こういう理想の自分になりたいとか、こういう自分は嫌だと考えるようになったのはいつごろのことであろうか。小さいころはスーパーマンの真似をしたりして楽しかったが、10歳ごろからは現実の自分に気付き、物思いにふけったりしていた。
理想でも現実でも良いが、そう解釈するのは自分であり、本来解釈の仕方はそれこそ自由なのであるが、そんなことは中々見えない。また、人生経験も知識も少ないので、型にはまった理想や現実認識になりがちである。
思春期から、青年期にかけて、自分が解釈した理想と現実のギャップは急に拡大してくる。そんなとき、自分を否定したり自虐的になっていった。しかし、今思えば、それは簡単ではあっても、何の果実も得られない空しい態度だったと思う。
傾聴のポイントの一つである、「受容性」は、相手のありのままをいったん受け入れるといことである(賛同することではない)。
そして、効果のある訓練方法は、意外かもしれないが様々な顔をもつ自分を否定せず、いったん受け入れる訓練である。自分は優しいところもあるが、邪悪なところもあり・・・といったふうに。
自分の邪悪なところといっても、そういう自分をいったん否定せず考えてみると、自分なりに切実な理由があったりする、影響された環境や歴史もあったりする。
また、見方を変えると、すべては自分の解釈から成り立っている。そして、その解釈を生み出した原因もある。ちょっとした傷となっている過去の出来事も、解釈を運よく変えることができると、自分が変わったように感じることもある。
もうひとつ、幸運なことに、ありのままの自分をお説教されるのでもなく、受け入れてもらう経験も大切だ。優しい先生から、あるいは、友達や身内から。神仏からということもある(現象学的なことは決して馬鹿にできない。)
ありのままの自分をいったん受け入れる訓練をつんでいくと、傾聴の相手をありのままに受け入れることが、よりできるようになってくる。
型が人を作ることもあるから、傾聴のときに嫌みな質問をしないとか、詰問的にならないとか、押し付けないとか、誘導的にならないなども重要な指針かもしれない。
受容性は、人に何とも言えない優しさを産み、それが相手を癒していく。
(こころの援助を考える⑬(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 14/60)
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