人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

無 題

2010-10-28 12:32:31 | スピリチュアル
人間の心は
 
すばらしい
 
ものなのです
 
ところが
 
みんな
 
世の中の
 
病気や
 
災難や
 
裏切りや
 
そういう
 
とても
 
人の心が
 
すばらしいとは
 
信じられない
 
現実を
 
前に
 
すると
 
いくら
 
人間の心が
 
すばらしいと
 
いわれても
 
素直に
 
信じる
 
ことが
 
できない
 

本当は
 

 
あなた方の
 
目の前に
 
たちはだかって
 
いる
 
すべての
 
現実とみえるもの
 

 
みんな
 
過ぎ去ってゆく
 
消えてゆく
 
ものなのです
 
なぜ
 
消えるかといえば
 
神様の
 
愛が
 
本当の
 
人間の
 
すがたが
 
あらわれるから
 

暗いおもいを
 
いくら
 
追っても
 
それは
 
暗いままで
 
決して
 
光には
 
なりません
 
丁度
 
停電になって
 
マッチを
 
すらないまま
 
ろうそくをさわっているのと
 
おなじことです
 
ろうそくが
 
あるのに
 
なぜ
 
マッチに
 
手をのばさないのですか
 
いや
 
手を
 
のばせないのでしょう
 
そのことも 
 
神様は
 
ちゃあんと
 
御存知なのです
 

そうして
 
一番
 
いい時に
 
ぱっと
 
光を
 
送って
 
下さるのです
 
悩んで悩んで
 
悩み抜いて
 
一瞬
 
悩む前の
 
自分に
 
立ち帰るときが
 
人にはあります
 
それは
 
あんまり辛いから
 
あんまり苦しいから
 
悩むことを
 
ほんの一瞬
 
やめてみるのです
 
でも
 
その瞬間を
 
神様は
 
見逃がしません
 
サーッと
 
あなたの
 
悩みつかれた
 
心の中に
 
光を
 
入れられるのです
 

何だか
 
元気になった
 
一寸
 
元気が
 
出てきた
 
それは
 
光が入ったからなのです
 
そうして
 
いつの間にか
 
悩みは
 
悩みのままで
 
光の方が
 
あなた方の心を
 
占めて
 
明るい
 
思いで
 
生きることが
 
出来るように
 
なっている
 
当然なのです
 

人は光なんですから
 
自分のうちにある
 
ほがらかな
 
光を一寸
 
忘れただけ
 
なのですから
 
光は
 
あなた方の
 
いのちを
 
やしなって
 
神様の
 
いのちの
 
ながれへと
 
いつか
 
とけ込ませてゆきます
 

どうかすなおに
 
日々を生きてください

統一というのは・・・

2010-10-27 11:58:50 | スピリチュアル
統一というのは
 
力んでやるもんじゃ
 
ないんです
 
そうじゃなくて
 
まかせるっていう気持でね
 
自分がやるんじゃなく
 
守護霊や守護神が
 
手を引いて
 
楽に
 
神様をよべるように
 
ちゃんと
 
つれてってくれますから
 
だから
 
なんにも
 
かちこちに
 
なる必要は
 
ないんです
 
私の
 
柏手と
 
くちぶえにのって
 
いい気持で
 
いねむりでも
 
するような気でいれば
 
いいんです
 

しらないうちに
 
光が入って
 
いい気持になる
 
統一ってのは
 
自分を忘れてゆくことですからね
 
ああかこうか
 
とおもっている
 
自分をなげ出して
 
なげ出してゆくうちに
 
もっと呑気な
 
自分自身に会えるようになる
 
今までしらなかった
 
おちついた
 
自分自身に対面するんです
 
そのためには
 
カチコチになっちゃあ駄目
 
肩の力を抜いて
 
温泉にでも入るような
 
つもりで
 
ゆったりと
 
神様をよんでゆくんです
 
それで
 
世界人類が平和でありますようにって
 
やると
 
清々しく
 
なってくるんです
 

いのちというのは
 
本来
 
のびやかな
 
ものですから
 
きゅうくつになっちゃあ
 
駄目なんです
 
何も考えずに
 
ああかこうかという自分を
 
ひとまずおいて
 
世界平和の祈りをとなえてゆくと
 
いいんです
 
だから
 
楽に楽に
 
やって下さいね
 
それではどうもありがとうございました

とにかく理くつではなくって・・・

2010-10-26 09:19:35 | スピリチュアル
とにかく

理くつではなくって

おもいを

神様でいっぱいにする

愛で

やさしさで

いっぱいにすると

それが

祈りになるんです


祈りってのは

人間がですね

自分自身が

光であることに

気付く

そいうものです

そのために祈るんです


それで

その光は

自分自身もてらせば

まわりもてらしてゆく

そういう

光だということですよね


これを

ずっと広げた

光が

神様です

ねっ

だから

神様の光

神様の愛は

無限だって

いうんです


その無限の愛が

いっぱい

つまってるのが

世界人類が平和でありますようにって

いう

祈り言です


我々は

人類の

ふるさとの祈りを

祈っているんです

世界平和の祈りのもとに

2010-10-25 13:00:26 | スピリチュアル
世界平和の祈りのもとに
 
これから
 
人類が結集してゆくときが
 
きたのであります
 
一人一人が
 
自分の
 
本心本体の
 
光に照らされ
 
また
 
光を照らして
 
永遠の平和へと
 
歩みをはじめるときが
 
きたのであります
 

世界人類が平和でありますように
 
という
 
祈り言は
 
誰の胸にも
 
すでに点っております
 
あとは
 
みなさんが
 
日々の祈りのなかで
 
光となって
 
人類の悲願を
 
祈りへと高めてゆく
 
役割を
 
果たして下さることであります
 
それには
 
すなおな心
 
やさしい心
 
何物にも動かされぬ
 
つよい心が
 
何にも増して
 
必要になってくるのであります
 

リクツで考えていきますと
 
うわー大変だなとか
 
出来るかしらとか
 
色々おもうのですけれども
 
すでにみなさんは
 
この地球の
 
世界人類の一員であって
 
そうして
 
一人びとりの
 
肉体にともされ
 
分けられている生命の本源をたずねて
 
まいりますときに
 
私どもは
 
大いなる謎へと突きあたるのであります
 
それは
 
人智では
 
どうしても推し測ることの
 
できない
 
生命の謎であります
 

一体
 
私どもは
 
何処からきて
 
何処へ去っていくのか
 
またはじまりというものが
 
あるとすれば
 
その生命は何に支えられて
 
あたらしく
 
はじまっていくのか
 
等々の
 
尽きぬ謎が湧いて参ります
 
この謎と申しますか問いかけを
 
誠実に解こうとすればするほど
 
どうしても
 
私どもは
 
霊なる生命というものに
 
対面しなくてはならなくなるのであります
 

つまり
 
神の深い智慧によって
 
極みない大愛によって
 
その光明によって
 
生かされている
 
生命
 
それが
 
この肉体にも分けられて
 
そして
 
現在
 
私というものが
 
存在するのである
 
と祈りのうちに教えられますときに
 
その
 
神の愛と智慧は
 
尽きることのない
 
光なのだということ
 
そしてまた
 
私どもの本心本体は
 
いつもこの
 
光明によって
 
かがやいているのだとしらされますときに
 
おのずから
 
無限に抱かれている
 
自分自身であることを
 
さらに
 
その無限の光明の一筋である
 
自分自身というものを
 
守護の神霊の愛によって
 
知らされて参りますときに
 
世界人類が平和でありますようにという
 
無限の神の祈り言のなかに
 
とり込んでゆくのであります
 
それはもう
 
瞬時にとけ込んでゆく
 
時空を超えて
 
神の愛のなかへと
 
私どもは入ってゆくのであります
 


そしてそのときに
 
縦横(たてよこ)の世界がひとつになって
 
光結ぶいのちとなってゆくので
 
あります
 
人類というものは
 
神という大智慧からわけられた
 
大愛から光の大河なのだ
 
だから
 
人間が
 
私ども一人ひとりが
 
その本心本体を祈りのうちに
 
自覚したときに
 
光にかえってゆくのは
 
当然のことなのであります
 
光が光であることを
 
しるとき
 
そこにはもはや
 
闇というものは存在しないのであります
 
なぜなら
 
神の世界は
 
明るい
 
光の世界であるからであります
 

一切のものは
 
宇宙神に
 
かえるのであります
 
我々は一からはじまって
 
一に帰ってゆくいのちなので
 
あります
 
一から歩きはじめて
 
そして
 
幾多の山河をのりこえ
 
神のやさしさに抱かれて
 
一へとかえるときに
 
我々は
 
我々自身の天命を完うしてゆくので
 
あります
 

やさしさ
 
そして
 
つよさ
 
この両者は
 
神から出ております
 
すべてのものは
 
神から出て
 
神へと
 
かえされて参りますが
 
我々の人生を
 
いのちを支えている光は
 
この二つながらの光
 
なのであります
 

そして
 
さらなる祈り心
 
世界人類が平和でありますように
 
日本が平和でありますように
 
私達の天命が完うされますように
 
守護霊様ありがとうございます
 
守護神様ありがとうございます
 

 
世界平和の祈りを祈って参りますときに
 
その祈りは
 
感謝の光となって
 
無限に
 
私どもを照らして参るので
 
あります
 

祈りの灯はともりました
 
油を絶やさぬよう
 
こころして
 
私どもは 
 
神への感謝を
 
世界平和の祈りのうちに
 
ささげて参りましょう

つよさとやさしさは・・・

2010-10-24 12:17:40 | スピリチュアル
つよさと
 
やさしさは
 
神の心
 
神の愛
 
そこには
 
自分だけを守ろうとする心は
 
みじんもない
 

神の光をあびた
 
つよさと
 
やさしさとは
 
この世界に生きる
 
すべての人々の
 
天命を完うさせずには
 
おかない
 
この神の
 
つよさと
 
やさしさとを
 
あらわしたものが
 
消えてゆく姿で
 
世界平和の祈りなのだ
 

友よ
 
平和の祈りは
 
いつも
 
君のなかにあって
 
君の本心に鳴りひびき
 
美しい光明は 
 
絶えることなく
 
その肉の身から
 
放射されている
 

いや
 
君は
 
君達は
 
すでに霊人なのだ
 
この現界と
 
神界霊界幽界をつらぬいて
 
神のみこころのなかに生きる
 
君達は
 
霊人なのだ
 

肉体人間の君が
 
たとえ
 
迷いの波を出しても
 
私の名を呼び
 
世界平和の祈りを唱えるとき
 
君がどこにいても
 
光は
 
君のところに届くだろう
 

神は
 
肉体人間が
 
幾百度幾千度
 
自分をはなれても
 
かならず
 
極みのない愛で
 
その人々を
 
光の住者にすることを
 
誓われたのだ
 
そして私が
 
神様から預けられたのが
 
消えてゆく姿で世界平和の祈り
 
だったのだよ
 

君よ
 
人間にとって
 
一番大事にしなければならないのは
 
すなおな心で
 
無心に祈るということだ
 
その時間がながければ
 
ながいだけ
 
その人自身は
 
透明になる
 
もともと
 
人は
 
すきとおっていたのだから
 
そこへかえってゆくだけなのだが
 
一口にそういっても
 
無心に祈ってゆく
 
その段階は
 
すきとおるその段階は
 
いくつもいくつも
 
あるんだよ
 
上下関係じゃない
 
本心とともに祈る
 
ぴったりよりそって祈る
 
ということのむずかしさだ
 

心を澄ましていく
 
ということが
 
統一のなかでは最も求められることだ
 
けれども
 
統一なんてことをあまり考えずに
 
ということはどういうことかというと
 
ただとにかく
 
世界平和のなかに入る
 
ということが
 
大事なんだ
 

電車のなかで
 
バスのなかで
 
歩きながら
 
何処でも
 
祈りを唱えることはできる
 
君が祈りを唱えるとき
 
即座に
 
そこに
 
祈りの座がととのえられるんだ
 
霊眼でみれば
 
そうなんだよ
 

かって私が歌に詠んだように
 
世界平和の祈りを祈ると
 
たちまち
 
その人は光につつまれる
 
無碍光
 
無限の神のゆるしと智慧の光に
 
つつまれてゆくんだ
 
そしてそのとき
 
その人自身は
 
自覚するしないにかかわらず
 
光の世界の住者なんだよ
 
だから
 
祈りは決して
 
かたちではないんだよ
 
形式じゃないんだよ
 

君達が
 
祈って
 
そのスイッチを
 
神様に合わせれば
 
神様のところまで
 
のぼってゆく
 
実際
 
そんな風に出来ているし
 
そんな風になってるんだ
 
ただ
 
そうするには
 
すなおな心で
 
無心に祈るということが
 
さっきもいったように
 
必要なんだ
 

私なんか
 
自分なんかという
 
肉体にまつわる
 
我を出していると
 
なかなか
 
のぼってはいけないんだ
 
人間はもともと
 
そんな存在じゃないんだからね
 
だけど
 
なかなか
 
今の君達は
 
そういう風に思いなさいといったって
 
とてもむずかしかろうというんで
 
世界平和の祈りがあるんだよ
 

消えてゆく姿で世界平和の祈りを
 
行じてゆくと
 
実に無理なく
 
人間は
 
人間の本来の光のなかで
 
働くことが
 
できるのだ
 

だから
 
世界平和の祈りをいつも唱えて
 
私の名前を呼びつづけてごらん
 
いつの間にか君達は自分自身が何物をも
 
つらぬいていく
 
神の愛に
 
結ばれている
 
朗らかな
 
一すじの光であり
 
いのちであるということを
 
しることができるだろう