2019年2月3日、福井県年縞博物館を見学したあと、眼の前にある若狭三方縄文博物館(愛称DOKIDOKI館)を見学しました。雨がかなり強くなっていたのですぐそこに見えている入口まで走りました。でもそこは身障者用の入口で封鎖されていたので、さらに走ってなんと2階まで上がる必要があり、結構濡れてしまいました。
年縞博物館から見えるDOKIDOKI館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/cf/29d868c05a14e04167ba351b086f7a6d.jpg)
そこに入口がありそうでしょ。でも入口はぐるっと右に回って2階への階段を上がる必要があるのです。
ここが入口。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a6/4b2391fab0134307de58e1276224e743.jpg)
入口から見える年縞博物館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2c/1d8559a02c0e704be3e05493d0afa3ae.jpg)
年縞博物館でセット券を購入していたのでそれを見せて入館。展示室は階段を下りた1階です。階段を下りたところがホールになっていて縄文杉の大株(埋没林)が床に展示されていたのでパチパチと写真を撮っているときに思い出した。いつも博物館では写真撮影がOKかどうかを受付で聞くようにしているのに忘れていた。階段を駆け上がって受付で聞くと「申請書を書いてください」と言われた。SNS等で公開するかどうかも聞かれたので「ブログに掲載します」といったら「特別な許可が必要です」と。面倒だったので公開はしないと言って通常の撮影許可だけもらいました。そういう事情なのでたくさん撮った写真をここで公開することはできないのが残念です。
ホールを通り過ぎて常設展示室へ向かう土器の径(みち)という順路の壁面には縄文土器がずらりと並びます。実はそれぞれの土器のキャプションには土器の年代が記されているのですが、なんとほとんどすべての土器の年代が訂正されていました。それは水月湖の年縞によって年代が書き換えられたのです。
この博物館は近くの鳥浜貝塚やユリ遺跡などの縄文遺跡からの出土品を中心に展示が構成されています。なかでも特徴的な展示は縄文時代の丸木舟です。全部で11艘(鳥浜貝塚から2艘、ユリ遺跡から9艘)の丸木舟が展示されています。ユリ遺跡から出た9艘のうちの1艘は日本で初めて完全な形で出土した縄文丸木舟です。
両遺跡とも古三方湖に面した遺跡で、この丸木舟で古三方湖から若狭湾、日本海へと漕ぎ出した姿が甦ります。この丸木舟のほか、発掘当時の縄文時代の遺跡としては日本で初めての出土となった漆塗りの櫛なども展示されていたようですが、記憶にありません。
鳥浜貝塚は縄文時代草創期から前期にかけての集落遺跡で、この遺跡の発見が水月湖の年縞発見へとつながったそうです。ユリ遺跡は縄文時代中期から後期の遺跡と考えられています。
展示資料や展示室の写真が掲載できないので、代わりにリーフレットを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d6/587128dc07010b0b749e295a43c715c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/45/3d12f029652cc5fcf74ea36be715538a.jpg)
入口から三方湖を臨むと縄文ロマンパークという公園が広がっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4d/cd8a7c65a33c755847999f3f32d1e275.jpg)
このDOKIDOKI館の初代館長は先日亡くなられた梅原猛氏です。館の公式サイトには梅原氏のメッセージが掲載されていました。
縄文文化は日本文化の基礎であり、人類の還るべき文化が縄文にあるのではないかと考えています。森が破壊され、自然環境が破壊され、人類の未来が危惧される今日、縄文のもつ共生と循環の世界観が改めて認識される必要があるのではないでしょうか。
若狭三方縄文博物館[DOKIDOKI館]は、地球を破壊しつつある現代文明へのメッセージとして縄文の光を世界へ届けたいと思っています。 【初代館長 梅原 猛】
年縞博物館から見えるDOKIDOKI館。
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そこに入口がありそうでしょ。でも入口はぐるっと右に回って2階への階段を上がる必要があるのです。
ここが入口。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a6/4b2391fab0134307de58e1276224e743.jpg)
入口から見える年縞博物館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2c/1d8559a02c0e704be3e05493d0afa3ae.jpg)
年縞博物館でセット券を購入していたのでそれを見せて入館。展示室は階段を下りた1階です。階段を下りたところがホールになっていて縄文杉の大株(埋没林)が床に展示されていたのでパチパチと写真を撮っているときに思い出した。いつも博物館では写真撮影がOKかどうかを受付で聞くようにしているのに忘れていた。階段を駆け上がって受付で聞くと「申請書を書いてください」と言われた。SNS等で公開するかどうかも聞かれたので「ブログに掲載します」といったら「特別な許可が必要です」と。面倒だったので公開はしないと言って通常の撮影許可だけもらいました。そういう事情なのでたくさん撮った写真をここで公開することはできないのが残念です。
ホールを通り過ぎて常設展示室へ向かう土器の径(みち)という順路の壁面には縄文土器がずらりと並びます。実はそれぞれの土器のキャプションには土器の年代が記されているのですが、なんとほとんどすべての土器の年代が訂正されていました。それは水月湖の年縞によって年代が書き換えられたのです。
この博物館は近くの鳥浜貝塚やユリ遺跡などの縄文遺跡からの出土品を中心に展示が構成されています。なかでも特徴的な展示は縄文時代の丸木舟です。全部で11艘(鳥浜貝塚から2艘、ユリ遺跡から9艘)の丸木舟が展示されています。ユリ遺跡から出た9艘のうちの1艘は日本で初めて完全な形で出土した縄文丸木舟です。
両遺跡とも古三方湖に面した遺跡で、この丸木舟で古三方湖から若狭湾、日本海へと漕ぎ出した姿が甦ります。この丸木舟のほか、発掘当時の縄文時代の遺跡としては日本で初めての出土となった漆塗りの櫛なども展示されていたようですが、記憶にありません。
鳥浜貝塚は縄文時代草創期から前期にかけての集落遺跡で、この遺跡の発見が水月湖の年縞発見へとつながったそうです。ユリ遺跡は縄文時代中期から後期の遺跡と考えられています。
展示資料や展示室の写真が掲載できないので、代わりにリーフレットを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d6/587128dc07010b0b749e295a43c715c8.jpg)
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入口から三方湖を臨むと縄文ロマンパークという公園が広がっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4d/cd8a7c65a33c755847999f3f32d1e275.jpg)
このDOKIDOKI館の初代館長は先日亡くなられた梅原猛氏です。館の公式サイトには梅原氏のメッセージが掲載されていました。
縄文文化は日本文化の基礎であり、人類の還るべき文化が縄文にあるのではないかと考えています。森が破壊され、自然環境が破壊され、人類の未来が危惧される今日、縄文のもつ共生と循環の世界観が改めて認識される必要があるのではないでしょうか。
若狭三方縄文博物館[DOKIDOKI館]は、地球を破壊しつつある現代文明へのメッセージとして縄文の光を世界へ届けたいと思っています。 【初代館長 梅原 猛】
![]() | 縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」113) |
田中祐二 | |
新泉社 |
![]() | 鳥浜貝塚: 若狭に花開いた縄文の文化拠点 (日本の遺跡) |
小島 秀彰 | |
同成社 |
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