投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

2010年06月21日(月)

2010年06月21日 | 映畫
●男はつらいよ 柴又慕情/1972/山田洋次監督/渥美、吉永小百合、宮口二、倍賞千惠子、前田吟、松村達雄、三崎千惠子、太宰久雄、笠智衆
◎地上波で直接觀た。若い頃は「男はつらいよ」は全く受け付けず、どれが最初だつたかは忘れたが初めて觀たのはもうシリーズが相當進んでからのことだつた。東京嫌ひの身には柴又などどうでもいい話だし、それに主人公が香具師ではとても付き合ひ切れない。しかしやはり實際に觀てしまへばその面白さに引き込まれて、結局順不同ながらシリーズ全作を觀てしまつた。香具師についても私なりに少しは理解も出來るやうになり、渥美の藝の小氣味よさも愉しめるやうになつた。古い時代、人口の多い都市部以外では定住型の商工業が仕事として成り立たず移動型の商人が普通の存在であつたこと。まして祭りの人出を當てにした商賣はあちこちの緣日を渡り步く他なく、自分たちの生存權確保のため同業者間に獨特の結び付きが生まれて閉鎖的な集團を作り、同時に祭りといふハレの場を演出するための口上を藝として育てて來た。その名殘りだと思へば確かにそこには日本の原風景に繫がる何かがあり懷かしさも感じられる。若い頃に拒否反應があつたのは暴力團との混同によるものだが、始まりは別の存在だつたらしい。その特殊な業態から販賣價格に對する利率の高さは想像できるがそれさへ納得できればやはり香具師は祭りの華のひとつであつたはず。ただし個人的には寅次郎のやうな口上賣りは子供の頃に何度か見た切りで、私の場合は人込みが嫌ひで祭りに出掛けないからだが、實際にも最近ではもう單なる露店があるばかりで口上賣りは探すのも難しいのだとか。映畫の中の寅次郎がどの程度商賣に勵んでゐるのかその結果どの程度稼いでゐるのか詳細は不明ながら、とりあへず仕事はしてゐるわけだから臺詞にあるやうな「遊び人」ではない。話の中身はシリーズ全作を通してほとんど同じだつたはずで、寅次郎が出逢つた美女に一目惚れするもののあれやこれやで結果は失戀、また長い旅に出たところで映畫は終はる。しかし要するにその「旅」が仕事なのだから何もいけないことではなく寅次郎の日常に戾つただけ。逆に言へば寅次郎が戀に惱んでゐる間は一種の休日なのだ。今回の休日に戀する相手は小説家の娘で、何やら淋しげな歌子。剽輕者の寅次郎が氣に入つて「とらや」に訪ねてくるが、そこでさくらや博に惱みを相談するうちに決心が付き父親の反對を押し切るやうに結婚してしまひ、結果としてまた寅次郎を失戀させることに。歌子の父の小説家役で宮口二が出てゐるがこれが絶妙の配役で、やや線は細いが日本文學史に大きな名を殘す佐藤春夫を彷彿させるいかにも頑固さうな風貌。2年後に同じ配役で續篇が作られることになるのだからたぶん好評だつたのだらう。とにかくこれがシリーズ第9作で、この段階ですでに寅次郎の失戀話はパターン化してをりしかもそのこと自體をネタにして笑ひを誘つたりしてゐる。この先さらに40作近くも同じやうな話が續き同じやうな笑ひを笑ふことになるとは誰も想像してゐなかつたことに違ひない。