先日、黒沢明氏の名作「生きる」をDVDで見た。市役所の課長が、ガンになり自分の死を悟り、人が変わったように、充実した日々をおくるという話である。
昭和27年の私が生まれたころの映画であり、また、曽祖父がやはり役人だった(もう、私が生まれたころは他界していた)こともあり、身近に感じながら映画を見た。
映画制作当時は、エリザベス キューブラー ロスの死の5段階プロセスも、アルフォンス・デーケン神父の死生学もなかったのであるが、主人公のこころの動きと成長のプロセスが良く判る。
このプロセスは、先に述べた、カール・ロジャースの心理療法の必要かつ十分な6条件にもつながる。あるいは、企業の方針管理や品質管理のプロセス、創造工学の等価変換理論などともそっくりである。
こうした成長に関するプロセス(真善美に向かうような)を知ってどうなのかともう一度考えた。例えば死については、自分の経験していないことなので、どこまで実感しているかは心もとない。ただ、こういうプロセスがあることを知ることで、何らかの準備ができるだろう。
既に、私は学校生活に別れを告げた、企業生活にも別れを告げた、やがて遅かれ早かれ確実に死ぬ運命なのである(やらなければならないことも、まだある)。そして、死ねば大切な人達にも、別れを告げなければならない。
勿論、私は伝統宗教を信じているので来世を信じる(来世を信じないのも、信じるのも同じように不確かなので、あると仮定して成長を目指し生きたほうが、明らかに懸命ではないだろうか?)。そして、究極の天国で大切な人達とも再会することを・・・
(こころの援助を考える⑰(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 18/60)
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