博物館実習、5日目のレポートです。この日はカリキュラムの順序を変更して、朝から拓本の採取、午後からはこの歴史館で開催中の秋の特別展の分析と、そのあとはいよいよ自主企画展の発表です。とくに午後の2つのプログラムは6日間の実習カリキュラムのヤマ場といってもいいと思います。
土器の拓本は前日に続いて西田さんに指導していただきました。この日は腕時計や胸のペンをはずして実習に臨みました。まず最初に、使用する道具とそれを使って拓本を採る手順を西田さんの実演によって教えてもらいます。実はここで使用するタンポという道具も手作りでした。まず弥生土器の破片の拓本です。ご存知の通り、弥生土器の表面はさほど凹凸がないので、手順通りにやれば比較的簡単にきれいにできました。それを3つくらいやったあと、メインイベントの瓦の拓本です。瓦は弥生土器と違って凹凸が大きくてうまく紙が瓦にくっついてくれません。しかも瓦の破片は安定が悪くて倒れないように手で支えながらの作業。水をたっぷりつけて、しっかり空気を抜いて、小さなタンポでしっかり押さえて、、、少しづつコツがわかってきました。何とかできあがったタイミングでランチタイムです。
午後の1つめ、特別展の分析は実は2日目の実習終了後にじっくり展示を見ていたのと、前日にもう一度確認したことで、自分なりの考えが整理できていました。展示の分析というか評価を「良い点」と「改善余地」に分けて箇条書きにしてまとめた紙をもって白石さんと展示室へ入り、それを順に説明していきました。同意していただいたこともあり、また早速改善してくれたこともあり、きちんと受け止めていただいたことを嬉しく思いました。
さあ、そしていよいよ実習のメインイベント(私がそう思っているだけですが)、自主企画展の発表です。初日のオリエンテーションで説明を聞いてから頭の中はほぼこの自主企画展のことで占められていました。まずはテーマを決めないことには始まりません。過去の実習生の企画書を見せていただいたところ、皆さん自由な発想で自分の得意分野、例えば人形とか野球とかの展示を企画していましたが、この博物館で実習を受けている以上、私はどうしても和泉市の歴史に因んだ展示を考えたかった。2日目にフワッとしたアイデアを白石さんにお話ししたら参考図書を頂くことになりました。感謝です。そして出来上がったのがこれ。
左が企画書の表紙、右がチラシのイメージです。20年の館の歴史の中ですでに似たような企画展が実施されてるかもしれないということと、やはり時間がない中で情報を集めきれずに生煮えの状態が否めないことで、不安な気持ちで発表しましたがアイデアは我ながら満足しています。
単に各地の環濠集落遺跡を紹介するのではなく、それらの中でも池上曽根遺跡は日本最大規模を誇り、その池上曽根遺跡の誕生が端緒となって和泉の発展が始まり現在に至っているというシナリオで、和泉の素晴らしさを伝えたかった。
今回、この自主企画展のために和泉市の古代遺跡や遺跡の立地と密接な関係にある地形について調べましたが、興味が尽きませんでした。和泉市史第6巻も大変興味深く読みました。
和泉市というところは知名度の高い堺市と岸和田市に挟まれていること、みさき公園や大阪南部の海水浴場などに行く観光客が使う南海本線が通っていないこと、大阪湾に面していないので地図に埋もれてしまっていることなどの理由から他の地域の人からあまり知られていませんでした。最近でこそ和泉中央駅を中心にニュータウンが開発されて人口流入が起こっていますが、同じ泉州地方の貝塚市で生まれ育った私ですら大人になってからもJR阪和線の和泉府中駅には快速が停まるということくらいしか知りませんでした。
でも、自分で調べてみたからこそ、和泉市は古代からの歴史が溢れる町で、まだまだ自然が残る素晴らしい所だということがわかりました。おべんちゃらではなく、和泉市のファンになりました。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
土器の拓本は前日に続いて西田さんに指導していただきました。この日は腕時計や胸のペンをはずして実習に臨みました。まず最初に、使用する道具とそれを使って拓本を採る手順を西田さんの実演によって教えてもらいます。実はここで使用するタンポという道具も手作りでした。まず弥生土器の破片の拓本です。ご存知の通り、弥生土器の表面はさほど凹凸がないので、手順通りにやれば比較的簡単にきれいにできました。それを3つくらいやったあと、メインイベントの瓦の拓本です。瓦は弥生土器と違って凹凸が大きくてうまく紙が瓦にくっついてくれません。しかも瓦の破片は安定が悪くて倒れないように手で支えながらの作業。水をたっぷりつけて、しっかり空気を抜いて、小さなタンポでしっかり押さえて、、、少しづつコツがわかってきました。何とかできあがったタイミングでランチタイムです。
午後の1つめ、特別展の分析は実は2日目の実習終了後にじっくり展示を見ていたのと、前日にもう一度確認したことで、自分なりの考えが整理できていました。展示の分析というか評価を「良い点」と「改善余地」に分けて箇条書きにしてまとめた紙をもって白石さんと展示室へ入り、それを順に説明していきました。同意していただいたこともあり、また早速改善してくれたこともあり、きちんと受け止めていただいたことを嬉しく思いました。
さあ、そしていよいよ実習のメインイベント(私がそう思っているだけですが)、自主企画展の発表です。初日のオリエンテーションで説明を聞いてから頭の中はほぼこの自主企画展のことで占められていました。まずはテーマを決めないことには始まりません。過去の実習生の企画書を見せていただいたところ、皆さん自由な発想で自分の得意分野、例えば人形とか野球とかの展示を企画していましたが、この博物館で実習を受けている以上、私はどうしても和泉市の歴史に因んだ展示を考えたかった。2日目にフワッとしたアイデアを白石さんにお話ししたら参考図書を頂くことになりました。感謝です。そして出来上がったのがこれ。
左が企画書の表紙、右がチラシのイメージです。20年の館の歴史の中ですでに似たような企画展が実施されてるかもしれないということと、やはり時間がない中で情報を集めきれずに生煮えの状態が否めないことで、不安な気持ちで発表しましたがアイデアは我ながら満足しています。
単に各地の環濠集落遺跡を紹介するのではなく、それらの中でも池上曽根遺跡は日本最大規模を誇り、その池上曽根遺跡の誕生が端緒となって和泉の発展が始まり現在に至っているというシナリオで、和泉の素晴らしさを伝えたかった。
今回、この自主企画展のために和泉市の古代遺跡や遺跡の立地と密接な関係にある地形について調べましたが、興味が尽きませんでした。和泉市史第6巻も大変興味深く読みました。
和泉市というところは知名度の高い堺市と岸和田市に挟まれていること、みさき公園や大阪南部の海水浴場などに行く観光客が使う南海本線が通っていないこと、大阪湾に面していないので地図に埋もれてしまっていることなどの理由から他の地域の人からあまり知られていませんでした。最近でこそ和泉中央駅を中心にニュータウンが開発されて人口流入が起こっていますが、同じ泉州地方の貝塚市で生まれ育った私ですら大人になってからもJR阪和線の和泉府中駅には快速が停まるということくらいしか知りませんでした。
でも、自分で調べてみたからこそ、和泉市は古代からの歴史が溢れる町で、まだまだ自然が残る素晴らしい所だということがわかりました。おべんちゃらではなく、和泉市のファンになりました。
和泉市の歴史6テーマ叙述編I「和泉市の考古・古代・中世」 | |
和泉市史編さん委員会 | |
ぎょうせい |
和泉市の歴史7テーマ叙述編II「和泉市の近世」 | |
和泉市史編さん委員会 | |
ぎょうせい |
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |
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