お役立ち情報ブログ

日々の生活やビジネスにおいて役に立ちそうな情報を収集、公開しています。

旧世代とは全く違う!「令和の金持ち」の働き方・稼ぎ方

2022年02月27日 06時58分48秒 | 起業

旧世代は「忙しさ」を自慢するが、新世代は「ヒマ」を自慢する

旧世代の富裕層は、自分がどれだけ多忙であるかを周囲に自慢する傾向があります。たとえば「昨日は徹夜した」「あちこちへ出張した」「こんなに打ち合わせが多かった」などです。

 

一方、新世代の富裕層は「1日これだけしか働いていない」「寝てても稼げている」「打ち合わせはZoomで十数分だけ」など、労働時間の短さを自慢します。

これは良い悪いではなく、世代間による労働観の違いなのかもしれません。

旧世代は、人一倍努力して成功した世代ゆえに「労働は美徳」という価値観があります。一方、新世代はがむしゃらに働くことを良しとせず(もちろん必要な時はやる)、むしろいかに効率的に稼ぐかを意識しています。

ただしこれは「怠ける」とは根本的に異なり、見た目はのんびりでも、彼らの頭脳はフル回転していることがほとんど。

では何を考えているかというと「どうすればこのビジネスを仕組み化できるか」についてです。

 

新・旧世代でビジネモデルも全く違う

人材紹介や不動産販売などの「狩猟型ビジネス」は、1回あたりの売上は大きいものの、常に新規の顧客を開拓し続けなければならないという宿命を背負っています。

 

人材紹介は、転職者の年収の30%くらいの紹介手数料がもらえるので、仮に年収1000万円の人材の転職を成功させれば300万円の報酬がもらえます。

不動産販売(仲介)も同様で、5000万円のマンションを仕入れて売れば、買い手から3%+売り手から3%の仲介手数料(※)、つまり300万円の報酬が得られます。人材紹介は設備投資も資金も不要だし、不動産販売も仲介ならほぼ資金ゼロでできます。

※上限は「物件価格×3%+6万円+消費税」となります。

しかし考えればわかるとおり、取引が1回1回で完結するので、すぐに次の顧客を探さなければならず、それが半永久的に続きます。

そのため、いわゆる「夜討ち朝駆け」といった体育会的になりがちです。さらに、景気に左右されやすいという特徴も持っていて、不景気で真っ先に落ち込むのはこうした業態です。

一方、仕組み化された「耕作型ビジネス」は、1回あたりの売上は小さくても、月単位あるいは年単位で継続的にお金が落ちるモデルです。

典型例は、電力会社やサーバーホスティング会社で、契約1件あたりの売上は月に5000~1万円くらいですが、膨大な数を集めることで安定化します。

また、このタイプは景気に左右されにくいものが多い。不況だからといって電気を使わないとか、ホームページを閉じるということはあまりないでしょう(むしろホームページをより強化するかもしれない)。

たとえば友人の新世代の富裕層は、有料メルマガ・オンラインサロン・YouTubeで稼いでいますが、これらは誰でもでき、初期投資はほとんどかかりません。メルマガは購読者数、サロンは入会者数が増え、YouTubeは再生回数・時間が延びれば収入も上がります。

そして彼は、いつ仕事しているのかわからないくらい旅行をしているにもかかわらず、年収は「億超え」です。運営はスタッフに任せているのですが、「すべてのコンテンツをタダで見ていい」という条件で、ボランティアでやってもらっているらしく、なかなか賢くやっています。

文:午堂 登紀雄(マネーガイド)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お金持ちは知ってる!「人生の転機」はいつでも起こせる

2022年02月26日 07時49分10秒 | お金持ちの思考

行動を起こすことこそが人生の転機を生む

「今やっていることが未来の自分をつくる」というのは当たり前すぎる話ですが、そう考えれば、自分の転機は今からでも、そしていつでも起こせるということがわかります。

 

たとえば私の場合、サラリーマン生活最後の1年間は、ずっと自由を得ることを考えていました。当時は外資系企業に勤めていて、給与は高いですが、超多忙でほぼ毎日タクシー帰り、土日も仕事という環境でした。これが3年ほど続き、次のようなことを感じるようになったのです。

・プレッシャーも時間も減らし、自分のペースで仕事がしたい

・他人を助言する立場ではなく、自分でやってみたい

その環境づくりとして、「不労所得」を作ることを思いつきました。自分の労働力に依存しない収入源があれば、会社を辞めても生活できるし、起業して仮に失敗しても生活は維持できるだろう、と考えたのです。

では何をどうすればいいかを探したところ、当時は副業禁止でスマホなどもありませんでしたから、消去法で不動産投資を選びました。

方法論が決まれば、あとは実行。不動産投資の本を読み漁り、不動産投資に強い不動産業者を探してアポイントを取り、毎週末は訪問して面談しました。

同時に、70万円しかなかった自己資金を増やすため、節約・貯蓄に取り組みました(当時は年俸制だったため、翌年までは給与は変わらないので節約するしかなかったからです)。

そして物件情報が来たらすぐに見に行き、問題ないと判断したら銀行融資を依頼し、審査が通れば購入、を繰り返し、十分ではないにしろ、ようやく環境づくりの目途が立ちました。

これが私の転機となり、今につながっています。

 

どう生きたいかをじっくり考え、実行に移す

大切なことは、まず自分が思い描いている方向性と、今の自分が置かれた環境とのズレを認識する。そしてそのズレを解消する方法を考え、実行する。

 

文字にすると「なんて当たり前な」と感じてしまうものですが、なかなかできないのは、おそらくそれをじっくり考える余裕がないからかもしれません。

仕事であれば選択肢はある程度絞り込めるものですが、人生の選択肢は無限にあって、どれが良いかは判断がつきにくいため、どうしても面倒で後回しになりがちです。

いつも友人とつるんでいるような若者の思考が浅くなりやすいのはそこにも理由があり、いつも他人と一緒では、一人で内省する時間が取りにくいからでしょう。

大人でも同じく、その時間が取れないと環境変化に振り回されたり、不満があっても現状に甘んじるということになる可能性がありますから、やはり「じっくり考える一人の時間」が必要です。

 

「いつかやりたいこと」は「今やる」

また、「将来はこんなことをやりたい」と思っていることがあったら、ちょっとでもいいから今すぐ手を付けておくことです。なぜなら、やりたいと思ったときにやらなければ、永遠にやらないままになりがちですし、何よりチャンスを引き寄せられないからです。

 

たとえば「山登りをしたい」という願望があるなら、「時間に余裕ができたら」ではなく、すぐ山に行く。

行けばその体験を会社の同僚や友人知人に話すでしょう。するとそれを聞いた誰かから、「こんな人を知っているから紹介するよ」「私も興味があるから連れて行ってよ」という声がかかることがある。そしてそこから、新しい仲間ができたり、自分一人では登れない山にも行ける知識やチャンスが転がり込んでくる可能性が出てきます。

仕事も同じく、「将来やりたい」というだけでは、誰も気づかず、誰からも引き上げてもらえない。

しかし、たとえば、今は営業だけど、将来は企画・マーケティングの仕事をしたいという人。それも今の営業をやりながら、社内で「こんな商品はどうか」「こんな販促手法はどうか」と声を出して提案し続けるのです。

すると、「あの人は積極的に企画を提案してくる」「マーケティングにも明るいらしい」というブランドができ、当該部署に異動できたり、関連のプロジェクトにアサインされるかもしれません。

本も読みたいけど忙しくて時間が取れないと思っても、とりあえず買ってきて積ん読状態にしておく。

常に大量の新刊が発売され、既刊本の多くは棚から撤去され消えていきます。そして自分もその本のことを忘れていく。すると、自分を変えてくれるかもしれない本との出会いというチャンスを逃すことになりかねない。

しかし、買って書棚に置いておけば、ふとした瞬間に本のタイトルが目に入り、自分の興味関心を意識しておける。「今日は時間があるから読んでみよう」というきっかけになる。

今までの人生があっという間だったように、これからの人生もきっとあっという間に過ぎ去っていくでしょう。人生は長いようでいて、何事かを成そうとすると、案外短いもの。

やりたいことは後回しにするのではなく、「いつか」という期限が見えないものにせず、今やる。ちょっとだけでもいいから手を付けて、チャンスの種をまいておくことです。

文:午堂 登紀雄(マネーガイド)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の賃金「韓国の77%」は本当か、時代遅れの日本の賃金統計

2022年02月26日 07時44分11秒 | 経済

日本の賃金は韓国の77%でしかない??
賃金構造基本統計は正確なのか
日本の賃金が他国に比べて低くなっている。最近では、韓国の賃金より低くなったことが話題になっている。

では、日本の賃金はどのぐらい低いのか?

賃金の国際比較でよく用いられるOECD(経済協力開発機構)のデータを見ると、2020年の韓国の年間賃金は4万1960ドルだ。

これに対して日本の平均賃金は、「賃金構造基本統計調査」によると男女計で月額30.77万円だ(2020年)。年にすれば369.2万円だ。1ドル=114円でドルに換算すると3万2386ドルになる。

これは韓国の77%でしかない!

一方、「毎月勤労統計調査」では、2020年の平均月間給与(現金給与)は31.84万円だ。年にすれば382.0万円(3万3514ドル)。賃金基本調査より高くはなるが、それでも韓国の80%にしかならない。

日本の賃金は、本当にこんなに低いのだろうか?

 

OECDのデータでは92%の水準
意味理解されずに数字が独り歩き
改めてOECDのデータで自国通貨建ての数字を見ると、日本の賃金は439.5万円になっている。

これを1ドル=114.12円の為替レートで換算して3万8515ドルとしている。この数字が前述の韓国の4万1960ドルより低いというのが、話題となっていることだ。

ところが、439.5万円という数字は、賃金基本調査や毎月勤労統計調査の数字よりだいぶ高い。なぜこのような差が生まれるのだろうか?

その理由は、ある国の平均賃金として、唯一の正しい値というものがあるわけではないからだ。範囲の取り方によって、平均賃金の値は大きく異なるのだ。

とくに大きいのが、就業形態の影響だ。正規(フルタイム)労働者だけを取るのか、それとも非正規(パートタイム)労働者をも含めた平均を取るのかによって大きな差が生まれる。

同様の問題は他国にもある。

だから、賃金の国際比較は決して簡単なことではない。

意味がはっきり理解されていない数字が、一人歩きしている可能性が高い。

 

極めて難解なOECDの計算方法
パート労働者の労働時間を勘案
日本の統計データとOECDのデータの食い違いを解く鍵は、OECDのサイトに記載されているつぎの説明にある。

それによると、計数は「国民経済計算に基づく賃金総額を、経済全体の平均雇用者数で割り、全雇用者の週平均労働時間に対するフルタイム雇用者1人当たりの週平均労働時間の割合を掛けることで得られます」と書いてある。

この説明は極めて分かりにくい。どういう計算をしたらよいのか、すぐには理解できない。また、なぜこのような計算をするのが適当なのかは、計算方法が分かっても、なお分からないだろう。

実は、これは、FTE(full-time equivalent:フルタイム当量)と呼ばれる考え方に基づくものだ。

これを分かりやすく言えば、つぎのようなことだ。

例えば、パートタイム労働者がフルタイムの半分の時間しか働いていないのなら、その人は1人とはカウントせず、0.5人とカウントしようというものだ。

したがってパートタイム労働者が多いと計算上の平均雇用者数は少なくなり、その分、賃金が高く出ることになる。

 

FTEで平均賃金を計算してみる
OECDと方法は一致、数値もほぼ同じ
上記の説明にしたがって、実際に計算してみよう。

国民経済計算によると、2020年度の賃金・報酬は239.897兆円だ。

これを単純に就業者6667万人(労働力統計による2020年の値)で割ると、359.8万円となる。

ところで、この値は低すぎると考えられる。なぜなら、パートタイム労働者は労働時間が短いからだ。

そこで、FTEで労働者数をカウントする。

そのためには、労働時間がどうなっているかを知る必要がある。

毎月勤労統計調査を参照すると、つぎのとおりだ。

月間労働時間は、一般労働者では160.4時間だ。しかしパートタイム労働者は79.3時間と一般労働者の46.4%にすぎない。

そして、一般労働者が雇用者総数の68.86%、パートタイム労働者が31.14%を占める。

これから、つぎのようにしてETFベースでの労働者数を計算することができる。

雇用者数総数をnとしよう。

FTEベースでのフルタイム雇用者数は、現実の雇用者数と同じであり、0.6886nだ。

他方、ETFベースでのパートタイム雇用者数は、現実の雇用者数を労働時間の比で調整したものであり、0.464×0.3114n=0.1445nとなる。

したがって、ETFベースでの全労働者数は、これらの和である0.8331nになる。

そこで、ETFベースでの平均賃金は、先に計算した値(359.8万円)を0.8331で割ればよいことになる。すると、431.9万円となる。

OECDの数字と少し異なるが、ほぼ同じだ。完全に一致しないのは、用いている計数がやや異なるからだろう。

こうして考えれば、OECDのサイトにある説明とETFベースの計算とは同じであることが分かる。

いまの例では、つぎのとおりだ。

「フルタイム雇用者の労働時間」は、160.4x0.689n=110.5nだ。

そして、「パートタイム労働者の労働時間」は79.3x0.311n=24.7nだ。

したがって、「全雇用者の労働時間」は、これらの和であり、135.2nとなる。

したがって、OECD説明文中の「全雇用者の週平均労働時間に対するフルタイム雇用者1人当たりの週平均労働時間の割合」とは、(フルタイム雇用者の労働時間)÷(全雇用者の労働時間)÷(フルタイム雇用者の割合)=110.5÷135.2÷0.689=1.2となる。

これを359.8万円に掛けることと、上で説明したこと(359.8万円を0.8331で割るの)は同じことだ。(注)

 

日本の賃金統計は時代遅れ
非正規雇用の急増反映されず
日本の場合、この10年くらいの間にパートタイム労働者が著しく増加した。

OECDの賃金データでは、以上で説明した方法によって、その影響が考慮されていることになる。

平均賃金の値がどうなるかは政策にも影響与える。だから、ETF方式を取ることは、国内の統計でも必要なことだ。

2019年に、実質賃金が下落していることが国会で論議されたことがある。これに対して当時の安倍首相は、賃金の総額(総雇用者所得)が増えているから問題ないと答えた。

しかし、これでは指摘に答えたことにならず、問題をはぐらかしたにすぎない。

賃金低下の大きな原因は、非正規労働者が急増したことだったのだから、本来は、ETFベースでの賃金を示して反論すべきだった。

日本の賃金や労働力の統計は、非正規就業者がいまほど多くなかった時代に作られた。それが、現在に至るまで、そのままの形で続いている。

この結果、経済の姿を的確に捉えているとは言いがたい状態になっている。

 

平均は低すぎ、就業者数は過大
雇用の変化に即した統計に変える必要
FTE方式で計算した場合に比べて、平均賃金は低すぎ、就業者数は過大になっている。

そしてそれでも韓国に比べると賃金は低いということだ。

アメリカでは、商務省のBEAの統計サイトに、ETF方式による労働者数や賃金のデータが掲載されている。日本でもこれと同じような統計を作成し公表する必要がある。

日本の賃金に関する統計は時代遅れなので、適切な国際比較ができない。日本でも賃金や労働者数に関して、時代の変化に即した統計を作るべきだ。

日本の賃金が下がり続けてきた原因については、本コラム『2030年までに韓国に抜かれる日本、「逆転」のために今やるべきこと』(2022年1月13日付)、『日本人の年収は20年以上横ばい、賃金を上げる方策は米国を見よ』(2021年11月4日付)などでも指摘してきた。

賃金の低下にきちんと対応するためにも、まずは国際比較ができるよう統計を整備しなおす必要があるのだ。

(注)なお、ETFベースの計算とOECDの説明が同じであることは、一般的にも言える。 フルタイム労働者とパートタイム労働者はそれぞれ、nfとn(1-f)であるとする。労働時間は、前者がtで後者がsであるとする。

OECDの説明にある「賃金総額を、経済全体の雇用者数で割ったものは、P/nだ。ここでPは賃金総額。また、「全雇用者の週平均労働時間に対するフルタイム雇用者1人当たりの週平均労働時間の割合」とは、tを[ft+(1-f)s]で割ったもの。tはsより大だから、これは1より大だ。

これとP/nの積は、(Pt)/{n[ft+(1-f)s]}となる。これは、P/nより大となる。

他方、FTEベースの労働者数は、フルタイムがnfでパートタイムがnfs/tだ。この和を計算すると、n[ft+(1-f)s]/tとなる。Pをこれで割ると、(Pt)/{n[ft+(1-f)s]}となり、OECDの計算法と同じ結果になる。

(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金持ちになれた私は「失敗」をこう考える

2022年02月13日 06時53分47秒 | お金持ちの思考

「失敗」を恐れる意識を捨てる

「起業しよう」とか「挑戦しよう」というと、周囲から「失敗したらどうするの?」という反応が返ってくることがあります。

 

私は投資で3000万円ほど損したことがありますし、会社は2社も潰しています。従業員の集団退職に遭ったり、裁判で訴えられるといった経験もしました。もちろん今でも失敗の連続です。

しかし、私はまったく気になりません。むしろそれを通じて、次の意思決定がますます素速く適切にできるようになっているからです。

うまくいっているときは自分の行動の検証なんてしないですから、失敗したときのほうが得られるものが大きいと実感します。だから私は、失敗すればするほど、自分が成長するチャンスだと思っています。

そのため失敗したときは、「おっ! ラッキー! これでまた1つ賢くなった」と思えるようになりました。

「失敗とは、成功に続く単なる試行錯誤のひとつの結果」、という「ただのプロセスに過ぎない」と考えれば、失敗を単なる失敗とは認識しなくなります。「こっちがダメならあっちを試す」と、まるでスポーツの練習をしているかのごとく、淡々と次の方法へ移ることができます。

その経験と試行錯誤の蓄積によって、決断のスピードが上がり、適切な判断が即決でできるようになります。さらに最近は書く仕事も増えたため、失敗もしんどい経験も、すべてネタとして収益になります。

「そうは言ってもやっぱり失敗は怖い」と感じている人に提案が2つあります。1つは、「何をもって失敗と言うのか?」。2つ目は、「失敗して何が困るのか?」です。

 

それって本当に失敗なの?

失敗の基準は人それぞれかもしれませんが、失敗の本質とは「狙いや思惑とのズレ」であり、「次の課題が明確になるチャンス」のはずです。

 

失敗とは、「最初はこうなると思ってやってみたけど、実際はそうならなかった」ということであり、その結果「なぜ思っていたことと違ったのか、次はどうすれば思惑通りにいくか」を認識できる場面というわけです。

ですから繰り返しになりますが、失敗とは本来、極めて重要な学びのチャンスです。逆に言うと、失敗しないということは、次のうちのどれかにあてはまります。

1.「思惑どおりうまくいった」

2.「特に狙いを持たずにやっている」

3.「そもそも何も挑戦してない」

もちろん1が理想です。しかし2や3では、自分が学べるチャンスとはならないでしょう。特に3。失敗を恐れて何も挑戦しなかったり、今の自分の能力の範囲内でできることしかやらなかったりすると、自分が進化することはありません。ただそこに留まり続けるしかない、ということになりかねないのです。

 

自分が絶対に避けたい「失敗」とは

そこで、自分にとって本気で困る失敗を定義してみるのです。たとえば「こういう事態は絶対に避けたい」「こうなったら再起不能」「物理的にも精神的に立ち直れない」というものです。ちなみに、私の「失敗」の定義は次の3つです。

 

・自分や自分の大切な人が死ぬこと

・他人を死に追いやること

・10年以上の禁錮刑に処されること

自分が死んだらすべて終わりです。再起も何もできない。でも、生きていれば必ずいいことがあるし、やり直しも逆転もできる。だから私は、自分が命を落とす可能性がある行為、たとえばスカイダイビングや雪山の登山、暴力団との取引などは絶対にしないと決めています。

他人を死なせることも私にとっての失敗です。心の傷が大きく、トラウマとなり、精神的にも再起が困難であろうと想像できるからです。だから自分や家族の命を守るため以外では、自分からは絶対に暴力をふるわないと決めています。クルマの運転も、今では「超」がつくくらい安全運転です。

3つ目は、やはり人生の無駄遣い感に心が折れそうだからです。10年あればできることの重さを考えれば、やはりしんどい。だから私は「ごめんね」では済まされない違法性の高いことには手を出しませんし、時間があれば法律書を読み、トラブルに巻き込まれないように意識しています。

そして、これ以外は私にとっては失敗ではありません。なぜなら、これ以外の結果は、いくらでもやり直せるからです。心が復活できるからです。私がほとんどのことに挑戦できる理由がおわかりいただけると思います。

もちろんこれは私の基準であって、あなたは違うでしょう。真似しましょうと言っても「無理だろ!」という声が返ってきそうです。しかし自分にとっての「これだけは避けたい」レベルを定義しておくと、チャレンジできる幅が広がるはずです。

 

その失敗でいったい何が困るの?

次に、挑戦して失敗した結果、何がどの程度困るのかを具体的にイメージしてみましょう。たとえば「お金を失う」というのは、もっとも普通の人が恐れる失敗ではないでしょうか。起業してうまくいかず、生活費が底をつく。投資をして損失を出す、というのは典型例かもしれません。

 

しかし、たとえば起業して失敗し、生活費が底をついたら、またサラリーマンに戻ればいいだけです。収入は減るかもしれませんが、家賃の安い住居に引っ越せばいい。就職できなかったら、アルバイトで食いつなげばいい。

それでも無理な場合は、生活保護を申請すればいい。生活保護を受けると、さらに家賃の安いところを紹介してもらえるし、医療費はタダ、公共交通機関も割引価格で利用することができます。

借金まみれになって返済が苦しいことは失敗でしょうか? いいえ、「自己破産」すればいいだけです。自己破産は法律で認められた救済制度であり、生活や人生が破壊されるわけではありません。普通に銀行口座も開けますし、学校も会社も海外旅行だって行ける。

破産後7年間は、ローンを組むとかクレジットカードを作るとか、経済的信用力を要する行為は制限されます。しかし7年経てば、個人信用情報データベースから自己破産の情報も消え、ローンも組めるしクレジットカードも作れるようになります。弁護士費用はかかりますが、分割払いができますから、それほど負担感はないでしょう。

そして、生活保護を受けていても、自己破産しても、新しく事業を立ち上げたり、どこかに就職して働くことは何の問題もありません。まったく自由です。そう考えると、「お金の失敗」というのは、さほど気にならないことだとわかります。

 

それって本当に恥ずかしいの?

そう言うと、「何言ってんだ! 生活保護や自己破産は大問題だろう!」という反論があるかもしれません。確かに多少の不便はありますが、でもその程度です。生活保護も自己破産も、国が定めた、れっきとした制度なのですから、必要性を感じるなら、活用しない理由はないでしょう。

 

それで騒ぐ人は肝っ玉が小さいのです。

ではなぜ肝っ玉が小さくなるか? ひとつの理由は「ぜいたく病」にかかっていること。もうひとつの理由は「自意識過剰」。

ぜいたく病にかかった人は、家賃の安い賃貸に引っ越すこと、外食ができない、新しい服を買えないことといった、生活レベルを落とすことができなくなります。不便な環境が許せないし、そんな自分を受け入れることができないのです。しかし現在40代以上の人は、思い出せばわかると思いますが、子供の頃は何もなかったはずです。

私の実家もそうでしたが、エアコンも水洗トイレもありませんでした。風呂は五右衛門風呂で、シャワーもない。毎日両親が薪をたいてお風呂の湯をわかしていました。

また、現在のように高気密・高断熱の技術はありませんでしたから、家では冬は寒く、夏は暑い。もちろん携帯電話もパソコンもありません。だからといってあの環境に戻りたいとは思いませんが、そういう時代を知っていると、多少の不便にはすぐに慣れ、気にならなくなります。

だから、もし貧しくなったらボロアパートに引っ越せばいい、と気軽に考えることができます。

 

他人はあなたのことには興味がない

また、他人は自分が思うほど、自分のことは見ていませんし、興味もありません。自分の失敗なんて、他人はほとんど気にしていない。一瞬は気にしても、すぐに忘れるものです。

 

私自身、親戚が自己破産した、知人が起業したけど失敗してサラリーマンに戻った、東京ビッグサイトを借りきって巨大なイベントを企画したけど人が集まらなくて大赤字だった……という情報を耳にすることがあります。

もちろん、本人にとってはとても苦しい経験だったと思います。それでもやはり、「へー」という感じで、それ以上でもそれ以下でもありません。あの著名な与沢翼氏を見ると、むしろ「あの若さですごく貴重な経験ができたな」と感じるほどです。

失敗を恐れるのは、「恥ずかしい」という世間体です。バイトで食いつなぐこと、生活保護を受けること、倒産や自己破産することを「そんなのムリ」と感じる人は、人の目を気にしすぎる「自意識過剰」なのです。

そもそも自分が気にしている「世間」の正体とは何か? たとえば職場の同僚や上司部下、近隣住民、家族や親戚……。いったい誰に見栄を張ろうとしているのでしょうか。

そもそも「世間」とは、「凡人」の集まりであり、「大衆」です。たとえば知人や近所の人にヒソヒソうわさ話をされたとしても、彼らはあなたの成功には何ら貢献しない人たちです。そんな人たちに張る価値のある見栄とは、いったい何でしょうか。

一流の人というのは、他人の不利な状況を見てバカにする、という発想はありません。なぜなら、彼らはたいてい浮き沈みのある人生を経験していて、現時点の状況だけを見て他人がどうこう言うのは、愚かな振る舞いだと本能的にわかっているからです。

さらに当然ながら、彼らは失敗の経験こそ貴重な財産だということを知っています。アメリカでは、失敗したことのない人は、経験不足で逆境や挫折にも弱いということで、一度でも会社を潰したことのある起業家に優先して投資する個人投資家もいるほどです。

つまり、あなたのことを笑う人がいても、そんな人はどう考えても大成しないのですから、どうでもいい存在ということ。どうでもいい人の目を気にして、「恥ずかしい」などと感じる必要などないのです。だから、「自分が良ければそれでいい」くらいに考えて、気軽に挑戦することです。

参考:「1つずつ自分を変えていく 捨てるべき40の悪い習慣」(日本実業出版社)、「やりたくないことはやらずに働き続ける武器の作り方~だれでも人生を複線化できるお金と時間の仕組み」(徳間書店)

文:午堂 登紀雄(マネーガイド)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「急いで金持ちになろうとしてはいけない」伝説の投資家バフェットが繰り返しそう説くワケ

2022年02月09日 06時59分09秒 | 株式

投資で成功するには、どうすればいいのか。10兆円の資産を築いた投資家ウォーレン・バフェット氏は「短期間に急いで金持ちになろうとしてはいけない。それよりも金持ちであり続けることのほうが重要だ」という。そんなバフェット氏の卓越した投資哲学とは――。

※本稿は、桑原晃弥『ウォーレン・バフェットの「仕事と人生を豊かにする8つの哲学」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

急いで金持ちになろうとするなかれ

投資を行う以上、リスクと無縁ではいられません。しかし、そんな世界で既に80年近くも投資を行いながら、バフェットは毎年、着実に成果を上げています。

バフェットの投資原則は「損をしない」ことであり、「この原則を決して忘れない」ことです。そのうえで、短期間で急いで金持ちになろうとするのではなく、「ゲット・リッチ、ステイ・リッチ(豊かになり、その後も長期間豊かであり続けること)」(『ウォーレン・バフェット 華麗なる流儀』)を信条としています。

ソロモン・ブラザーズ時代、その後問題を引き起こすチーム「アーブ・ボーイズ(裁定取引組)」をつくり、やがて暫定会長となったバフェットによって引導を渡されたジョン・メリウェザーが1994年、ヘッジファンドLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)を立ち上げました。資本の25倍のレバレッジを使って取引を重ねることで利益を生み、損失は最大でも資産の20%というのがメリウェザーの計画でした。

説明を受けたバフェットとチャーリー・マンガーは「頭のいい連中だ」と感じましたが、複雑すぎることと、レバレッジに疑いを抱き、参加を躊躇(ちゅうちょ)しました。しかし、ソロモンで素晴らしい実績を上げていたメリウェザーを信頼して12億5000万ドルもの資産が集まり、史上最大のヘッジファンドが誕生しました。

3年で投資家の金は4倍に増え、すべては順調に見えましたが、98年にロシアが対外債務の支払い停止を宣言したことで世界中の金融市場がガタガタになり、LTCMもほんの数日で資本の半分を失ってしまいました。

「最後にゼロをかければゼロ」

慌てたLTCMのエリック・ローゼンフェルドがバフェットに助けを求めましたが、既に手遅れでした。バフェットはIQ160を超える十数人がいて、みんなの経験年数を足せば250年にもなる彼らが巨額のレバレッジを使っていたことに驚きました。バフェットはこういいました。

「本当に頭のいい人たちが、これまでに何人も痛い目に遭いながら学んできたことがあります。それは、目を見張るような数字がずらりと並んでいても、最後にゼロをかければゼロになってしまうということです」(『バフェットの投資原則』)

投資の世界には、絶頂期と破産を繰り返したジェシー・リバモアのように「最後にゼロをかければゼロになる」を地で行く運命をたどった人もたくさんいますが、バフェットがそうならなかったのはリスクとの上手な付き合い方を熟知し、リスクを最小にしながら成果を上げ続けてきたからなのです。

リスクと上手に付き合うための「安全域」という考え

バフェットは「バリュー投資の父」と呼ばれる恩師、ベンジャミン・グレアムの書いた本を何度も読み、ほとんど暗記をしていたほどの熱心な読者でした。しかし、実際の投資においてはグレアムのやり方すべてをそのまま無批判に実行したわけではなく、自分の頭で考えて守るべきものとそうでないものを取捨選択しているのも、注目すべき点です。

例えば、リスクを軽減するためとはいえ、行き過ぎた分散投資については非常に早い時期から意味のないものとして無視しています。一方、(1)株券ではなく事業を買う、(2)価格と価値の差を見極める、(3)安全域を持つ――といった考え方は忠実に実行しています。

リスクと上手に付き合ううえで欠かせないのが「安全域」の考え方です。安全域というのは、「現在の株価と企業の本質的価値との差額の領域」のことです。

安全域の考案者はグレアムです。グレアムは、短期的な株価は一種の人気投票のようなものであり、必ずしも正確な価値を反映するとはいえず、ゆえに短期的な株価は読むことはできないものの、長期的には株価は本来の価値と等しくなっていくという考えの下、割安株に資金を投入するバリュー投資という方法を実践していました。これが「安全域」の考え方です。

企業価値を算出できる分野に投資

バフェットはこの「安全域」を常に意識しながら投資をしています。株価というのは、先ほども述べたように常に適正な価格になっているとは限りません。企業が持つ価値以上に過大評価されることもあれば、企業価値は高いにもかかわらず、さまざまな要因から驚くほど株価が低迷することもあります。

結果、その企業の株価が低迷し、企業価値と株価が大きく乖離(かいり)したときがバフェットにとっては投資の最大のチャンスであり、その段階で投資を行えば投資の持つリスクを低く抑えることができるのです。

バフェットは安全域の良い例として先述したようにワシントン・ポストを挙げています。1973年当時、ワシントン・ポストの価格(時価総額)は8000万ドル、それに対して価値(純資産)は4億ドルを超えていました。バフェットはこう考えました。「価格とは、何かを買うときに支払うもの。価値とは、何かを買うときに手に入れるもの」(『バフェットの投資原則』)

企業価値を算出するための方法は、①コストアプローチ(企業が持つ資産に基づいた算出方法)、②インカムアプローチ(キャッシュフローに基づいた算出方法)——といった手法がありますが、いずれにしても自分が投資しようとする企業について、その企業価値をおおざっぱにでもつかむことが安全域を知るためのポイントとなります。

バフェットが「能力の輪」を重視するのは、こうした企業価値について自分がきちんと算出できる分野であることが大切と考えているからです。

1060万ドルの投資が1億4000万ドルに

このとき、バフェットはワシントン・ポストのすべてを買いこそしなかったものの、8000万ドルを支払えば、4億ドルもの価値を手に入れられるわけですから、これほどリスクのない買い物はありませんでした。

結果、このときにバフェットが支払った1060万ドルがどうなったでしょうか。

10年余りたった1984年、その価値は1億4000万ドル(『バフェットの投資原則』)に達したとして、バフェットはワシントン・ポストの社主キャサリン・グレアムにお礼の手紙を出しています。

参考までに、同様の投資を他の新聞社に行ったと仮定すると、ダウ・ジョーンズなら5000万ドル、ニューヨーク・タイムズなら6000万ドル、タイムズ・ミラーなら4000万ドルになったといいますから、支払う価格は同じでも、その企業が持つ価値によって10年余りでこれほどの差が生じることになるのです。

企業の「価格」より「価値」に注目せよ

バフェットはこう述べています。「価値が8300万ドルの事業を8000万ドルで買おうとしてはいけません。大きな余裕をみることが肝要なのです。3万ポンドの負荷に耐えると業者が主張する橋が建造されたとしても、その橋を走行するであろうトラックはせいぜい1万ポンドです。これと同じ原則が投資にも当てはまるのです」(ベンジャミン・グレアムの著書『賢明なる投資家』に補遺として収録された、「グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち」より)

投資の世界で多くの人が気にするのは株価、つまり「価格」の変動です。一方で、個々の企業の持つ「価値」について正確につかもうとする人はあまりいません。

「バリュー投資はいまだかつて流行を見せたことがない」(上記補遺より)はバフェットの説ですが、バフェット自身は「価格」ではなく「価値」に注目することで莫大な富を手にすることができたのです。

バフェットにもあった失敗体験

投資におけるリスクを抑えるためには「価格と価値の差」を冷静に見極めることが重要であり、「十分な安全域」を確保しなさいというのがバフェットの考え方です。では、企業の価値よりも価格が低ければそれでいいのかというと、もちろんそうではありません。

バフェットは「世界一の投資家」という評価を得ていますが、先述したように常に成功し続けたわけではありません。中でもバークシャー・ハザウェイの経営権の取得は、バフェットの失敗の歴史の中でも上位に来る失敗といえます。

1960年代初めのバフェットは、まだグレアムの「シケモク買い」「バーゲン株買い」主義に強くとらわれており、そこで出会った繊維会社バークシャー・ハザウェイを見て、利益が出ない倒産しそうな会社ではあるものの、企業価値よりも株価がはるかに安いため、「安いし、心底欲しい」と思ったといいます。

安くても「湿ったシケモク」は買うな

1965年、バフェットは「ひと吸い分だけ残っているかもしれない」と信じて同社の経営権を取得したものの、実際には同社には「一服できる分は残っていなかった」のです。バフェットは何とか立て直そうと努力を続けますが、1985年についに繊維部門を閉鎖、400人の工員を解雇、機械設備一式を16万ドル余りで売却することになりました。

バフェットはこう振り返りました。「バークシャー・ハザウェイの名前を耳にしなかったら、いまごろ私はもっと裕福だっただろうね」(『スノーボール(上)』)

それ以前、バフェットはバークシャー・ハザウェイの買収について「値段は投資において決断を左右する重要な要素です。バークシャー・ハザウェイは適切な値段で買えました」(『スノーボール(上)』)と強気の姿勢を貫いていましたが、たった一服さえできない「湿ったシケモク」に多くの資金を回してしまったことは、大いにこたえたのでしょう。

事業の優位性を最重視する方針に

この20年にわたる苦い経験を経てバフェットは、経営状態は良くないが、資産に比べて株価が極端に安い企業に投資する「シケモク買い」から、株価は資産の数倍になるもののカリフォルニアではかなう相手がいないシーズ・キャンディーズのような強いブランド力を持つ企業を買収することのメリットを強く認識するようになりました。

「まずまずの企業を素晴らしい価格で買うよりも、素晴らしい企業をまずまずの価格で買うことの方が、はるかに良いのです」(『バフェットからの手紙』)

困難なビジネスを立て直すのは難しいものです。そんな難業に挑戦するよりも、「まずまずの価格で買える、優れた経営者がいる、優れた事業」に投資しようというわけです。

特に大切なのは、事業が優れていることです。事業に優位性がなければ、たとえ優れた経営者をもってしても成功するのは簡単ではありません。優れた経営者と優れた事業の両方がそろえばベストですが、もしどちらか一方ならバフェットは優れた事業の方を選びます。

なぜコカ・コーラ株が「理想の投資対象」なのか

バフェットの理想とする企業の一つがコカ・コーラです。こう評価しています。「これからあなたは一度だけ取引をして、その後10年間投資の世界から離れるとします。(中略)向こう10年間は投資対象を変更できません。さて、どんなものに投資しようと考えるでしょうか。(中略)私にはコカ・コーラしか思い浮かびません」(『ウォーレン・バフェット 自分を信じるものが勝つ!』)

コカ・コーラは国際市場で成長を続け、かつリーダーの地位を維持する力もあります。今後も消費量の増加が期待できます。この地位を揺るがすなんてとてもできないとバフェットは考え、同社に積極的な投資を行ってきました。

バフェットはかつて「コカ・コーラはハムサンドイッチにも経営できる」〔著者注:コカ・コーラはハムサンドイッチが最高経営責任者(CEO)になっても儲かる、といった意味〕といったことがありますが、それはバフェットにとってまさに好ましい企業であることを意味します。なぜなら企業はいつも完璧とは限らないからです。

事実、バフェットが「株を買うなら、どんな愚か者にも経営を任せられる優れた会社の株を買いたいと思うでしょう。なぜならいつかは愚かな経営者が現れるからです」(『バフェットの株主総会』)といった通り、コカ・コーラにも愚かな経営者が現れました。

急死したロベルト・ゴイズエタの後を受けてCEOとなったダグラス・アイベスター時代、ヨーロッパで子どもの健康被害が報じられましたが、アイベスターは適切な対応ができませんでした。続くダグラス・ダフトも問題がありました。

代わって就任したネビル・イズデルの下でようやく同社は復活を遂げ、バフェットは「前にはよく、ハムサンドイッチでもコカ・コーラは経営できると、ビル・ゲイツにいったものだ」(『スノーボール(下)』)と振り返りました。バフェットは徹底して「優れた事業」を求めるのです。

---------- 桑原 晃弥(くわばら・てるや) 経済・経営ジャーナリスト 1956年、広島県生まれ。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開する。主な著書に『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)、『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)などがある。 ----------

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする