人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

臓器移植について(2)

2023-02-13 06:30:08 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
人間の生命というものは、我々から観れば
ずっと生き通しのものなので、たとえこの
世で区切られても、次の世の中で、また次の
世の中で、ずっと神様の世界へ入り込むまで、
生命というのは永世なものなんですけれども。
しかし、まだそのことについて迷いを
もったりね、この世の中で死んでしまえば
終わりだとか、いろいろな悲しみや嘆きを
もってる人たちの想いがある訳なんですね。
そういう人たちからみれば、もうこの世で
生命が終わりになるのに、そこで臓器移植を
されてしまう、ねえ、受ける方じゃなくて、
されてしまうという悲しみがある。
その空気がなかなかあって、受ける側は
それで生命が何とか助かるんだからいいけども、
される側の身になってほしいという気持ちが
拭えない訳なんですね。
そして一方では、さっきも申しました
ように、臓器が人工的に出来るようになると、
なかなかこれはね、肉体じゃないものが
便利になったという問題だけじゃなくて、
我々のような立場から申しますとね、つまり、
人間の内臓、心臓であれ肝臓であれ腎臓
であれ、あるいは脾臓であれ何であれね、
内臓にまで霊要素というものは入ってる
訳なんです。
だから、その霊要素というものが微妙に
働いて、我々の生命を助けてね、そうして、
向こうの世界と交流をして、神様の光を
いただいて、いろいろなものが合わさって、
ついに光体が我々の奥の体に入りこんで、
それでもって我々の生命が成り立ってる
訳なんですよ。
だから、人工的な臓器移植がどんどん
発達して行った時に、何かそれさえすれば
生命が助かるとか、生き伸びるとかと、
簡単に生命というものを考えて
しまいかねないという怖(おそ)れが一方には
確かにある訳なんです。
           (つづく)

臓器移植について(1)

2023-02-12 10:46:38 | スピリチュアル
臓器移植が良いか悪いかということはね、
今日本の中で問題になって議論されている訳
ですね。(当時)
問題になってるというのは何が根元か
というと、愛するものと別れたくない、
愛するものの体に傷をつけたくない、
という風なことねえ。
つまり、臓器を移植される側の人たちの
悲しみですよね。
五体満足のまま焼いてあげたいとかですね。
何かそういう気持ちが日本人には非常に
強いんです。
これは、何の宗教を信仰しているとか
何とかじゃなくって、日本人の精神性
といいましょうかね、国民性といった方が
いいかしら、そういうものなんですね。
だから、自分の愛するものの臓器が、
例えば肝臓や心臓、腎臓というものが、
何かの為であるにせよ、ぼんぼん
持ってゆかれる、傷がつくということは
耐えられない気持ちがする。
それと今は、人工的な、肉体の臓器じゃ
ないものが発達を致しましてね、それが
働きをするようになる。
そういうもの二つからめて考えていかないと、
つまり、人工の臓器移植と、肉体の人間の
臓器移植と両方考えていかないと、
いいか悪いかという問題は駄目なんだ
ということです。
         (つづく)

世界平和の祈り ④

2023-02-11 10:06:00 | スピリチュアル
    (前日からの続き)
はじめから難しい課題を出したって、
人間というのはやっぱり駄目なんです。
1+1=2から始めないとね。
あるいは、1の前はゼロがあるという、
ゼロ以下のところで苦しんでる人が沢山いるの。

だから、そこへ百をもってきても駄目
なんですね。
いきなり百を解けといっても、ゼロ以下の
ところで喘いでる人にね、百のところまで
登っておいでといっても無理なんです。

ただ世界平和の祈りというのは、その百の
ところまで、あるいは千のところまで無理なく
背伸びなく、すっとゆける。

光の集まり所だから、そういう祈りなんだ
けれども、そこへ導く為にもね、一旦は生身の
人間の憂い辛さの所に立って、そういう所へ
降りて、苦労をして、その上で共感をして、
そうして大変ですねと言った末に、自然に
皆さんで、では世界平和の祈りをしましょうか
と言って統一が出来るように、そういう
雰囲気づくりをしてゆく。
ね、ここは本当に雑談の場でいいんですよ。
悩みの捨て所であっていいんです。

そういう所から、人生の苦労というものの
諸相が見えてくるし、生きるということの
大変さもねえ、またいろんなことも見えてくるし
分かってくるしね。

これも我々の修行なんです。

だから、全部神様が備えて下さるから、神様に
任せて、そうして祈って頑張ってやっていって
下さい。
        昭和63年8月26日

世界平和の祈り ③

2023-02-10 10:02:10 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
任せよう任せようと思っても任せられないんです。
そんなことは一切抜きにしてね、ただふんわりと
座って、ああ大変だなと思いながら聞いてあげる。
生身の一人の人間として聞いてあげる。

そういう事がね、支部や集会という集まりをする
人たちの、指導するあなた方の立場としては、
とても大事なことになってく訳ですねえ。

我々は、神様によって生命を新しくされるし、
心も新しくされるし、本心というものを磨いて
いただくんです。

神様によって我々は生きてる訳だし、糧を
いただいてる訳で、我々の生死というものも、
天命というものも、神様が貫いてずっと
見て下さる。

その信仰の上に立ってね、そうして、いろいろな
ものは神様が与えて下さるから、その上で、
世界平和の祈りを唱えていく。

世界平和の祈りの中に、日蓮もいれば親鸞も
法然もいる、あれは神様の寄り集めの所
ですよ。

あの祈りの全体というのはね。

だから、どの宗教であっても、くっつけて
祈っても祈らなくっても、世界平和の
せと言っただけで、皆あの中に全部入ってるから、
宗教を超えちゃった祈りなんだけれども、やはり、
その人の立場の尊敬、生命の尊敬というものを
一番にしてね、あなた方は、その上で自分を
磨いていくということから始めていかないと、
上から物言うとね、相手の心を萎びさせちゃう
ことになる。
              (つづく)

世界平和の祈り ②

2023-02-09 06:22:45 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
日本というのは特に宗教の国ですけどね、
霊(ひ)の本(もと)という位で。

本にも書きましたけど、要するに、霊的に指導者の
立場にならないといけないのが日本人だけれども、
それは気負いたってなるんじゃないんです。
いつの間にか染みわたるように、本心の流れが皆の
中に染みわたるようにね、そういう風に導いていく。

そういう役割を日本人がもってる訳です。
日本人がもってるの。
だから、その流れに逆らった時にはね、つまり、
強制したりするようになった時には、せっかく
このものすごい光明真言である祈りが、
その大光明が発揮できなくなっちゃう。

こっちの光の流れは止まらないんですよ。
全然遮(さえぎ)られないけれども、それを
受ける人の想いに何かわくが出来て、そうして、
受け入れられないという拒否の想いがきた時には、
その光がすっと降りていけなくなるんですね。

だから、その人の立場、年齢、経験、その人の家の
宗教、何をその人が信じてきたか、信じて
こなかったか、そういうものまでずっと心を配って、
その上で伝えていくということがないとですねえ。

私なんか、まず話を聞きますよ。
もちろん祈りが一番大事だけれども、祈りを
しましょうかとか言うより前にね、祈り心
でもって、その人の悩み苦しみというものを
ずっと聞いていくんです。

すると、聞いてもらうと、人間というのはねえ、
静か心というものが生まれて来て、そうして、
ああ良かったなあ、聞いてもらえて
落ち着いたなあという気持ちになって
くるんです。
そういうやさしさといいますかねえ、労わりが
ないと、宗教というものはね、じわじわ
染み込んでいかないんですよ。
             (つづく)