昨晩は、久し振りに夜の東京駅周辺を堪能した。新丸ビルができ、イルミネーションも綺麗で、八王子からのこのこ出てきた私にとって刺激的であった。
夜の大都会の風情も良いが、やはり、人との語らいはもっと刺激的である。後で、その時の会話を魂と魂の語らいと考えてみたりすると、さらに奥深いものを感じる。
人と人の関係は、自分とそれ(ドイツ語だと、IchとEs)もあるが、もっと親密な我と汝(IchとDu)の恋人のような関係もあると、学生の時にドイツ語の時間にならった。
さて、男女の仲、親子、友人、同志、福祉や介護の世界、神仏・・・様々なところで、私は我と汝の関係を求めようとしてきたかもしれない。
しかし、それは若い頃考えたよりは遥かに難しい。「生き甲斐の心理学」を学ぶようになり、その理屈を知った。今、手にしている、ジョン・ウェルウッドの「男女の魂の心理学」(日本教文社)の冒頭に次の記述がある。
「この社会では、男と女の関係についてほとんどの人が奇妙な思いこみにとらわれている。自分自身に対して豊に、しっかりと関わっていかなくても。恋愛のパートナーとならそれが可能だ、と。
・・・相手とうまく関わっていけるかどうかは、自分に対してどれだけ心を開き、深くかかわっていけるかどうか次第だ・・・」(2ページ)
これは、男女の問題であるが、恐らく、他の関係でも同じかもしれない。我と汝の関係の必要条件を述べているのだと思う。
もちろん相手は、自分と違った愛の原型を持ち、自分と違った生育史と身体を持った別の存在である。深層心理の世界では、自分以外の他人は驚きの対象と言われるようでもある。
我と汝の関係が成立するのは、想像以上に得がたいのだろう。それでも、人生の中で、我と汝の関係を求めることは意義があり、生き甲斐そのものになるようだ。
司馬遷が宦官という最大級の恥辱を受けても、執念で書いた史記の中にも、刎頸の友など義に生きる人の話が多い。古今東西の名著を鑑賞したり、身近な人の著作を鑑賞しながら、さまざまな関係を考察することは重要なようだ。究極は自己肯定・他者肯定が成功のポイントだと思うが、この世はそうは行かさないようにできてるようでもある。
次回から、自分の力不足を知りつつ、4つの分類で「愛とゆるし」を考察していきたい。
<幸福感 4/4>
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