いつもこのブログにコメント頂いている
お一人の「さらさ」さん
この24日の記事「風車のように」で
> どうしても晴れなかった心の澱みを
> やっと、風が吹き流してくれました。
と書かれていたので、
最近、聞いたお話をご紹介したいと思います。
聞いたお話に、僕なりに解釈を加えさせていただくことをお許しください。
それは
何故、心を「こころ」というのか…
というお話
心を「こころ」と呼ぶのには二つの意味があるそうです。
一つは、「心はココル」から
体がコルように、心もコルのだそうです。
心が疲れているとき
そんなとき、いつの間にか視野が狭くなっています
それを「心はコッている状態」というそうです。
体のコリを解すには温泉に行ったり、マッサージをしたりしますが
心のコリを解すには「話をする」のが一番なのだそうです。
ただし、「ちゃんと聞いてくれる人」と
最近は、人の話を聞くフリをして
実は「自分の価値観:善悪・良否に照らして裁く(評論する)人」が増えているそうです。
これをやられるとますます心はコッてしまう
人は心がカチカチに固まってしまうと死んでしまう
生き物なのだそうです。
だから、活き活きと生きるためには
心が柔らかい状態でいること…だとか
そういえば、僕自身も相手の相談に乗っているつもりが
いつの間にか自分の価値基準を披露したり
押し付けていることに気づかされました。
その結果として相手の心に及ぼす影響の大きさにドキッとさせられました。
振り返ると、つくづく恐ろしいことをしてきたものです。
娘が将来のことを相談してきたときもそうでした。
以来、娘が僕にろくに話をしてくれなくなったのも頷けます…
気づいて直ぐに、僕なりに娘にはきちんと謝りましたが、
心の傷は癒えないのかも知れません
本当に相手の身になる、
相手が理解して欲しいと願っていることを受け止められる
そんな人間であれば、心のコリを解すお手伝いができるのでしょう
まだまだ僕は修業が足りそうにありません。
心のコリを解すには、もう一つ方法があるそうですが、
聞きそびれてしまいました(^^;ゞ
自分の経験では、「好きなことに夢中になる時間を持つ」かな~
・ゆったりと風呂・温泉に浸かる
・旅行に出かける
・爆睡する
なども心のコリ解消に役立ちそうですが、
なんだか対処療法に過ぎないような気がします。
周りの誰のためでも無く、純粋に自分が好きなこと
それだけのために徹底して集中できる時間を準備する
とそれだけで随分と違うようです。
(念のために申しますが、
「決して他人に迷惑をかけない範囲で」が大前提ですから…)
一見、どちらも対処療法のようですが、強いて言えば
・前者は心のコリを散らす(気分転換)
・後者は心の願いを叶えてあげる
違いがあると感じます。
勿論、入浴・旅行・寝るが大好きな方は、
それで十分なので、これはあくまで僕の場合…なのですが
さて、もう一つのお話は「心はコロコロ変わる」
悟りとは、いつも穏やかな心の状態になることでは無いようです。
勿論、そのように成れればそれに越したことはないのですが、
「完全に外部の何にも反応しなくなるのは死んでいるのと同じ」とも聞きました。
心とは何かにつけコロコロと反応し、
コロコロと移ろってゆくものである
と達観する
そのことが大切なようです。
ですから、逐一起こってくる想念を握り締めず・囚われず
サラサラと流してゆくことができると
かなり心が楽な状態でいられるのかも知れません。
自分の心が不平不満を叫んでいて
周りに誰も聞いてくれる人が居ないとき、
「そうだよね。わかるよ。よしよしもう大丈夫だよ」と
まるで幼子のダダを聞いてあげるかのように
自分の心の不平不満を丁寧に聞いてあげていると
いつのまにか心は満足して不平不満の声が小さくなる
という「技」を別な方から教えてもらったこともあります。
ただし、あくまで幼子のダダを聞くようにするのであって
そのダダに飲み込まれてはなりません。
この方法を実践するためには、言い換えれば
自分自身を客観視できることが大前提であって
自分の心を客観視できないと、逆に
不平不満の声に飲み込まれて乗っ取られ
暴走を助長してしまいそうです。
心という何か良く判らない存在
肉体のように鏡という外部に映し出し難い存在
しかし、確実に自分の内部に存在する心…
人によっては魂とか、精神とか内面と表現されるもの
「これ」とどのように向き合い、付き合ってゆくか
宗教・哲学・心理学などの動向を眺めつつ
恐らく人類の根源的なテーマなんでしょうね
と、世間の超片隅のブログで「呟いて」しまいました…(^^;ゞ
m(_._)m
追伸
心を外部に映し出す方法はあるようです。
最も簡単なものは、日記(行為の記録ではなく、感情・思いの記録)を
書くことだそうです。
そういう意味ではブログも自分の心を
客観的に映し出すことをしている
ことになっているようですネ
お一人の「さらさ」さん
この24日の記事「風車のように」で
> どうしても晴れなかった心の澱みを
> やっと、風が吹き流してくれました。
と書かれていたので、
最近、聞いたお話をご紹介したいと思います。
聞いたお話に、僕なりに解釈を加えさせていただくことをお許しください。
それは
何故、心を「こころ」というのか…
というお話
心を「こころ」と呼ぶのには二つの意味があるそうです。
一つは、「心はココル」から
体がコルように、心もコルのだそうです。
心が疲れているとき
そんなとき、いつの間にか視野が狭くなっています
それを「心はコッている状態」というそうです。
体のコリを解すには温泉に行ったり、マッサージをしたりしますが
心のコリを解すには「話をする」のが一番なのだそうです。
ただし、「ちゃんと聞いてくれる人」と
最近は、人の話を聞くフリをして
実は「自分の価値観:善悪・良否に照らして裁く(評論する)人」が増えているそうです。
これをやられるとますます心はコッてしまう
人は心がカチカチに固まってしまうと死んでしまう
生き物なのだそうです。
だから、活き活きと生きるためには
心が柔らかい状態でいること…だとか
そういえば、僕自身も相手の相談に乗っているつもりが
いつの間にか自分の価値基準を披露したり
押し付けていることに気づかされました。
その結果として相手の心に及ぼす影響の大きさにドキッとさせられました。
振り返ると、つくづく恐ろしいことをしてきたものです。
娘が将来のことを相談してきたときもそうでした。
以来、娘が僕にろくに話をしてくれなくなったのも頷けます…
気づいて直ぐに、僕なりに娘にはきちんと謝りましたが、
心の傷は癒えないのかも知れません
本当に相手の身になる、
相手が理解して欲しいと願っていることを受け止められる
そんな人間であれば、心のコリを解すお手伝いができるのでしょう
まだまだ僕は修業が足りそうにありません。
心のコリを解すには、もう一つ方法があるそうですが、
聞きそびれてしまいました(^^;ゞ
自分の経験では、「好きなことに夢中になる時間を持つ」かな~
・ゆったりと風呂・温泉に浸かる
・旅行に出かける
・爆睡する
なども心のコリ解消に役立ちそうですが、
なんだか対処療法に過ぎないような気がします。
周りの誰のためでも無く、純粋に自分が好きなこと
それだけのために徹底して集中できる時間を準備する
とそれだけで随分と違うようです。
(念のために申しますが、
「決して他人に迷惑をかけない範囲で」が大前提ですから…)
一見、どちらも対処療法のようですが、強いて言えば
・前者は心のコリを散らす(気分転換)
・後者は心の願いを叶えてあげる
違いがあると感じます。
勿論、入浴・旅行・寝るが大好きな方は、
それで十分なので、これはあくまで僕の場合…なのですが
さて、もう一つのお話は「心はコロコロ変わる」
悟りとは、いつも穏やかな心の状態になることでは無いようです。
勿論、そのように成れればそれに越したことはないのですが、
「完全に外部の何にも反応しなくなるのは死んでいるのと同じ」とも聞きました。
心とは何かにつけコロコロと反応し、
コロコロと移ろってゆくものである
と達観する
そのことが大切なようです。
ですから、逐一起こってくる想念を握り締めず・囚われず
サラサラと流してゆくことができると
かなり心が楽な状態でいられるのかも知れません。
自分の心が不平不満を叫んでいて
周りに誰も聞いてくれる人が居ないとき、
「そうだよね。わかるよ。よしよしもう大丈夫だよ」と
まるで幼子のダダを聞いてあげるかのように
自分の心の不平不満を丁寧に聞いてあげていると
いつのまにか心は満足して不平不満の声が小さくなる
という「技」を別な方から教えてもらったこともあります。
ただし、あくまで幼子のダダを聞くようにするのであって
そのダダに飲み込まれてはなりません。
この方法を実践するためには、言い換えれば
自分自身を客観視できることが大前提であって
自分の心を客観視できないと、逆に
不平不満の声に飲み込まれて乗っ取られ
暴走を助長してしまいそうです。
心という何か良く判らない存在
肉体のように鏡という外部に映し出し難い存在
しかし、確実に自分の内部に存在する心…
人によっては魂とか、精神とか内面と表現されるもの
「これ」とどのように向き合い、付き合ってゆくか
宗教・哲学・心理学などの動向を眺めつつ
恐らく人類の根源的なテーマなんでしょうね
と、世間の超片隅のブログで「呟いて」しまいました…(^^;ゞ
m(_._)m
追伸
心を外部に映し出す方法はあるようです。
最も簡単なものは、日記(行為の記録ではなく、感情・思いの記録)を
書くことだそうです。
そういう意味ではブログも自分の心を
客観的に映し出すことをしている
ことになっているようですネ
大事な事を書き忘れていました。
心はコロコロ変わる
の後…
イヤ~な気分になった時や、
嫌な感じの夢を見た後など
が大事なのだそうです。
波が寄せては返すように
止まない雨が無いように
ずっと優れないことが続くことも無い
そのことを悟り確信するなら、
夢見や、一時の気分に囚われ続けて
本当は良いこと・幸せなことに
出逢っているにも関わらず
それと判らないで不幸なままで居ることは
無くなるということです。
不幸になりたいのなら、不幸を数えればよい
幸せになりたいのなら、幸せを数えるがよい
僕自身は、勿論…(^^;ゞ
自称「先天性ラッキー症」ですから
o(^o^)o
予後は、とっても「ハッピー」ですね!!
私にもうつしてください♪
もう、うつっていませんか?
o(^o^)o