は余り考えなかった。図書館や本屋さんにいっても、感情のことを正面から扱った本は極めて少ない。一般に感情そのものについての関心は少ないのだろう。
ところが、心理療法やカウンセリングの世界では、この日の当らない感情が主役になる。「生き甲斐の心理学」を知って驚いたもである。ほんの一例であるが、先日のプロセススケールでも真っ先に、「感情と個人的意味づけ」が出てくる。
さて、ちょっと試しに感情の問題をださせていただく。私も似た経験があるが、よくある悩みのパターンである。このストーリー、何かちょっと変なのであるが。少しお考えください。
<AさんはBさんを大切にしている(夫婦とか親友とか親子など・・・)。しかしある日、ちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。Aさんは感情的にBさんを憎んでいる自分自身に気付く。そして、私はなんていう人間なのか・・・と自己嫌悪に陥っていく。そして、だんだん他人も自分も信頼できない感じに陥っていく。>
湧きあがる感情に、自分はなんという人間かと自己嫌悪したり、抑圧したりする。過去を思い起こせば、自分とは無縁な事例ではないようだ。
さて、何が変なのか。
一つは、憎らしい感情を持つことに、自己嫌悪していることだ。つまり、Bさんを憎らしいと感じるが自分がダメと混同してしまう。しかし、良く考えれば、Bさんに憎いという感情を持ったということ以上の事実は本来ないのである。そして、それは、ある意味でセンサーの信号のようなものではないか。その信号をどう判断することが本来の意味で、決して自己を否定する必要はないのでは。
しかしながら、感情の世界は扱いに難しいのも事実であり、いつの間にか感情転移の玉突き事故のようになることもある。
しかし、感情は大切なセンサーと考えて日常生活を送ると、とても大切な気づきを得ることも確かである。以前、男なのに微かに嫉妬を感じたことがあるが、その気付きを熟考することで、とても建設的な人生の選択ができたこともある。
何故、このような感情が湧くのか?考えると楽しいものである(感情自体は嫌であっても)。
(こころを鍛える④(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 25/60)
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