仏経済学者トマ・ピケティがブームである。昨年後半から今年にかけて多くの経済紙がピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)を特集し、NHKの『白熱教室』にも登場した。
ピケティは過去200年間の世界中の税務統計を集めて、その結果「r>g」という大発見を世の中に提示した。過去200年間、世界全体で資本収益率(r)は常に経済成長率(g)を上回っていたと結論付けた。そのメカニズムによって、資産を持つ富裕層に富が集積していくことになる。そこでピケティは全世界的に富裕層へ課税をして、富の偏在を解消していくべきだと説く。これが現在巻き起こっているピケティブームの一番主要な論点である。
さて、本連載は常に世の中をウラ読みするコラムなので、本稿では世の中で議論されている正調のピケティ議論ではない、もうひとつの読み方について考えていきたい。
●事業を立ち上げるのは割に合わない?
ピケティの「r>g」を前提に考えると、事業を立ち上げるのは割に合わないかもしれないのだ。いや筆者もなんとなく、これまでもそんな気がしていた。連続テレビドラマ『半沢直樹』(TBS系)を観たり漫画『ナニワ金融道』(講談社)を読んでいても、実際にいろいろな企業家の相談に乗っていても、なんとなく資本家や銀行家のほうが企業家よりも割がいいような気がしていたのだ。
企業家の中でも自分で会社を立ち上げた起業家は、お付き合いしていると、人物としては非常に魅力的であることが多い。チャレンジャーで創意工夫に富んでいて、いつも何か面白いことを考えている。ただ儲かっている人もいるのだが、あまり儲かっていない人もいる。時流に乗って非常に儲かっている起業家は、筆者にもよくしてくれるし、周囲にも気前よくお金をばらまいてくれる。
しかし、そういった調子のよい時期はいつまでも続くことはなく、10~20年の期間でみると、どちらかといえば苦労して経営している時期のほうが長いように見える。
一方で資本家や銀行家はというと、人間的にはそれほど魅力も感じないし、堅いというか派手さはない。だが、長い目で見ると、お金はこういった人たちに還流しているように感じていた。
起業家は結局、事業が傾くと財産をすべて奪われて夜逃げをする。一方で資本家や銀行家は、その前に貸したお金をきっちりと回収している気がしていた。
そしてここが重要な点なのだが、経営学の理論を学んだ筆者は、そのような感覚は理論的には間違っていると思い込んでいたが、勘違いだったようなのだ。従来の経営学の理論では、同じ投資家でもリスク投資をした資本家は、起業家が失敗すれば株式が無になることで起業家と同様に資産を失う。融資というかたちで資金を供給した銀行家は、元本は安全だが、金利以上の儲けは手にすることができない。だからリスクを取った者がビジネスの成功を手にするし、リスクを取らない金貸しは金利しか手にすることができない。リスクを取ったのであれば、投資家も起業家も同じ船に乗った者同士である。そうだとすると「r=g」というかたちで資本家も起業家も同じ成果を手にできるはずだから、資本家や銀行家が有利だというようなことはない、とこれまでは考えられてきた。
しかし、ピケティが発見したことは過去200年の歴史を通じて常に資本収益率は経済成長率よりも高い、つまり事実は「r>g」なのだ。第二次世界大戦後から現代までの期間が歴史上もっともこの両者の格差が狭くなった時期ではあるのだが、それでもr(資本収益率)は一貫して4~5%の間、そしてg(経済成長率)は3~4%の間にあって、常にrのほうが大きい。
つまり事業を起こして産業発展を通じて経済を成長させていく行為へのリターンよりも、彼らに資本を提供してキャピタルゲインや配当、利子を搾取していく行為へのリターンのほうが、歴史を通じて常に高いというのである。
これが事実であれば、起業家になるよりも資本家になるほうが、得られる期待値は高いというわけだ。そしてピケティが過去200年間のデータを集積した結果、どうやらそれが事実であるらしいということで、今、ピケティをめぐった大騒動が起きているのである。
どうやら現実は、これまでなんとなく筆者がそう思ってきた通りで、中小企業の社長になるよりも、株主や銀行の立場になるほうが割がよいということが、ピケティの努力の結果、統計的にはっきりしたということだ。就職活動が近い自分の子どもには、小説『下町ロケット』を読ませるよりも、『半沢直樹』を見せておいたほうがよさそうだ。
●10%の富裕層でない人たちにとっての選択肢
さて、「だったらみんな最初から資本家になったほうがいい」というわけではない。なぜなら、資産を持っていなければ資本家にはなれないからだ。その資産はというと、人口の10%が世の中全体の60~70%の資産を所有している。ここで再びピケティの論点の本筋に議論が合流することになる。
もともと割のいい立場は、長い歴史を通じて、ごく一部の人たちの手に握られたままなのである。そこでそのような10%の富裕層でない人たちにとっての選択肢は、起業家になって一攫千金を狙うか、そうではない第三の選択肢、それは同時にほとんどの人が選ぶ選択肢でもあるが、サラリーマンになって経済成長よりもさらに低い上昇率の給料をもらいながら、その中で勝ち残って大企業経営者という「フローでの」富裕層を目指す道を選ぶかなのである。
突き詰めて考えると、起業をするということも、サラリーマンから社長を目指すということも、経済成長以上に成功して自分が儲かる立場になるというわずかな可能性に賭けることである。少ない確率ではあるが、そうなった人は富裕層の仲間入りをすることができる。
しかし当然ながら、経済成長率以下のペースでしか資産を増やせない普通の人になる可能性のほうが大きい。そしてそのような人たちは、資本家や銀行家たちに利潤の大きな部分を搾取されていくことになる。一攫千金の夢を追って起業して20年間がんばったけど、最後は銀行に家屋敷をとられてしまっておしまいということになる人も少なくない。なにしろ200年間を通じて常に「r>g」なのだ。
とはいえ、ピケティが提唱するような世界規模で富裕層への増税が実現する現実的な方法は、当面は発見されないだろう。とすれば富裕層ではない90%の読者のみなさんにとってできることは、確率的な期待値ではなく、ボラティリティ(変動率)に賭けるしか富裕層の仲間入りをする方法はないということなのだ。
ピケティが「チャレンジは結局、割に合わない」という事実を発見してくれたけれども、とれる選択肢は相変わらず「チャレンジするほかに方法はない」ということだったわけだ。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)
ピケティは過去200年間の世界中の税務統計を集めて、その結果「r>g」という大発見を世の中に提示した。過去200年間、世界全体で資本収益率(r)は常に経済成長率(g)を上回っていたと結論付けた。そのメカニズムによって、資産を持つ富裕層に富が集積していくことになる。そこでピケティは全世界的に富裕層へ課税をして、富の偏在を解消していくべきだと説く。これが現在巻き起こっているピケティブームの一番主要な論点である。
さて、本連載は常に世の中をウラ読みするコラムなので、本稿では世の中で議論されている正調のピケティ議論ではない、もうひとつの読み方について考えていきたい。
●事業を立ち上げるのは割に合わない?
ピケティの「r>g」を前提に考えると、事業を立ち上げるのは割に合わないかもしれないのだ。いや筆者もなんとなく、これまでもそんな気がしていた。連続テレビドラマ『半沢直樹』(TBS系)を観たり漫画『ナニワ金融道』(講談社)を読んでいても、実際にいろいろな企業家の相談に乗っていても、なんとなく資本家や銀行家のほうが企業家よりも割がいいような気がしていたのだ。
企業家の中でも自分で会社を立ち上げた起業家は、お付き合いしていると、人物としては非常に魅力的であることが多い。チャレンジャーで創意工夫に富んでいて、いつも何か面白いことを考えている。ただ儲かっている人もいるのだが、あまり儲かっていない人もいる。時流に乗って非常に儲かっている起業家は、筆者にもよくしてくれるし、周囲にも気前よくお金をばらまいてくれる。
しかし、そういった調子のよい時期はいつまでも続くことはなく、10~20年の期間でみると、どちらかといえば苦労して経営している時期のほうが長いように見える。
一方で資本家や銀行家はというと、人間的にはそれほど魅力も感じないし、堅いというか派手さはない。だが、長い目で見ると、お金はこういった人たちに還流しているように感じていた。
起業家は結局、事業が傾くと財産をすべて奪われて夜逃げをする。一方で資本家や銀行家は、その前に貸したお金をきっちりと回収している気がしていた。
そしてここが重要な点なのだが、経営学の理論を学んだ筆者は、そのような感覚は理論的には間違っていると思い込んでいたが、勘違いだったようなのだ。従来の経営学の理論では、同じ投資家でもリスク投資をした資本家は、起業家が失敗すれば株式が無になることで起業家と同様に資産を失う。融資というかたちで資金を供給した銀行家は、元本は安全だが、金利以上の儲けは手にすることができない。だからリスクを取った者がビジネスの成功を手にするし、リスクを取らない金貸しは金利しか手にすることができない。リスクを取ったのであれば、投資家も起業家も同じ船に乗った者同士である。そうだとすると「r=g」というかたちで資本家も起業家も同じ成果を手にできるはずだから、資本家や銀行家が有利だというようなことはない、とこれまでは考えられてきた。
しかし、ピケティが発見したことは過去200年の歴史を通じて常に資本収益率は経済成長率よりも高い、つまり事実は「r>g」なのだ。第二次世界大戦後から現代までの期間が歴史上もっともこの両者の格差が狭くなった時期ではあるのだが、それでもr(資本収益率)は一貫して4~5%の間、そしてg(経済成長率)は3~4%の間にあって、常にrのほうが大きい。
つまり事業を起こして産業発展を通じて経済を成長させていく行為へのリターンよりも、彼らに資本を提供してキャピタルゲインや配当、利子を搾取していく行為へのリターンのほうが、歴史を通じて常に高いというのである。
これが事実であれば、起業家になるよりも資本家になるほうが、得られる期待値は高いというわけだ。そしてピケティが過去200年間のデータを集積した結果、どうやらそれが事実であるらしいということで、今、ピケティをめぐった大騒動が起きているのである。
どうやら現実は、これまでなんとなく筆者がそう思ってきた通りで、中小企業の社長になるよりも、株主や銀行の立場になるほうが割がよいということが、ピケティの努力の結果、統計的にはっきりしたということだ。就職活動が近い自分の子どもには、小説『下町ロケット』を読ませるよりも、『半沢直樹』を見せておいたほうがよさそうだ。
●10%の富裕層でない人たちにとっての選択肢
さて、「だったらみんな最初から資本家になったほうがいい」というわけではない。なぜなら、資産を持っていなければ資本家にはなれないからだ。その資産はというと、人口の10%が世の中全体の60~70%の資産を所有している。ここで再びピケティの論点の本筋に議論が合流することになる。
もともと割のいい立場は、長い歴史を通じて、ごく一部の人たちの手に握られたままなのである。そこでそのような10%の富裕層でない人たちにとっての選択肢は、起業家になって一攫千金を狙うか、そうではない第三の選択肢、それは同時にほとんどの人が選ぶ選択肢でもあるが、サラリーマンになって経済成長よりもさらに低い上昇率の給料をもらいながら、その中で勝ち残って大企業経営者という「フローでの」富裕層を目指す道を選ぶかなのである。
突き詰めて考えると、起業をするということも、サラリーマンから社長を目指すということも、経済成長以上に成功して自分が儲かる立場になるというわずかな可能性に賭けることである。少ない確率ではあるが、そうなった人は富裕層の仲間入りをすることができる。
しかし当然ながら、経済成長率以下のペースでしか資産を増やせない普通の人になる可能性のほうが大きい。そしてそのような人たちは、資本家や銀行家たちに利潤の大きな部分を搾取されていくことになる。一攫千金の夢を追って起業して20年間がんばったけど、最後は銀行に家屋敷をとられてしまっておしまいということになる人も少なくない。なにしろ200年間を通じて常に「r>g」なのだ。
とはいえ、ピケティが提唱するような世界規模で富裕層への増税が実現する現実的な方法は、当面は発見されないだろう。とすれば富裕層ではない90%の読者のみなさんにとってできることは、確率的な期待値ではなく、ボラティリティ(変動率)に賭けるしか富裕層の仲間入りをする方法はないということなのだ。
ピケティが「チャレンジは結局、割に合わない」という事実を発見してくれたけれども、とれる選択肢は相変わらず「チャレンジするほかに方法はない」ということだったわけだ。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)