地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

カミーノにあしあと 36

2010年12月30日 | Weblog
【36日目】7/31(土) Santa Irene → Santiago
いつもより早めの6:45にアルベルゲを出発。
昨夜同室だったフランス人のジュリアンも一緒に。


7kmほど進んだAmenalでようやく朝食。
バルは巡礼者でごった返しており、注文するのも一苦労だった。

しかもこのバルの従業員女性3人が非常に態度が悪く、客の注文を受け付けない。
注文しようとしても「ちょっと待って!後で!」などと遮り、一向に聞いてくれないのだ。
忙しいとはいえ、商売なんだから普通ちゃんと注文ぐらい取ってくれるのに。
巡礼者は礼儀正しいヨーロッパ人が大半なので、ちゃんと順番を守っている。

そんなわけで、バルのカウンターは注文をしたくてもできずに、イライラとしかし行儀よく待っている巡礼者であふれている。
そこへスペイン人だけが強引に割って入り、強引に注文して、お目当ての品をゲットしていた。

私たちもかなり時間がかかったがようやく朝ごはんを注文。
無愛想な従業員からパンやコーヒーを受け取り、外のテラスで食べる。
他の巡礼者も皆「ここのバル最悪よね」と不満を口にしている。


さて、食事も終わりいざお会計と言う時になっても、やっぱりバルの女性3人は態度が悪く、お金を払おうとする客に対し無視を決め込む。
ルーがかなりがんばってスペイン語で「お会計したいんですけど」と主張したが、「ちょっと待って」と言われ、そのまま放置。
お会計を済ませないことには出発するにもできない。

仕方なく、機会が訪れるのを待つ。
もうここへ到着してからずい分時間が流れてるなあ。
ジュリアンは私たちののんびりペースにはついていけないと判断したらしく、顔見知りの巡礼者を見つけてそのまま彼らと一緒に立ち去ってしまった。


しばらくまわりの巡礼者数人で「どうする?」と相談していたが、結局「ここは支払わずに行きましょう!」と英断(?)
い、いいのか
私たち、なんてったって巡礼者ですよ?
そのうち誰かが「ドイツでは3回申し出て3回無視されたら払わなくていいという決まりがある」とまで言いだし、食い逃げ決定。

置き土産として、スィナが取りだしたものは、以前どこかの教会でもらった教訓みたいなのが書いてある紙。
笑顔がどうとかこうとか言う内容で、わざわざスペイン語バージョンをこれ見よがしにテーブルに残して立ち去る。


あ~、いいんだろうか。
スィナも「巡礼に来て、初めて今日は罪を犯したわ!」とちょっとドキドキしている。
私たちも「追いかけてこられたらどうしよう?」と足早に歩く。

ま、今日にはSantiagoに到着し、「全ての罪が赦される」はずなんで、大丈夫かと思います、たぶん。




昨日まで元気だったマルコスが、今日は股ズレに加え胃腸の調子も良くないらしく、元気なくかなり遅れて歩いてくる。
途中、森の中で休憩しながら、エリザベスに教わったヨーデルをみんなで歌い、通り過ぎる巡礼者たちにお金をせがんでふざけてみる。

大ウケして笑ってくれる人もいれば、頭のおかしい連中を見るような目つきで通り過ぎる人、白けた感じの人、巡礼者の反応も様々だ。




さらに進み、お茶休憩。
最初の朝ごはんのバルで朝食を注文し損ねたトマスがパンを食べ、他のメンバーはコーヒーや紅茶でくつろぐ。







バルに併設されていた売店で、スィナと2人でこっそり隠れてルーへのプレゼントを買う。
先日からルーとスィナがお互いを「魔女」と呼び合ったりしていたことにちなみ、魔女のピンバッジを購入。
ルーとお別れする時のサプライズプレゼントにしようということで、こそっと私のポーチに隠した。


さあ、Santiagoまであともう少し。
「歓喜の丘」と呼ばれるMonte do Gozoの手前で昼食場所を探すが、これと言った場所が見つからない。
通りすがりの村人や馬に乗った人にも聞いてみると、Monte do Gozoまで行くと店があるらしい。

ところで今日はゆっくり後ろからついて来ているはずのマルコスが一向に現れない。
マルコスに歩調を合わせてトマスもずっと後ろにいるようだ。
一緒にランチしようにも、男子2人が全く追いついてこないので、どうしたものか。

そうこうしているうちに、Monte do Gozoに到着してしまった。
遠くに見えるのはSantiagoの町。




そしてここには、ヨハネ・パウロ2世の訪問を記念したモニュメントがある。




男子が来ないので女子だけで記念撮影。





待てど暮らせどマルコスとトマスは来ない。
仕方ないので、そばにあった教会でスタンプを押し、その隣の売店でホットドッグを買って食べながら待つ。
このホットドッグ、冷凍のをチンしただけのやつで、まずい。
まずい食べ物に当たるほどむなしいものはない。


ホットドッグを食べていると、次々と到着する巡礼者たち。
多くの人はここにあるアルベルゲに泊まり、明日の朝早くにSantiago入りする予定のようだ。
私たちはこのままSantiagoへと入る予定。


馬に乗ったカウボーイみたいな数人がやってきた。
すごいなあ、と思ったけど、ルーが一言「見せびらかしね」とバッサリ。

確かに…。
確かに奴らは「俺らかっこいいだろう?」的なパフォーマンスを繰り広げている。



ずい分待ってようやくトマスとマルコス到着。
どうやら彼らは途中の店で食べて来たようだ。


さあ、いよいよSantiago入りしましょうか。
みんなでSantiagoへ向かう後ろ姿を撮りっこする。












Santiagoは大きな町で、町へ入ってからカテドラルまではかなり遠い。
すでに道はアスファルトとなり、車が行き交い、レストランやビジネスビルが建ち並ぶ都会の様相。

あともうちょっとでカテドラルのある旧市街エリアなんだけど、ここに及んでまたバルへ入ってしまう私たち5人。
巡礼達成の前祝いとして、ビールなどで乾杯しませう。
私はまたクララ(レモンジュース+ビール)を飲む。




股ズレはつらいが、ホッとした表情のマルコス。





お酒も入り、ご機嫌に向かうカテドラル。
しかし、上り坂もあり意外としんどい。

お土産物屋さんが立ち並ぶ通りを抜け、石のアーチの階段を降り、16:00頃ついにカテドラルの前のオブラドイロ広場へ到着。



が、これと言った感動もない。
ああ、着いたなって感じ。
カトリック信者であるはずのスィナでさえ、「特に感動はないわねえ」と。


周りで他の巡礼者たちが大いに盛り上がって記念撮影しまくってるので、とりあえず私たちも撮っておこうか。









あと、カテドラルの建物はすばらしいと思うので、自分で撮った写真とルーがもっとうまく撮った写真を交えてどうぞ。














記念撮影が終わったら巡礼事務所へ。
私たちが到着した時は20~30人並んでいただけだったので、それほど待たずにクレデンシャルにスタンプがもらえた。

ここで到着を証明するスタンプをもらい、巡礼証明書を発行してもらうわけだが、先に聞いていた話では巡礼目的によりもらえる証明書の種類が違ってくるらしい。
宗教的理由あるいは精神的理由での巡礼についてはラテン語で書かれた正式な巡礼証明書、それ以外の理由であればスペイン語で書かれた到着歓迎書とかいうやつ。

私は「スピリチュアル目的」と答えようと心の準備をしていたのだが、なぜか全く質問されなかった。
窓口で呼ばれると、用紙に名前や出身国を記入し、次に巡礼目的に印をつける欄がある。
担当のおじさんは日本人とみるや「コンニチハ」と声をかけてきた。
そして私が記入用紙に記入している間に勝手にラテン語の方の証明書にささっと名前と日付を書き込み、記入用紙から顔を上げた時にはもう「はい」と渡された。

え?これで終わり?
おじさんは「終わりだよ。サヨナラ」と。
あ、あまりにあっけない。

普通、巡礼目的を聞くと共にSarria以降は1日2個以上のスタンプを押しているかどうか、クレデンシャルを厳密にチェックするはずなのだが…。





スィナは一応巡礼目的を聞かれたそうだが、わりとすんなりもらって戻ってきた。
ふと見るとルーが手間取っているようだ。
くるっと後ろを振り向き「ねえ、どっちの証明書かって聞かれてるんだけど、なんて答えたらいいの?」と。

「宗教的理由ならそっちのラテン語のやつで、その他の理由ならもう1個のスペイン語の方だよ」と教えてあげると、横からスィナが「あら~、そっちのスペイン語の方がデザインが素敵じゃない。そっちにしなさいよ」と。
え?デザインの好みで選んでいいんですか?

結局ルーはスィナの助言に従って、歓迎証明書をゲットした。
しきりにうらやましがるスィナ。
そこでうらやましがるって、なんか違う気がするけど…。


さらにルーが「ねえ、こんな筒売ってるみたいだけど、買った?」と聞いてきた。
見ると卒業証書を入れるような筒を手にしている。
そういえば筒を売ってるとは聞いていたが、私らは窓口の人から何も言われなかった。
「買ってない。欲しい欲しい!」と言うと、筒はルーがプレゼントしてくれた。
1個1ユーロ。



この後マルコスは自分の家に帰宅。
残った4人でアルベルゲを探す。

地図を見て、カテドラルから近いConvento San Franciscoという、教会に併設されているアルベルゲへ。
なんとそこには、あのハビエルが
グリンゴは近くの公園で草を食べているそうだ。

その他にも、以前Tosantosのアルベルゲで一緒になった、黒い犬を連れたスペイン人の巡礼者や、Grañonのアルベルゲでオスピタレラをしていたイタリア人のアニータにも再会。
いや~、嬉しいな


さて、アルベルゲは教会系なのでちょっとめんどくさい感じだった。
「今夜集いをやるから是非参加してね」と誘われ、また、「これを日本語に訳してほしい」と、祈りの言葉が書かれた紙を渡される。
私、クリスチャンじゃないから、こういうの翻訳するって難しいんですけど。

さらにはオスピタレラやシスターは、ニコニコして何度も抱きしめてくれる。
通りすがりにも意味なく抱きしめられ、こちらは「?」である。



Santiagoに到着したものの、日常の動作はいつもと同じ。
まずはシャワー。

急がなくてもいいのに、なぜかいつも通り5分ぐらいでシャワーを浴び終えてしまった。
まだ人が少ないので、せめて洗濯は焦らずゆっくりとやった。
あーあ、白いTシャツ、何回かオレンジ色のシャンプーで洗濯したので色移りしてしまっている。
もうどんなにこすっても色が落ちない。
これはFinisterreで燃やそう。



いつものルーティーンを済ませたら、再び町へ。
韓国人のカユンやスヤンにも出会う。
ピーター&マリア親子、キムの姿など探してみるが、見かけなかった。

オブラドイロ広場の反対側、キンタナ広場には長蛇の列ができていた。






「これ、何の列だろうね?」と言いながらとりあえず並んでみる。
たぶんカテドラル内見学の列だと思われる。

スィナが「家から持ってきた石を最後にSantiagoに置いて帰らないとね」というので、「ああ、そうだ。私が3つ持ってきた石の最後の1個が残ってるわ」と言うと、「カテドラル内に置いて行きなさいよ」と。
え?置くってどこへ?

「どこでもいいから、こっそりカテドラルの中のどこかに置きなさい」だって。
いいのかなあ~?

大阪の住吉大社から持ってきた「五大力」の石。
最後の1個「力」と書かれた石を手にとって眺めていたら、ふと思いついた。
「これ、ルーにあげるわ」

なぜなら、ルーの名字は「パワー」だから。
すっかり忘れてたけど、急にひらめいてルーにあげるとすごく喜んでもらえた。
ついでに石を入れて来たお守り袋も一緒にあげた。

うんうん、本当はSantiagoに奉納するつもりだった石だけど、これでいいと思う。
ルーと一緒にアイルランドへ行っておいで。
そしてルーに力を与え続けてあげてね。


ずい分並んで、ようやくカテドラルの中へ。
なんだか訳がわからないけど、警備員にせかされるままゾロゾロと歩く。
ふと見ると何やら見覚えのある後ろ姿が…。

あ、もしかしてこれ、聖サンティアゴの像やん

慌てて後ろからハグしたが、警備員が鬼の形相で「立ち止まらず先へ進め!」と観光客をせかしているので、本当に一瞬だけだった。
お祈りとかする暇もナシ。

サンティアゴにハグしつつ見た前方は、ミサの真っ最中。
聖職者たちがこっちへ向かって歩いて来ているのが見えた。
そう、サンティアゴ像はカテドラル中央の祭壇の真ん中にあるのだ。
こっち側からミサの風景を見れるって新鮮。

大混雑の中、あれよあれよと教会の外へ押し出される。
ふー、大変だな観光地も。
ああ、でもこれですっかり罪が赦されたよ。(たぶん)



今日はカテドラル見学だけで、明日の正午のミサに出席することにした。
ちょうど日曜日だし、ボタフメイロ(大香炉)も見れるんじゃないだろうか。



さあさ、無事巡礼完了を祝うディナーへ行きましょう

Santiagoは観光地なので、レストランがたくさんある。
どこも巡礼を終えてホッとした表情の巡礼者たちでにぎわっている。
あちこちでドンチャン騒ぎあり、パレードのようなものもあり、にぎやかだ。

どのレストランがいいのか分からないけど、とりあえずテラス席がゲットできたレストランへ。
せっかく巡礼を終えてもまだ巡礼者らしい行動から抜け出せず、10ユーロのディナーを。

ワインでかんぱ~い
ガリシア州は海産物と白ワインが有名らしいので、私は白ワインにしてみた。






目の前ではパフォーマーたちが音楽を演奏したりしている。




そこへ1人のバイオリンを弾くおじさんがいたので、スィナが「私の好きな曲演奏してくれないかしら」と。
「私が好きなのはパッヘルベルの『カノン』だよ」と言うと、スィナの目が輝き「ほんとに?!
その曲はまさに私の大好きな曲よ!息子の結婚式でも使ったの!やっぱりあなたとは何か通ずるものがあるわね!」と大喜び。

いや、有名な曲なんで好きな人多いと思いますけど…。

そこでスィナが「あの人にリクエストしてきてよ。私、あの曲弾いてくれるなら5ユーロ出すわ」と。
私は子供のお使いのようになり、曲名を書いた紙きれを持ってバイオリン弾きのおじさんのもとへ。

おじさんはうなづくと『カノン』を弾きだしたので、目の前に会ったバイオリンケースに5ユーロ札を入れて席へ戻った。
一度に5ユーロと言えば、大金じゃないですか。
がんばってよ、おじさん。

が、このおじさんの『カノン』下手くそやん

スィナと2人で「ちょっと、ちょっとぉ。何あの演奏?あの人あんまりカノン弾き慣れてないじゃない。5ユーロも入れて損したわね。とんだペテン師じゃん」と、巡礼を終えて清らかな身になったことも忘れ、悪態つきまくってしまった…。


その後、4人でワインを飲みながら巡礼のベストモーメント、ワーストモーメント、ファニエストモーメントなどを話し合っていると、マルコス登場。
わ~い、来てくれたんだ。




シチュエーションとは全く関係ないけど、ここでせっかくなのでルーの「変顔」を披露。




せっかくマルコスが来てくれたけど、私たち今夜もアルベルゲなので門限が…。
しかも教会系のところだから厳しそう。

「なんでこんな時に門限のあるアルベルゲに泊まるんだよ~。今夜は広場でイベントとかやってるのに」とぶつぶつ言うマルコスに謝りつつ、慌ててお会計を済ませてレストランを後に。

アルベルゲへ戻るには広場を横切るのが早いが、案の定今夜はライブがあるらしく、人、人、人で埋め尽くされている。
賢明なトマスは最初からそこを通るのを諦め、遠回りして帰ると言ったが、バカな女3人は「大丈夫!なんとか通り抜けて見せるから!」と手をつないで群衆の中へ。
場所取りで座ってる人たちに「すいませ~ん、すいませ~ん、通りま~す」と声をかけながら、時折誰かの足を踏んだりして「あ、ごめんね!」と言いながら、どんどんと人ごみの中に割り込んで行った。

ちょうど広場の真ん中あたりまでたどり着いた時、そこに柵が設置されていて通り抜けできないことが判明。
ええ

どどど、どうしよう?

仕方なく、また周りの人たちに迷惑をかけながら、3人で手をつないで元来た道をバック。
どうにかこうにか群衆から抜け出し、暗い夜道をアルベルゲに向かってダッシュ。
急げ~





必死に走ってゼエゼエ言いながらアルベルゲの前に到着すると、そこには鍵を持ったシスターが仁王立ちしていた。
トマスとその他2~3名門限に遅れたらしき巡礼者と共に。
たぶんトマスが私たちがもうすぐ帰ってくるからと頼んで待っていてくれたらしい。

すいません…。
怒られはしなかったが、無言のシスターに肩を抱かれ、アルベルゲの中へ誘導される。
全員入ったところで、門が閉まりガチャリと鍵がかけられた。


あ~、やばかったねえ、と話していると、オスピタレラが集いへの参加を促し始めた。
え~、こんな時間から嫌だな。

ルーはきっぱりと断り、私はそそくさとトイレへ逃げ、どうやらスィナは連れて行かれたようだ。
大丈夫かなあ、スィナ、かなり酔っ払ってたのに。

ほとんどの巡礼者は集いへ参加したようで、部屋に残っているのはほんの数名。
ルーが「あなたは信仰深い人?」と聞いてきたので、「一応それなりに信仰心はあるけど、かといって特定の宗教を信じるには至っていない」と答えると、ルーも「私もそうよ」とのこと。
よかった。

ベッドでゴロゴロしていると、23:00頃になってようやく集いが終わったらしく、みんなが戻ってきた。
スィナが私のベッドに座り、「集会では『カノン』の演奏があったのよ。あなたが参加しなかったから聞けなかったのが残念で泣いたわ」と2度も言い、ハグしてきた。

お酒も入っていたし、聖地へ到着した夜の集いで感傷的になっているのだろうか。

その後今度はルーのベッドに行き、長々と何か話をし、また泣いていた。
ルーがスィナの背中をさすっていた。



聖地巡礼を果たしたけど、これまでと特に何も変わらない感覚で、アルベルゲのベッドで就寝。

巡礼が終わった実感は、ない。



















本日の歩行距離:約24km
本日の歩数:32,596歩

カミーノにあしあと 35

2010年12月18日 | Weblog
【35日目】7/30(金) Ribadiso → Santa Irene
朝目覚めたらすでに6:30。
うちのメンバーは誰ひとり起きていない。
ここ数日、ベッド確保のために急いでいたため疲れが出ているのか、それともあともう一歩でSantiago到着なので気が緩んでいるのか?

昨日と同じく、先に洗面を済ませてからスィナとルーをそっと起こす。
まわりがガサゴソし始めると、マルコスやトマスも起きだしてきた。

いつも早いエリザベスはさっさと出発して行ってしまった。
マークもきっともう出発済みだろう。


3km先のAruzúaで朝食。
ホットサンドなどを食べる。


食後、トマスが銀行へ。
トマスは巡礼直前にマドリッドで財布をすられたか、奪われたかで、手持ちのお金が少なくなってきている。
ATMカードの再発行だかなんだか手続き中だったようで、それが完了したかどうか確認しに行った。


トマスが銀行へ行っている間、教会でスタンプをもらう。
しばらくしてトマスが戻ってきたが、どうやら成功しなかったようだ。
何かとストレスのたまるスペイン。

教会前の広場にいると、アイルランド人のアイリーンというおばさんがやってきた。
何度か顔は合わせているが、私はどうもこのアイリーンの英語が聞きとりにくい。
ルーの話す英語は全然問題ないのに。


しばらくはアイリーンも一緒に6人で歩くが、どこかの地点で彼女は離脱して行った。

カミーノを歩きながら、スィナと私は以前知りたかったのに解決できなかったスペイン語をマルコスに聞いてみようと思い立ち、聞いてみた。

「マルコス、スペイン語で『黄色い矢印』ってなんていうの?」

答えは、「Flecha amarillaだよ」とのこと。

なるほど、「Flecha=矢」「Amarilla=黄色い」か。
カミーノも終盤になってようやく「黄色い矢印」問題解決。

スィナと私は、行く先々で「あ、Coche amarillo(黄色い車)だ!」とか「あ、Casa amarilla(黄色い家)だ!」とか言いながら、今さらながらスペイン語のボキャブラリーを増やしていった。


ついでにマルコスは、「普通のスペイン語であいさつは『ブエノス・ディアス』だけど、ガリシアでは『ボス・ディアス』だよ」と教えてくれたので、ガリシア州では行き交う人々に”¡Bos Dias!”を連発していた。



今日は何度も休憩を挟みつつ、のんびり楽しく歩く。




先日マルコスが「足のマメのことはスペイン語でAmpolla、でもPollaだと下ネタだよ」と教えてくれ、「うっかり言い間違いそうだよね~」とみんなでウケてよくそれを冗談にしてた。
で、いつ言いだそうかと迷っていたのだが、休憩の時にマルコスが水筒を掲げて“¡Chinchin!(乾杯)”というので、「あのね、chinchinは日本語でpollaという意味だよ」と教えてあげたところバカウケ。
それ以来私たちのグループはバルで乾杯する時などに大声で”¡Polla!”と叫び、かなり恥ずかしい軍団となった。




Santiagoまであと20数kmを残すのみ。




すでにみんなリラックスモード。










さて、Ribadisoから10kmほど先のSalcedaというところのバルで昼食休憩に。
マルコスがエンパナーダを丸々1個注文し、さらにトルティーヤの上にチーズまで乗っけてもらっていた。
なるほど、「トルティーヤにチーズをのせて」という注文方法があったのか!
さすがにスペイン人が1人いると、いつもと違う食べ方ができる。
サラダはお店からのサービスとしてついてき、思いがけず豪華なランチに。







そしてお店からは何故か“Salceda”という地名が書かれたピンバッジまでもらった。





同じバルに韓国人の数名のグループが到着したが、もうSarriaを過ぎてからは知らない人ばかりで、特に会話も交わさなかった。
まだ巡礼初期の頃の、みんなが顔見知りだった時期を懐かしく思う。

ランチの量が多くて食べきれず、エンパナーダの残りはアルミホイルに包んでもらって持っていくことに。



Salcedaからさらに5km先のSanta Ireneに16:00に到着。
ここには公営と私営のアルベルゲがあるらしい。
方向が逆みたいなので、ひとまず公営の方に行ってみた。

アルベルゲでベッドの空きを確認すると大丈夫だったので、今日はあんまり歩いていないけどここで終了することに。

5ユーロで不織布シーツ付き。
韓国人のおじさん、おばさんたちのグループも到着していた。


私たちは1階の玄関を入ってすぐ左手にある1室。
2段ベッドが3つある。
5人でベッドを確保し、残る1つに入ってきたのはフランス人のジュリアン。

実は今日、彼とは何度もカミーノですれ違ったが、かなり暗い顔をして歩いており、こちらから挨拶してもロクに返さないぐらいだった。
ワケアリ巡礼なのだろうか?

が、アルベルゲに到着後はリラックスした顔で笑顔も見せていた。
どうやらかなりの長距離を歩いて、疲れきっていたらしい。

ジュリアンがほとんど何も食べていないと言うので、みんなでエンパナーダの残りを勧めたが、なぜかかたくなに拒否。

ジュリアンは食べなかったけど、詮索好き、お世話好きなスィナが、後から到着した巡礼者たちと話をし、お腹を空かせている人を見つけてきて、嬉々としてエンパナーダをあげていた。
こういうお世話好きなおばさんが一人いると、救われる人がたくさん出てくるね。


アルベルゲにはドイツ人のベティがいた。
失くしたクレデンシャルは無事見つかったそうだ。

他には知った顔がいない。
キムはあれ以来全く見かけていないし、人に聞いても彼女の姿を見た人はいなかった。
マークはたぶんもう少し先のPedrouzo do Pinoという町まで行っただろう。
エリザベスと見せ合いっこした最後の3~4日の歩行スケジュールはほとんど同じだったけど、きっとエリザベスは私たちよりも1日の歩行距離が長いだろうから、マークと同じくPedrouzo do Pinoあたりにいるだろう。
マリア&ピーター親子にも全く追いつけていないんだろうなあ。
彼らはもうSantiagoに到着してるのだろうか。



混む前に先にシャワーを浴びに行く。
一般家庭のバスルームのようになっており、1人しか浴びられない。
お湯の温度も微妙な感じ。
後で入ったスィナやルーは、お湯が出なかったらしい…。


洗濯するシンクも1個しかないので順番待ちとなる。
一応洗濯機はあった。
ベティがBed Bugにやられたので、リュックを含めた持ち物全てを洗濯すると言い、ルーとスィナも便乗して共同で洗濯機を使うことにしたらしい。
私も一度は参加を表明したが、その洗濯機があまりに汚そうだったので、やっぱやめといた。
結局巡礼中一度も洗濯機は使わず、全て手洗いとなった。


マルコスはシャワーも浴びずにベッドでくつろいでいる。
なぜかというと、ガールフレンドにタオルを持ってきてもらうので待っているそうだ。

あんた結局今日通ったAruzúaでタオルを買うこともせず、彼女に電話してわざわざここまで持ってきてもらうことにしたのね。
スキンヘッドなのに、どうしてもタオルが欲しいのね。

彼女は車で来てくれるらしい。
それを聞いたスィナが真顔で「彼女は何時に到着予定?到着したら必ず私に知らせてね。会わないといけないから!」とマルコスに伝えている。
って、なんでやねん!
どんだけ詮索好きやねん。



ところでこのアルベルゲの周りには、お店も何もない。
そしてアルベルゲでは食事提供はしておらず、食事をするなら1km戻ったEmplameというところか、1.5km先のRuaというところまで行かないといけない。
当然、徒歩である。

しかし、もう疲れているので、たった1kmや1.5kmでも、歩いて行くのは嫌だ。
マルコスが「ピザの宅配はどうだろう?」と提案し、オスピタレラに聞きに行ったが、あいにくここにはピザは宅配してくれないそうだ。
なんと不便な場所なんだ

しかも自動販売機すらなく、コーラやジュースなどを飲むこともできず、ひたすら水を飲んで我慢する。
スィナは「ワインなしのディナーは考えられない!夕方は町へ出てワイン付きのディナーしましょうよ!」としきりに言う。
まあ、夕飯時になったら考えましょうか。


本当に何もないのでやることもなく、スィナは他の巡礼者とおしゃべり、ルーは昼寝、私とトマスは外にある休憩小屋のようなところで本を読んだり日記をつけたりして、ひたすら時間をつぶす。


夕方、マルコスがスーパーでパンやサラダを買ってきてくれていた。
彼女の車で隣の町まで行って来たそうだ。
しかも「ユウコのためにこれも買ったよ」と見せてくれたのは、ライスサラダ。

なんかちょっと違うけど、心遣いありがとう。


あ~、でもスィナがなんていうかなあ?
すっごいワイン飲みたがってたからなあ。
マルコスが買ってきたのって、パン、生ハム、チーズ、サラダ、アクエリアスだもんね…。
スーパー行ったなら気を利かせてワインも買ってこいよと思ったが、実はマルコスはお酒を飲まないのであった。

ちょっとスィナの反応を心配していたが、そこは大人なのでワガママ言わず、素直に受け入れていた。ほっ。


夕方、アルベルゲ前のベンチでイタリア人のおばさん、というか、おばあさんと話す。
彼女はFollow the WomenというNGO組織のメンバーらしく、その活動について話してくれた。
女性ばかりの組織で、自転車に乗って色んな啓もう活動をしているようだ。
日本にも一応支部があるという。
私がついでにピースボートのことを話すとかなり興味を示したので、「じゃあ帰国後にホームページのリンクとか送るね」と伝えておいた。

おばあさんと話していると、なんとそこを通りがかったのはマケドニア人のメリ。
久しぶり~

あいにくアルベルゲはもう1杯になっている。
メリは「とりあえず次の町まで歩いてみて、空きがなければタクシーでSantiagoまで行って泊まり、明日の朝また戻って来て最後の距離を歩くわ」と言ってた。
え~?でも先にSantiago見てしまうと、到着時の感動が…。


そうこうしてるうちにルーが「ごはんですよ~」と呼びに来たので、話を切り上げてアルベルゲのキッチンへ。
巡礼開始以来、アルベルゲのキッチンでスーパーで買った食材を食べるのは実は初めてのこと。
マルコスがしきりに私に「ほら、このライスサラダ食べて」と勧めてくる。
あ、ありがとうございます…。
ビネガーきつくてあんまり好きじゃないんですけど、日本人=お米という連想でのご親切に感謝いたします。

温かい食べ物がないのは寂しいけど、こうやってみんなでパンやハムを分け合って食べるのもいいもんだ。
みんなで割ると1人当たりの負担はたったの2.5ユーロで済んだし。
スィナはワインが飲めず、日課の町歩きや教会訪問ができなかったので、ちょっぴり物足りなさそうではあるが。


隣のテーブルで、ベティや先ほどのイタリア人のおばあさんを含むグループが、なんとパスタを作り始めた。
うわ~、うらやましい…。
絶対そっちの方がいい。
でも我慢、我慢…。


食後も本当にやることがないので、早めの就寝。
明日はいよいよSantiagoへ到着する。
本当にこれで巡礼が終わってしまうのか?
なんだか不思議な感覚だ。












本日の歩行距離:約16km
本日の歩数:28,998歩


カミーノにあしあと 34

2010年12月16日 | Weblog
【34日目】7/29(木) Casanova → Ribadiso
6時起床。
先に洗面を済ませてから、ルーとスィナを起こす。

6時半には出発予定だったのに、案の定2人を待っていたら、出発は7時。

歩き始めてすぐに出て来たバルでコーヒーとエンパナーダで朝食にするが、コーヒーがまずく値段も高い。
そして何よりも人が多いことに、ますますSantiagoが近づいていることを感じる。


今日はルーに加えて、昨夜のアルベルゲで一緒だったスペイン人のマルコスとスロバキア人のトマスも一緒に歩いている。
Santiago目前になり、メンバーが一気に5人に…。



マルコスはSantiago郊外に住んでいるが、州政府運営のレストランでシェフをしており、Sarriaなど遠方での勤務が多いとのこと。





ルー、マルコス、トマス全員が20代の若者なので、ここへ来てこれまでとちょっと違った雰囲気の巡礼となる。
スィナも若者と一緒にいると楽しそうだ。



Casanovaから8kmほど先のMelideで一旦ドリンク休憩。
スィナ、マルコス、トマスの3人はバルでドリンクを買っていたが、ルーと私はバルの外にあった自動販売機でアクエリアスを買い、節約。






休憩していると、韓国人のカユンが通りがかり、それからずい分経ってからスヤンが通りがかった。
カユンとスヤンはここ2、3日一緒に歩いているのを見かけたが、たまたまだったようで、基本は1人巡礼のようだ。
スヤンはブラジルの国旗柄の黄色いTシャツを着ているのが特徴で、スペイン語が得意らしい。


Melideからさらに5、6km進んだところにBoenteという小さな町があり、そこの教会でスタンプをもらう。
Boenteに至る少し前から、スペイン人のフェルナンデスという青年が私たちに合流していた。
フェルナンデスは婚約者のお兄さんらと一緒に巡礼しているが、歩くペースはそれぞれなので、毎日どこかのアルベルゲで最後に合流しているそうだ。
スペイン語を練習したいルーがずっとフェルナンデスと話をしている。


教会でカユンに再会したので、私はしばらくの間カユンと2人で歩き、色んな話をする。
カユンはやはりカミーノの意味を考え続けていて、しきりにカミーノで悟り(?)を開いた友人と自分を比較して気にしている様子。
私はお姉さんらしく(下手したらお母さん?)、「カミーノで答えが見つかることを期待しない。ここで得たものがどういう風に自分への変化として現れるかは人それぞれだから。その場で悟りを得たように感じる人もいれば、何年もたってから徐々に現れる人もいるよ、きっと」と諭してみる。

カユンになぜポーランドに留学したのか聞いてみると、「自分で選んだわけじゃなく、お母さんの仕事でポーランドに行ったから」とのこと。
なるほど、外交官とかの娘だろうか。
それとも民間?
英語も上手だし、せっかくならポーランド語もマスターできればよかったのにね。
1年だけじゃ短すぎたか。


ついでに私も「ずっとスィナと一緒に歩いていると、色んな事を分かち合えて良い時もあれば、ストレスに感じることもある」と、ちょっと本音を暴露。


ここへ来てスィナは達成欲が出て来たらしく、「7月31日にSantiagoに到着したい!」としきりに言いだした。
私は時間的に余裕もあるし、特に節目の日にちとか気にしてないので、「体力的にも行けそうなら私も同じペースで歩くけど、きついと思ったら私は途中で離脱してゆっくりSantiago入りするから」と宣言しておいた。
そう、最後は1人でSantiago入りする覚悟で。

思えば私は全行程徒歩でとか、全泊アルベルゲでとか、そういう目標は一切持たずに巡礼を始めた。
が、偶然にもカミーノの相棒となったスィナが俄然やる気を出して、様々なところにこだわり始めたので、なんとなく流れに乗ってきたというのが実情だ。
老子の言うところの「無為自然」、「水の流れのように」といった感じで。


さて、カユンと哲学的な話もしながら歩いていると、Castañedaという集落にバルが現れたので昼食休憩に。
カユンはドリンクのみで先に出発して行ったが、残ったメンバーはゆっくりランチを楽しんだ。



今日は20kmちょっと歩いてAruzúaという町まで行こうと思っていたが、フェルナンデス情報によると、その一歩手前のRibadisoというところにあるアルベルゲは、カミーノで一番良いとのこと。
今日も暑くて疲れていたので、ひとまずRibadisoのベッドの空きを確かめてみることにした。

小さな橋を渡ってすぐのところにアルベルゲはあった。







宿泊料は5ユーロで、不織布のシーツもついている。
今日は予定より距離が短いけど、ここに決まり。
15:00にチェックイン。
このアルベルゲをイチオシしていたフェルナンデスは、婚約者のお兄さんが先のAruzúaで待っているというので、ここには泊まらず行ってしまった。



Ribadisoのアルベルゲは、小川に沿った広い敷地内に石造りの建物が何棟か建っており、それぞれが2階建になっている。
なかなか良い感じだ。

シャワーやトイレの設備もたくさんあり、キャンプもできる整った施設。
相変わらず家畜臭いけど。


ルーとトマスは嬉々として川に泳ぎに行った。

はしゃいだ若者たちは、こんなことになっていたようです。




日差しは結構強いけど、水は冷たいのに平気なのか。
若いなあ。
私はあとでちょっと足を浸すぐらいにしとく。




ちなみにこの川には牛も水を飲みに来る。







スィナは川べりでエリザベスを見つけ、おしゃべりに夢中になっているので、私はシャワーと洗濯へ。
洗濯物、よく乾きそう。





洗濯物を干し終え、部屋に戻ってみると、なぜかマルコスが肩を落としてベッドに座っている。
かなり凹んだ感じなので、どうしたのかと思うと、「問題発生だ」と力なく言う。

「どうしたの?」と聞くと、「これからシャワーを浴びようと思うのに、タオルを昨日のアルベルゲに忘れて来たみたいだ」とのこと。

私は手ぬぐいを4枚ぐらい持ってきていたので、「じゃあ私の手ぬぐい貸してあげるよ」と申し出てみたが、「僕の体は大きいから、そんなんじゃ足りない」と言う。
「2枚貸してあげるよ」と言っても、かたくなに断る。
そして、「どうしよう…」と悩み続けている。

「じゃあ、とりあえずTシャツで拭いとく?」と聞いても気乗りしない感じだし、受付でもらった不織布のベッドカバーを触り、「これはあんまり水を吸わなさそうだし」と言う。

「だったらやっぱり私の手ぬぐい2枚使いなさいよ。こっちの方が絶対良く水を吸うし」と勧めても、断固としてそれは受け入れない。

じゃあ、どうすんだ?
「受付の人に相談してみなよ。以前の巡礼者の忘れものとか取ってあるかもしれないし、何か貸してくれるかもよ」と言うと、力なく「そうだね…」と肩を落としながら受付へと向かって行った。
あんた、スペイン人で言葉に不自由しないんだから、なんとでもできるでしょ。
体は大きいのにウジウジしてるんだね。


ところで私が解せないのは、「マルコスはスキンヘッドなのに、タオルがなくて何をそんなに困ることがあるのか」ということだ。
今は夏だし、スペインの気候は乾燥してるので、シャワーを浴びて体を拭かないまま服を着ても、外にちょっと出てればすぐに乾く。
髪が長ければタオルがないと不便だとは思うが、スキンヘッドのあんたにとって一体何が問題だというのだ

あんまりおもしろいので誰かにしゃべりたくなり、川べりに出かけて行きエリザベスとスィナを見つけたので報告。
エリザベスは笑いながらも、「彼はちょっと人とは『違う』のね」とコメントした。

さすが学校の先生。
「変」とは言わず、あくまで「違う」という表現をするのですね。
大変勉強になりました。



ところで私の下のベッドに、熊の様な大柄でひげもじゃの男性が寝ているのだが、昼寝なのにイビキがうるさい。
しかも私たちが到着してからずっと寝てるんだけど、そんなに寝て夜はちゃんと眠れるのか?



ここのアルベルゲにはフランス人のマークが先に到着していたので、ディナーはみんなで一緒にとりましょうと約束する。

夕方、川べりに集合。
誰かが声をかけてきたのでふと見ると、かかとがパックリ割れていたスペイン人の青年ではないか。
未だ、足の負傷は痛々しい。


まだみんなそろわないので、マークと2人で川を眺めながら色んな話をしていると、なんだか別れが確実に近付いていることをひしひしと感じ、切なくなった。

ところでマーク曰く、「さっき橋の上に日本人巡礼者らしき人たちがいた」とのこと。
なぜ日本人と分かるのかと聞くと、「白装束に笠をかぶったお遍路ルックをしていた」と言う。
そうなんだ~。
でもその人たちはRibadisoには泊まらずに先へと進んで行ってしまったそうだ。
残念。


メンバーが揃ったので、アルベルゲの隣にあるバルでディナー。
ルー、トマス、マーク、エリザベス、マルコス、スィナ、そして私の7名。




食事も終盤に差し掛かると、酔ったスィナが歌をせがみ始めた。
おいおい、またかよ…。

結局、嫌がる人も全員巻き込んで、それぞれが自分の国の歌を披露することに。
マークはちょっと恥ずかしそうにフランス国歌のワンフレーズを。
エリザベスはオーストリア人らしく、ヨーデルを披露。
そしてみんなを促して、ヨーデルのサビを部分を手拍子の振りつけ付きで合唱。
大盛り上がりで、これが一番楽しかった。

私はと言うと…、案の定スィナの「あの歌うたってよ~」攻撃に勝てず、またもや「もしもしカメよ」を。
本当はカミーノでは「千と千尋の神隠し」のテーマ曲、「いつも何度でも」とかを歌いたかったのに、何が悲しくて毎回毎回「もしもしカメよ」を。
屈辱のカミーノだぁ!


みんなの歌を聞けてご機嫌も最高潮に達したスィナは、「ねえ、明日また集まってこのカミーノでのベストモーメントとワーストモーメントを発表しあいましょうよ!」と提案。
うざっ




部屋に戻ると下のオヤジはまだ寝ている…。
一体どんだけ寝るねん。

そしてオヤジのイビキが相変わらずひどいので、夜中に何度もベッドを揺すった。















本日の歩行距離:約18km
本日の歩数:30,941歩

カミーノにあしあと 33

2010年12月03日 | Weblog
【33日目】7/28(水) Gonzar → Casanova
6:00前には起きて出発の準備をするも、ルーの準備がちょっと遅れ気味。
外はまだ暗いが、次々と巡礼者が出発して行く。

私たちの出発予定時刻は6:30だったので、とりあえずルーを置いて公営アルベルゲにスィナの様子を見に行く。
きっとスィナも遅れてるに違いない。


公営アルベルゲのベッドルームに侵入してみると、案の定というか、それ以上に悪く、スィナはまだ起きたばかりでベッドの上に座ってこちらに向かって手を振っている。
周りの巡礼者はガサゴソと出発の準備中。

「他の人が下にいるからベッドから降りられない」と、殴りたくなるような言い訳をするスィナ。


ようやく人気が引いて来て、ベッドを降りたスィナに「ねえ、ちょっと見せたいものがあるの」と言われ、連れて行かれたのはシャワールーム。

「見てよ、これ」と言われたその先には、なんと2つのシャワーの間に仕切りも何もない。

なるほど、他人と裸でコンニチハ状態のシャワーなのですね。
それは予想外だ。
日本の温泉や銭湯で慣れている私でも、このシャワーは嫌だ。

昨日、最後に到着したスィナは、他の巡礼者のシャワーは終わっていたので運よく1人で浴びられたそうだ。



さて、ルーが準備を終えて公営アルベルゲまでやってき、さらにスィナの準備が整うのを待っていたら、結局出発できたのは7:00。
まだ薄暗く、霧がかかっている中、ドイツ人のベティも加わり4人でスタート。


スィナとベティの話では、昨夜公営アルベルゲではとあるスペイン人男性の携帯が夜中に何度も鳴りまくり、大声で話しまくりだったので、ほとんど眠れなかったとのこと。
他の巡礼者も皆、舌打ちしてたらしいが、当人は気にする様子もなかったそうだ。
またスペイン人の評判が下がったケースだ。

お誕生日なのでよかれと思って公営アルベルゲのベッドをスィナに譲ったが、かえって眠れぬ夜となってしまいかわいそうだった。



歩きだしてわりとすぐに1軒のバルが出て来た。
コーヒーを飲んでいくと言うベティがここで早くも離脱し、私たち3人は歩き続ける。


ベティと別れてからわりとすぐにVentas de Narónという小さな集落が現れ、そこで朝食休憩。
どうやらここにはアルベルゲもあるようだ。


バルでクレデンシャルにスタンプをもらい、朝食を食べているとベティが追いついてきた。
そして彼女もスタンプをもらおうとクレデンシャルを探すが見つからない。

「ここまで来てクレデンシャル失くしたなんて言ったらマヌケよね」と笑っていたベティだが、リュックの中をいくら探しても見つからず、次第に焦り始める。

「どうしよう!クレデンシャルがない


みんなで心配して、「もっとしっかり探せば?」「全部のポケット探してごらんよ」と言ってみるが、青ざめたベティは首を振る。
「きっと昨夜のアルベルゲに忘れて来たんだわ


昨夜のアルベルゲからここまでの距離は6kmぐらいである。
歩いて戻れない距離ではないけど、せっかく歩いた道をまた戻るのは気がめいる。
しかも上り坂だったし。

まずはアルベルゲに電話して落し物があるか確認しようということになったが、誰も電話番号を知らない。
バルのマスターに聞けば知ってるか、イエローページみたいなのがあるんじゃないかと言って相談してみるが、全く分からない。
それではタクシーを呼んで戻ろうかというと、この小さな集落にはタクシーがない。
Portomarín辺りから呼び寄せないといけなくなり、結構な費用もかかってしまう。

う~ん、困った。
悲壮感漂うベティ。
スィナやルーが、「クレデンシャルがないと、これまで歩いた記録がないので、最後に巡礼証明書はもらえないけど、言ってみればただそれだけのこと。来た道を戻るのが嫌なら、諦めて新しいクレデンシャルを次の町で買うという選択肢もあるよ」と提案する。

が、悩んだ末彼女は覚悟を決め、リュックはこのバルに置いて、身一つで来た道を戻ることにした。
かなり落ち込んでいるが、荷物がなければそんなにつらい道のりじゃないので、がんばってほしい。
無事クレデンシャルが見つかりますように!


ベティのクレデンシャル紛失事件があったため、かなり長い時間このバルにとどまっていた。
ただでさえ出発時間が予定より遅れたのに、今日の行程にさらに遅れが生じるなと思ったのは私だけだろうか。
Sarria以降、確実に人が増えているし、昨夜初めてベッドを確保できないという事態に陥ったこともあり、心に余裕がなくなっている自分がいる。


ところでこのバルで休んでいる時、昨夜の公営アルベルゲで「一晩中、携帯電話が鳴ってばかりで大声でしゃべって迷惑なスペイン人」が到着した。
スィナは「本人に『あなたはお忙しい方なんですね』って皮肉のひとつも言ってやりたかったけど、勇気が出なかった」と言ってた。
その張本人が目の前に現れたのだ。

意を決したスィナは、極力明るく「あなたは電話ばかりして、お仕事がお忙しいのね」と声をかけた。
おお~、やるな、おばちゃん!

すると返ってきた返事は意外なものだった。

「友人が病気になり、その連絡が入ってきてた。病院を探したり色々してたので」とのこと。

もちろん「迷惑かけてごめんね」的なセリフは皆無なのだが、そういう事情があったのならしょうがないのかな。
でも一言周りの人たちに事情を話してくれれば、みんなあんなに殺気立たずに済んだのに。
JJなんか、かなり怒ってたよ。




バルを出発し、しばらくカミーノを進んでいくと、広場の様な場所で何か集会をしており、その前でパンフレットを配る人がいたり、小さな小屋の前にビスケットやコーヒーが用意されている場所に出た。
巡礼者のための休憩所のようだ。

するとそこで思いがけない人に再会
馬で旅をしていたハビエルだ。
嬉しくて抱き合って再会を喜ぶ。


で、相棒のグリンゴは

「あそこで草を食べているよ」とハビエルが指さした方向を見ると、ほんとだ、グリンゴちゃんがいる。

「グリンゴ~」と抱きつきに行くと、一応顔は覚えているらしく、「おお、お前か」ぐらいの反応があった。





が、鞍を外したグリンゴの背中を見ると、背骨が浮き出るほど痩せている。
スィナがハビエルに「ちゃんとご飯食べてるの?」と聞くと、「う~ん、まあ、食べれたり、食べれなかったり」とのこと。

そこでスィナは、20ユーロ札を取り出し、ハビエルの手に握らせた。
ハビエルは「いや、そんなことをしてもらっては困る」と辞退したものの、スィナが「これでちゃんとご飯食べなさい」と無理に受け取らせる。

う~ん、どうなんだろ。
キリスト教徒だから施しの精神があるのは分かる。
でも食べ物とかシェアするならまだしも、直接的にお金渡すのってどうなんだろう。
ここまできてもまだ私はハビエルの正体が分からないし。

でもポーランドのマリアが、同じくお金を持たずに巡礼しているメキシコ人のダニエルにお金を渡していたように、彼女らの感覚ではそういう困っている人に寄付することが徳を積むことと言うか、クリスチャンとして正しいことなんだろうなあ。

ちなみにそのダニエルにもこの場所でかなり久しぶりに再会した。
相変わらずスペイン語しか通じないが、元気そうではあった。



さて、人間のハビエルはともかく、グリンゴがかわいそ過ぎる。
ただでさえ重い荷物を背負わされ、ハビエルを乗せてこの長い長い距離を巡礼しているのだから。
しかもこの先まだアメリカにまで行かされようとしている。(ハビエルの説が本当なら)

ふと、リュックにリンゴが入っていたのを思い出し、一応スィナと共同で買った食材なのでスィナの許可を得て、グリンゴにリンゴの差し入れをしたら、嬉しそうに食べてくれた。

こんなことならもっと沢山果物を買っておけばよかったよ。
本当にかわいそうなグリンゴ。
胸が痛む。


そうこうしているうちに、マークが82歳のフランス人を伴って現れた。
名前は忘れてしまったが、巡礼者の中で最高齢ではなかろうか?
これまで何度もカミーノを歩いてるが、さすがにもう体力的にきついので、今回を最後にしようかと思っているらしい。

ここから次の町、Palas de Reiまで、マーク、82歳のフランス人と一緒に歩く。
昨日からルーも私たちと一緒に歩くこととなった。
スィナと2人だけでもちょっとしんどかったのに、ますます人が増えて、団体行動がちょっときついなあと思い始める。




Palas de Reiは、日本語のガイドブックに「人口800人の村」と書いてあるが、手持ちの地図には4,500人と書いてあるのはどうしたことか?
アルベルゲもお店もたくさんあるので、そこそこ大きな町に見える。

途中通り過ぎたアルベルゲ前には、ものすごい数の人がいた。
多くの巡礼者がこの町に宿泊するとみられる。
マークも今日はここでストップするらしい。

教会でスタンプをもらい、ランチの場所を探す。
ルー、スィナと3人でランチしていると、遠くにエリザベスを発見。
手を振ると気づいて近づいてきた。

エリザベスは昨夜、Portomarínのホテルでぐっすりと快適に眠り、今日もここでホテルに泊まるそうだ。
いいなあ、お金持ちって。


しばらくすると向こうのテーブルに東洋人のおじさん2人を含む巡礼者のグループがやってきた。
ルーは中国で英語を教えたこともあるので、アジア人の顔の区別にはある程度自信を持っている。
ルーの見立てでは、日本人。
私は、微妙なところだけど、韓国人ではないかと思う。

確認のため、声をかけてみたら、やっぱりおじさんたちは韓国人だった。
このように、ルーが加わってからまたアジア人巡礼者の国籍当てクイズが始まることとなる。


そういえば今日、ここに至る前に休憩したバルで、アジア人の若い男の子がいた。
長髪で、なんとなく日本人っぽい風貌だったので、ルーも私も「日本人に違いない」と思い、ルーが話しかけてみると韓国人だった。
日本人と確信していたルーは、かなりショックを受けていた。

その韓国人の男の子、私が日本人と知るとかなり興奮した様子で、「日本人?日本人?トモキに教えてあげなきゃ!」と喜びだした。
彼のかなり入門編な英会話と、一緒にいたオーストリア人の男の子のまあまあな英語から察するに、トモキと言う名の日本人と一緒に歩いてきたけど、彼は少し手前のバルで休憩しているらしい。
トモキはこの2人についてこれなかったのか?


ランチ後、次の村San Xuliánに向けて出発。
Palas de Reiからは若干の下り坂。
それでも今日も炎天下を20km近く歩いているのでしんどい。

1軒目に出て来たアルベルゲは、残念ながらフル。
もう1kmほど進むともう1軒あると言われたので、ベッドが開いていることを祈りつつ目指す。

2軒目はベッド1つだけ空いている。
昨日と同じパターンか。

どうしようかと相談していると、オスピタレロの1人が「3名1室で30ユーロの部屋ならある」と言ってきた。
背に腹は代えられないので、それでもいいと返事をしたが、なにやら手違いだったようで、実はその部屋はすでに他の巡礼者が押さえていた。

またかよ…。
そういう手違い多いよね、スペイン。


「しょうがないから先へ進もう」と、スィナとルーが歩きはじめる。

え?ちょっと、さっきのベッド1台は?!

私的には、何も3人一緒の場所でなくていいからさ、せっかくベッドが1つ空いてるんなら、この中の誰か1人が泊まればいいんじゃない??

が、2人は「あのベッド、あとからベティがやってきて確保できるといいわね」って、あんたたち一体どんだけ善人なんですか

もしかして、自己中心的なのは私だけ?
なんか、何が何だか分からなくなる。


西洋人と一緒に歩いてみて分かったことだけど、やっぱり彼らは体格が大きい分、基礎体力がある。
普段山歩きなどしていなかったスィナでさえ、この巡礼中にメキメキと力をつけてきている。
西洋人軍団と一緒に歩いていると、結構歩くペースが速かったりして、ついて行くのが大変だ。

彼女らはまだそれほどでもないかもしれないが、こちらは疲れがピークに達して来ている。
次のアルベルゲでまたベッドが1つだけとかなら、絶対誰か1人がそれを確保することを主張する!
もし2人が遠慮して取らなかったら、その時は私が取る!
こんな時にチームワークなんかいらない!
気遣い、思いやりはいらねえ!
と、半分怒りながら歩く。



Casanovaという標識が現れたので、そろそろこの辺りにアルベルゲがあるはず。
目の前に現れた建物がアルベルゲかと思い、中庭に足を踏み入れてみると、そこは普通の民家だった…。

おばあちゃんが中庭の井戸でベリーを洗っている。

「あの~、すみません。アルベルゲどこですか?」と聞いてみると、「この先よ」と教えてくれたついでに、「このベリー、1ユーロで買わない?」と。

あ、巡礼者相手に商売してるんですね。
でもブルーベリーやら木イチゴやらいくつか種類があっておいしそう
何かフレッシュなものを口にしたかったので、迷わず購入。

私がベリーを買っている間に、スィナとルーはどんどん先へ進んでしまった。



しばらく坂を上って16:00、ようやく小奇麗な私営アルベルゲに到着。
幸いにもベッドはたくさん空いていたので、ここに決まり!
宿泊料は5ユーロだった。

オスピタレラのおばさんの話によると、この辺りには食べるところが全くないので、希望者は宿の車で1つ先の村にあるアルベルゲのレストランまで連れて行ってくれるという。
ディナーは8ユーロ。
車は19:00に迎えに来るとのこと。

アルベルゲに入ると、今日途中で会った韓国人とオーストリア人の青年2人も到着していた。
あいかわらず「トモキ」の姿は見えないようだが、追いつけなかったのか。



ベッドルームに入ると、大柄でスキンヘッドのスペイン人の若者がいた。
名前はマルコス。
早速ルーがスペイン語会話の練習をしている間に、私とスィナはシャワーと洗濯を済ませる。


夕方になり、お迎えの車で夕食場所へ。
人数が多いので、ピストン輸送だ。

レストランがあるアルベルゲは、車ではすぐだが、この道を歩くとなるとやはりきつかったと思う。
Casanovaでベッドが確保できてよかった。

ディナーの席にはマルコスの他にスペイン人の19歳と24歳の青年たちがいた。
19歳の方は警察学校に行ってるらしい。
24歳の子は、かかとにとてつもなくひどい靴ずれを起こしており、見ていて痛々しい。
「大丈夫?」と声をかけると、「大丈夫じゃない」という素直な答えが返ってきた。
そ、そうだよね…。

その他、オーストラリア人女性2名、スロバキア人男性1名がテーブルを囲む。

第1皿はミックスサラダ、第2皿は肉団子にしてみた。
デザートはサラダ。

帰りはまたピストン輸送で、元来た道を戻る。



寝る前にスィナがまた足のマッサージをしてくれた。
タイガーバームをたっぷり塗って、プロの技で疲れを癒してくれる。

ルーもタイで買ったというタイガーバームみたいな軟膏を持っており、それを使ってマッサージを受ける。







その後は就寝時間まで、スペイン人のマルコス、スロバキア人のトマスを交えて話に花が咲く。

到着時にはたくさん空いていたベッドだが、夜になって人がたくさん到着し、最後には空きベッド1つのみとなっていた。













本日の歩行距離:約24km
本日の歩数:33,714歩