日本の賃金は韓国の77%でしかない??
賃金構造基本統計は正確なのか
日本の賃金が他国に比べて低くなっている。最近では、韓国の賃金より低くなったことが話題になっている。
では、日本の賃金はどのぐらい低いのか?
賃金の国際比較でよく用いられるOECD(経済協力開発機構)のデータを見ると、2020年の韓国の年間賃金は4万1960ドルだ。
これに対して日本の平均賃金は、「賃金構造基本統計調査」によると男女計で月額30.77万円だ(2020年)。年にすれば369.2万円だ。1ドル=114円でドルに換算すると3万2386ドルになる。
これは韓国の77%でしかない!
一方、「毎月勤労統計調査」では、2020年の平均月間給与(現金給与)は31.84万円だ。年にすれば382.0万円(3万3514ドル)。賃金基本調査より高くはなるが、それでも韓国の80%にしかならない。
日本の賃金は、本当にこんなに低いのだろうか?
OECDのデータでは92%の水準
意味理解されずに数字が独り歩き
改めてOECDのデータで自国通貨建ての数字を見ると、日本の賃金は439.5万円になっている。
これを1ドル=114.12円の為替レートで換算して3万8515ドルとしている。この数字が前述の韓国の4万1960ドルより低いというのが、話題となっていることだ。
ところが、439.5万円という数字は、賃金基本調査や毎月勤労統計調査の数字よりだいぶ高い。なぜこのような差が生まれるのだろうか?
その理由は、ある国の平均賃金として、唯一の正しい値というものがあるわけではないからだ。範囲の取り方によって、平均賃金の値は大きく異なるのだ。
とくに大きいのが、就業形態の影響だ。正規(フルタイム)労働者だけを取るのか、それとも非正規(パートタイム)労働者をも含めた平均を取るのかによって大きな差が生まれる。
同様の問題は他国にもある。
だから、賃金の国際比較は決して簡単なことではない。
意味がはっきり理解されていない数字が、一人歩きしている可能性が高い。
極めて難解なOECDの計算方法
パート労働者の労働時間を勘案
日本の統計データとOECDのデータの食い違いを解く鍵は、OECDのサイトに記載されているつぎの説明にある。
それによると、計数は「国民経済計算に基づく賃金総額を、経済全体の平均雇用者数で割り、全雇用者の週平均労働時間に対するフルタイム雇用者1人当たりの週平均労働時間の割合を掛けることで得られます」と書いてある。
この説明は極めて分かりにくい。どういう計算をしたらよいのか、すぐには理解できない。また、なぜこのような計算をするのが適当なのかは、計算方法が分かっても、なお分からないだろう。
実は、これは、FTE(full-time equivalent:フルタイム当量)と呼ばれる考え方に基づくものだ。
これを分かりやすく言えば、つぎのようなことだ。
例えば、パートタイム労働者がフルタイムの半分の時間しか働いていないのなら、その人は1人とはカウントせず、0.5人とカウントしようというものだ。
したがってパートタイム労働者が多いと計算上の平均雇用者数は少なくなり、その分、賃金が高く出ることになる。
FTEで平均賃金を計算してみる
OECDと方法は一致、数値もほぼ同じ
上記の説明にしたがって、実際に計算してみよう。
国民経済計算によると、2020年度の賃金・報酬は239.897兆円だ。
これを単純に就業者6667万人(労働力統計による2020年の値)で割ると、359.8万円となる。
ところで、この値は低すぎると考えられる。なぜなら、パートタイム労働者は労働時間が短いからだ。
そこで、FTEで労働者数をカウントする。
そのためには、労働時間がどうなっているかを知る必要がある。
毎月勤労統計調査を参照すると、つぎのとおりだ。
月間労働時間は、一般労働者では160.4時間だ。しかしパートタイム労働者は79.3時間と一般労働者の46.4%にすぎない。
そして、一般労働者が雇用者総数の68.86%、パートタイム労働者が31.14%を占める。
これから、つぎのようにしてETFベースでの労働者数を計算することができる。
雇用者数総数をnとしよう。
FTEベースでのフルタイム雇用者数は、現実の雇用者数と同じであり、0.6886nだ。
他方、ETFベースでのパートタイム雇用者数は、現実の雇用者数を労働時間の比で調整したものであり、0.464×0.3114n=0.1445nとなる。
したがって、ETFベースでの全労働者数は、これらの和である0.8331nになる。
そこで、ETFベースでの平均賃金は、先に計算した値(359.8万円)を0.8331で割ればよいことになる。すると、431.9万円となる。
OECDの数字と少し異なるが、ほぼ同じだ。完全に一致しないのは、用いている計数がやや異なるからだろう。
こうして考えれば、OECDのサイトにある説明とETFベースの計算とは同じであることが分かる。
いまの例では、つぎのとおりだ。
「フルタイム雇用者の労働時間」は、160.4x0.689n=110.5nだ。
そして、「パートタイム労働者の労働時間」は79.3x0.311n=24.7nだ。
したがって、「全雇用者の労働時間」は、これらの和であり、135.2nとなる。
したがって、OECD説明文中の「全雇用者の週平均労働時間に対するフルタイム雇用者1人当たりの週平均労働時間の割合」とは、(フルタイム雇用者の労働時間)÷(全雇用者の労働時間)÷(フルタイム雇用者の割合)=110.5÷135.2÷0.689=1.2となる。
これを359.8万円に掛けることと、上で説明したこと(359.8万円を0.8331で割るの)は同じことだ。(注)
日本の賃金統計は時代遅れ
非正規雇用の急増反映されず
日本の場合、この10年くらいの間にパートタイム労働者が著しく増加した。
OECDの賃金データでは、以上で説明した方法によって、その影響が考慮されていることになる。
平均賃金の値がどうなるかは政策にも影響与える。だから、ETF方式を取ることは、国内の統計でも必要なことだ。
2019年に、実質賃金が下落していることが国会で論議されたことがある。これに対して当時の安倍首相は、賃金の総額(総雇用者所得)が増えているから問題ないと答えた。
しかし、これでは指摘に答えたことにならず、問題をはぐらかしたにすぎない。
賃金低下の大きな原因は、非正規労働者が急増したことだったのだから、本来は、ETFベースでの賃金を示して反論すべきだった。
日本の賃金や労働力の統計は、非正規就業者がいまほど多くなかった時代に作られた。それが、現在に至るまで、そのままの形で続いている。
この結果、経済の姿を的確に捉えているとは言いがたい状態になっている。
平均は低すぎ、就業者数は過大
雇用の変化に即した統計に変える必要
FTE方式で計算した場合に比べて、平均賃金は低すぎ、就業者数は過大になっている。
そしてそれでも韓国に比べると賃金は低いということだ。
アメリカでは、商務省のBEAの統計サイトに、ETF方式による労働者数や賃金のデータが掲載されている。日本でもこれと同じような統計を作成し公表する必要がある。
日本の賃金に関する統計は時代遅れなので、適切な国際比較ができない。日本でも賃金や労働者数に関して、時代の変化に即した統計を作るべきだ。
日本の賃金が下がり続けてきた原因については、本コラム『2030年までに韓国に抜かれる日本、「逆転」のために今やるべきこと』(2022年1月13日付)、『日本人の年収は20年以上横ばい、賃金を上げる方策は米国を見よ』(2021年11月4日付)などでも指摘してきた。
賃金の低下にきちんと対応するためにも、まずは国際比較ができるよう統計を整備しなおす必要があるのだ。
(注)なお、ETFベースの計算とOECDの説明が同じであることは、一般的にも言える。 フルタイム労働者とパートタイム労働者はそれぞれ、nfとn(1-f)であるとする。労働時間は、前者がtで後者がsであるとする。
OECDの説明にある「賃金総額を、経済全体の雇用者数で割ったものは、P/nだ。ここでPは賃金総額。また、「全雇用者の週平均労働時間に対するフルタイム雇用者1人当たりの週平均労働時間の割合」とは、tを[ft+(1-f)s]で割ったもの。tはsより大だから、これは1より大だ。
これとP/nの積は、(Pt)/{n[ft+(1-f)s]}となる。これは、P/nより大となる。
他方、FTEベースの労働者数は、フルタイムがnfでパートタイムがnfs/tだ。この和を計算すると、n[ft+(1-f)s]/tとなる。Pをこれで割ると、(Pt)/{n[ft+(1-f)s]}となり、OECDの計算法と同じ結果になる。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)