えーっと、でもやっぱりこれまでの道のりで素晴らしい木々を見てきてるので、縄文杉だからと言って格別の感動は…。
ちなみに縄文杉の樹齢は2700年とも7000年とも言われていてはっきりしません。
中が空洞になってるから特定できないようです。
地元の人によると、屋久島には縄文杉よりも大きな杉があるそうですよ。
そしてネットで読んだのですが、縄文杉は別に縄文時代から生えているからとかではなく、発見した人が「縄文土器に似てる」ということでつけたとか。
本当かな?
別に似てないと思いますけど…。
ちなみにウィルソン株はウィルソンさんという人が発見したんですよね、確か。
そして…
時計を見るとまだ10時半。
トータル4時間で上まで来ちゃいました。
しんどかったけど、意外とあっけなく到着してしまったようです。
しょうがないのでまだお腹がすいてないけど昼食を。
他のみなさんは一様に登山弁当を持ってこられていて、ガイドさん付きの人たちは食後のコーヒーまで入れてもらっていました。
私はパン…。
トマトが練りこんである生地です。
中にはチーズが入ってます。
なかなかおいしかったですが、やっぱりおにぎりが入った登山弁当の方が良かったかな。
あまりにあっけなかったので、もう1回縄文杉の写真を撮り、下りまーす。
が、帰りのバスは早くても16時半。
こんなに早く上まで到達してしまい、このままのペースで降りると早すぎます!
どうしよう…。
しかし縄文杉周辺でウロウロしていても暑いだけだし。
しょうがない、ゆっくり下るか。
あとから登って来る人と「こんにちは~」と挨拶を交わしつつ下りていると、とあるガイドのおじさんに「いい笑顔ですね~。縄文杉から何かもらったね。」と言われました。
あれれ?
私別にそんなめっちゃ満面の笑顔じゃなかったと思うんですけど。
でもそこで、「あ、これが今日の教えか」と思いました。
今回の旅では自分なりに様々なテーマ設定をしています。
天からのメッセージをきちんと受け止めるというのもそのひとつ。
ガイドさんから指摘されたように、きっと縄文杉から何かもらったのでしょう。
これからも笑顔と挨拶を大事にしたいものです。
私が山を下っていると続々と下からツアーの人たちが登ってきます。
その中にルームメイトのAさんの姿も発見!
ツアーではずいぶんとゆっくりなペースで登るようですね。
登っている時は気付かなかったのですが、石の上に顔が。
後で聞いたところによると、みんながどんどん顔を変えていくそうです。
Aさんによると、登りではへの字口だったのに下りでは笑顔になっていたそうです。
下りは時間調整もあるので何度も休憩を取り、ゆっくりゆっくりと。
それにやっぱり登山は下りの方が足に負担がかかります。
他の登山者と抜きつ抜かれつしながら、ゆっくりゆっくり。
トロッコのポイント切り替え。
苔がかわいいのでアップで。
キノコも。
それにしても、帰りはあの8kmのトロッコ道が異常に長く感じられます。
何度も休憩を取り、何度も行動食と水を補給し、かなり体力を消耗しつつようやくゴール!
…って、まだ15時です。
バスまで1時間半待ちぼうけ。
相変わらずカンカン照りでとにかく暑いっ!
登山口にはトイレ以外何もないので、ひたすら日陰に座って待つのみです。
これが結構つらかったです。
あとから下山した人たちのほとんどはツアーだったり、レンタカー組だったりして、どんどん先に帰って行ってしまいます。
バス組の数名だけが、うらめしそうにその人たちを眺めながらひたすら16時半になるのを待っています。
一人、金髪で見るからにフィンランド人な男の子がいました。
後でわかったことですが、同じユースに泊まっており、思ったとおりフィンランド人でした。
私のフィンランド人を見分ける目はまだ衰えていないようです。(笑)
16時半になり、ようやくバスが来ました~!
ほんとに長かった待ち時間。
ユースに帰ったら下山報告をして、それからとにかくシャワー!
そして夕方。
まだルームメイトのAさんは戻ってこないようです。
明日の朝食とか夕食も買っておかないといけないし、今夜の夕飯はどうしようかなと思いつつ、とりあえず外出してみました。
相変わらずほとんど人が歩いていないです、宮之浦町。
お腹がすくまでお気に入りの宮之浦川で夕涼みをしようと思い行ってみると、旧宮之浦大橋の上で「炭坑節」を大声で歌うお婆さんが…。
そばではお爺さんが釣り糸を垂れています。
やばい、やばすぎる、このキャラと設定。
絶対このお婆さん声をかけてくる。
と思っていたら案の定、お婆さんに声をかけられました。
「最近引っ越して来たの?」
「いえ、旅行者です」
「どこから?」
「大阪です」
「ああ、大阪には知り合いがおって、この前も行ってきたんだけど…」
と、ここからお婆さんのマシンガントークが始まってしまいました。
ここも昔は漁業で栄えていたのに今はさっぱりだの、息子が億単位の借金を25年で完済しただの、レンタカー屋を始めた自分たちは先見の明があっただの、電電公社ができた時は九州から何百人も来てたけど今はなくなってしまっただの、お婆さんのおしゃべりはとどまるところを知りません。
橋の上には他にもウォーキングしてる2人のお婆さんがいたのですが、後ろから「ほら、あの右側の奥さんも昔は電電公社勤めだったんだけどね…」などと、この島では全くプライバシーはありません。
また、「みんな屋久島がええからここに来て住みたいっちゅうけど、来たらだめよ!」と強く言われました。
な、なぜ?
「仕事がないから!ここは物価が高いし仕事がないから絶対来ちゃだめ」
…。はい、分かりました。
一体どこでこの世間話に区切りをつけようかと思っていると、お婆さんが「この近くに知り合いのお土産屋さんがあるから、ちょっとおいで」と。
こ、これはまさか途上国で良くある強引な商法?!
「何にも買わんでもええから、見て行ったらええわ。何かただでくれるから」と、ますます怪しい口調です。
迷いながらもついて行くと、なかなか表通りからはわからない場所に「はとや観光」さんというお店兼工房がありました。
もう夕方なので営業は終わってる感じなのに、お婆さんは構わず入っていきます。
ここでは屋久杉の木彫りのお土産をたくさん作っていて、観光センターなどにも卸しているそうです。
ここは卸なのでここで買うと消費税は払わなくてもいいとか。
それはありがたいんですけど、いま一つ屋久杉グッズで買いたい物ってないんですよねー。
幸いにもお店のおばさんもとても良い人で、商品を勧められることもなく、色々と世間話をしました。
そして定価300円の屋久杉ストラップをお土産にくれました。
あ、ほんとにここの人たちは良い人たちなんだ。
一瞬たりとも疑った自分が恥ずかしい。
お婆さんはしきりに「ここは場所が分かりにくいから、教えてあげないと」と言ってました。
さて、はとや観光さんを後にし、相変わらずお婆さんのマシンガントークを聞きながら旧宮之浦大橋を渡って戻りました。
「わたしゃ今78歳で、100まで生きたいと思うとるけど、年寄りやから体調のええ日も悪い日もあるわな~」などとおっしゃるので、「がんばって100まで生きて下さいよ」と励まそうかと思っていると、「まわりの友達ももうほとんど死んだねえ~」と続けられてしまったので二の句が継げず…。
仕方なく「みなさん、昔苦労されたからでしょうねえ」と返すとまたまた色んな話をぶり返されてしまいました。
「人としゃべらんとボケるから」とおっしゃってたので、ボケ防止に一役買わせて頂いたようです。
お婆さんちは昔は食事も出す民宿をしていたのですが、今は食事を作るのがしんどいので素泊まり3,000円にしてるそうです。
でも宣伝をしていないので、以前泊まった人のリピーターぐらいしか来ないそうです。
「今度来たらおばちゃんとこに泊まりなさいね」
は~い。(夜中まで話に付き合わされそうですが…。)
「また遊びにおいで」と言ってくださったので、翌日以降も遊びに行こうかと考えつつ、結局毎日活動していたので時間がありませんでした。
でもバスでお婆ちゃんちの前を通った時に洗濯をする姿がチラリと見え、「ああ、今日もお元気なんだな」とホッとしました。
さてさて、お婆ちゃんとの世間話を終えたらもう20時を回っており、どっぷり日も暮れてしまっていました。
でも縄文杉登山で疲れすぎたのかあまりお腹もすきません。
とりあえずスーパーでパンやヨーグルト、バナナなどを調達。
ユースの談話室では例のフィンランド人のP君が「明日は関西に行く」と言ってました。
はじめは「高野山と京都に行きたい」と言ってたのですが、「もう森はたくさん」とも言ってたので、「高野山って思いっきり山だよ…。違うところと言えばお寺があるくらい」と教えてあげたら悩んでいました。
宿坊とかに泊まりたかったようです。
その他、京都で是非行くといいお寺とか、たくさんありすぎて難しいのですが、Aさんと一緒にあれこれアドバイス。
私は宇治をお勧め。
P君は、普通外国人は知らないだろうというような群馬県の温泉に行ったり、わざわざ「梅雨の時期に行く場所」というテーマで検索していて屋久島にたどりついたり、ちょっと変わった人でした。
さすがにヨーロッパの人は冒険しますね。
森がすばらしいフィンランドから来たP君ですが、それでも屋久島にはスピリチュアルなものを感じたと言っていました。
うんうん、そうだと思う。
フィンランドの森にも妖精とかムーミンとかいっぱいいそうだけど、屋久島の森にも宮崎駿監督の映画にたくさん出てくるような妖精たちが住んでいることは間違いありません。
翌日はいよいよ「もののけ姫の森」がある白谷雲水峡へ。
同室のAさんと一緒に出かけることになりました。
森の妖精探します!
ちなみに縄文杉の樹齢は2700年とも7000年とも言われていてはっきりしません。
中が空洞になってるから特定できないようです。
地元の人によると、屋久島には縄文杉よりも大きな杉があるそうですよ。
そしてネットで読んだのですが、縄文杉は別に縄文時代から生えているからとかではなく、発見した人が「縄文土器に似てる」ということでつけたとか。
本当かな?
別に似てないと思いますけど…。
ちなみにウィルソン株はウィルソンさんという人が発見したんですよね、確か。
そして…
時計を見るとまだ10時半。
トータル4時間で上まで来ちゃいました。
しんどかったけど、意外とあっけなく到着してしまったようです。
しょうがないのでまだお腹がすいてないけど昼食を。
他のみなさんは一様に登山弁当を持ってこられていて、ガイドさん付きの人たちは食後のコーヒーまで入れてもらっていました。
私はパン…。
トマトが練りこんである生地です。
中にはチーズが入ってます。
なかなかおいしかったですが、やっぱりおにぎりが入った登山弁当の方が良かったかな。
あまりにあっけなかったので、もう1回縄文杉の写真を撮り、下りまーす。
が、帰りのバスは早くても16時半。
こんなに早く上まで到達してしまい、このままのペースで降りると早すぎます!
どうしよう…。
しかし縄文杉周辺でウロウロしていても暑いだけだし。
しょうがない、ゆっくり下るか。
あとから登って来る人と「こんにちは~」と挨拶を交わしつつ下りていると、とあるガイドのおじさんに「いい笑顔ですね~。縄文杉から何かもらったね。」と言われました。
あれれ?
私別にそんなめっちゃ満面の笑顔じゃなかったと思うんですけど。
でもそこで、「あ、これが今日の教えか」と思いました。
今回の旅では自分なりに様々なテーマ設定をしています。
天からのメッセージをきちんと受け止めるというのもそのひとつ。
ガイドさんから指摘されたように、きっと縄文杉から何かもらったのでしょう。
これからも笑顔と挨拶を大事にしたいものです。
私が山を下っていると続々と下からツアーの人たちが登ってきます。
その中にルームメイトのAさんの姿も発見!
ツアーではずいぶんとゆっくりなペースで登るようですね。
登っている時は気付かなかったのですが、石の上に顔が。
後で聞いたところによると、みんながどんどん顔を変えていくそうです。
Aさんによると、登りではへの字口だったのに下りでは笑顔になっていたそうです。
下りは時間調整もあるので何度も休憩を取り、ゆっくりゆっくりと。
それにやっぱり登山は下りの方が足に負担がかかります。
他の登山者と抜きつ抜かれつしながら、ゆっくりゆっくり。
トロッコのポイント切り替え。
苔がかわいいのでアップで。
キノコも。
それにしても、帰りはあの8kmのトロッコ道が異常に長く感じられます。
何度も休憩を取り、何度も行動食と水を補給し、かなり体力を消耗しつつようやくゴール!
…って、まだ15時です。
バスまで1時間半待ちぼうけ。
相変わらずカンカン照りでとにかく暑いっ!
登山口にはトイレ以外何もないので、ひたすら日陰に座って待つのみです。
これが結構つらかったです。
あとから下山した人たちのほとんどはツアーだったり、レンタカー組だったりして、どんどん先に帰って行ってしまいます。
バス組の数名だけが、うらめしそうにその人たちを眺めながらひたすら16時半になるのを待っています。
一人、金髪で見るからにフィンランド人な男の子がいました。
後でわかったことですが、同じユースに泊まっており、思ったとおりフィンランド人でした。
私のフィンランド人を見分ける目はまだ衰えていないようです。(笑)
16時半になり、ようやくバスが来ました~!
ほんとに長かった待ち時間。
ユースに帰ったら下山報告をして、それからとにかくシャワー!
そして夕方。
まだルームメイトのAさんは戻ってこないようです。
明日の朝食とか夕食も買っておかないといけないし、今夜の夕飯はどうしようかなと思いつつ、とりあえず外出してみました。
相変わらずほとんど人が歩いていないです、宮之浦町。
お腹がすくまでお気に入りの宮之浦川で夕涼みをしようと思い行ってみると、旧宮之浦大橋の上で「炭坑節」を大声で歌うお婆さんが…。
そばではお爺さんが釣り糸を垂れています。
やばい、やばすぎる、このキャラと設定。
絶対このお婆さん声をかけてくる。
と思っていたら案の定、お婆さんに声をかけられました。
「最近引っ越して来たの?」
「いえ、旅行者です」
「どこから?」
「大阪です」
「ああ、大阪には知り合いがおって、この前も行ってきたんだけど…」
と、ここからお婆さんのマシンガントークが始まってしまいました。
ここも昔は漁業で栄えていたのに今はさっぱりだの、息子が億単位の借金を25年で完済しただの、レンタカー屋を始めた自分たちは先見の明があっただの、電電公社ができた時は九州から何百人も来てたけど今はなくなってしまっただの、お婆さんのおしゃべりはとどまるところを知りません。
橋の上には他にもウォーキングしてる2人のお婆さんがいたのですが、後ろから「ほら、あの右側の奥さんも昔は電電公社勤めだったんだけどね…」などと、この島では全くプライバシーはありません。
また、「みんな屋久島がええからここに来て住みたいっちゅうけど、来たらだめよ!」と強く言われました。
な、なぜ?
「仕事がないから!ここは物価が高いし仕事がないから絶対来ちゃだめ」
…。はい、分かりました。
一体どこでこの世間話に区切りをつけようかと思っていると、お婆さんが「この近くに知り合いのお土産屋さんがあるから、ちょっとおいで」と。
こ、これはまさか途上国で良くある強引な商法?!
「何にも買わんでもええから、見て行ったらええわ。何かただでくれるから」と、ますます怪しい口調です。
迷いながらもついて行くと、なかなか表通りからはわからない場所に「はとや観光」さんというお店兼工房がありました。
もう夕方なので営業は終わってる感じなのに、お婆さんは構わず入っていきます。
ここでは屋久杉の木彫りのお土産をたくさん作っていて、観光センターなどにも卸しているそうです。
ここは卸なのでここで買うと消費税は払わなくてもいいとか。
それはありがたいんですけど、いま一つ屋久杉グッズで買いたい物ってないんですよねー。
幸いにもお店のおばさんもとても良い人で、商品を勧められることもなく、色々と世間話をしました。
そして定価300円の屋久杉ストラップをお土産にくれました。
あ、ほんとにここの人たちは良い人たちなんだ。
一瞬たりとも疑った自分が恥ずかしい。
お婆さんはしきりに「ここは場所が分かりにくいから、教えてあげないと」と言ってました。
さて、はとや観光さんを後にし、相変わらずお婆さんのマシンガントークを聞きながら旧宮之浦大橋を渡って戻りました。
「わたしゃ今78歳で、100まで生きたいと思うとるけど、年寄りやから体調のええ日も悪い日もあるわな~」などとおっしゃるので、「がんばって100まで生きて下さいよ」と励まそうかと思っていると、「まわりの友達ももうほとんど死んだねえ~」と続けられてしまったので二の句が継げず…。
仕方なく「みなさん、昔苦労されたからでしょうねえ」と返すとまたまた色んな話をぶり返されてしまいました。
「人としゃべらんとボケるから」とおっしゃってたので、ボケ防止に一役買わせて頂いたようです。
お婆さんちは昔は食事も出す民宿をしていたのですが、今は食事を作るのがしんどいので素泊まり3,000円にしてるそうです。
でも宣伝をしていないので、以前泊まった人のリピーターぐらいしか来ないそうです。
「今度来たらおばちゃんとこに泊まりなさいね」
は~い。(夜中まで話に付き合わされそうですが…。)
「また遊びにおいで」と言ってくださったので、翌日以降も遊びに行こうかと考えつつ、結局毎日活動していたので時間がありませんでした。
でもバスでお婆ちゃんちの前を通った時に洗濯をする姿がチラリと見え、「ああ、今日もお元気なんだな」とホッとしました。
さてさて、お婆ちゃんとの世間話を終えたらもう20時を回っており、どっぷり日も暮れてしまっていました。
でも縄文杉登山で疲れすぎたのかあまりお腹もすきません。
とりあえずスーパーでパンやヨーグルト、バナナなどを調達。
ユースの談話室では例のフィンランド人のP君が「明日は関西に行く」と言ってました。
はじめは「高野山と京都に行きたい」と言ってたのですが、「もう森はたくさん」とも言ってたので、「高野山って思いっきり山だよ…。違うところと言えばお寺があるくらい」と教えてあげたら悩んでいました。
宿坊とかに泊まりたかったようです。
その他、京都で是非行くといいお寺とか、たくさんありすぎて難しいのですが、Aさんと一緒にあれこれアドバイス。
私は宇治をお勧め。
P君は、普通外国人は知らないだろうというような群馬県の温泉に行ったり、わざわざ「梅雨の時期に行く場所」というテーマで検索していて屋久島にたどりついたり、ちょっと変わった人でした。
さすがにヨーロッパの人は冒険しますね。
森がすばらしいフィンランドから来たP君ですが、それでも屋久島にはスピリチュアルなものを感じたと言っていました。
うんうん、そうだと思う。
フィンランドの森にも妖精とかムーミンとかいっぱいいそうだけど、屋久島の森にも宮崎駿監督の映画にたくさん出てくるような妖精たちが住んでいることは間違いありません。
翌日はいよいよ「もののけ姫の森」がある白谷雲水峡へ。
同室のAさんと一緒に出かけることになりました。
森の妖精探します!