人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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みなさんへ

2010-10-03 11:34:54 | スピリチュアル
地球の未来を輝かす為に

人々が是非共識らなければならぬ事がある

それは御身たちの真実が

御身たちの本心が

肉体生活にまつはる欲望と恐怖と

そして悲哀と憎悪と云ふ

黒い翼に蔽はれてゐると云ふ事である

それよりも亦一層深く識らねばならない事は

御身たちの本心は

御身たちの真実は

宇宙を動かしてゐる大いなる智慧

無比絶対なるエネルギーの源泉に

其の基を置いてゐると云ふ事である

御身たちの本心は常に神と一つであり

御身たちの真実は神から発する光であり

そして御身たちは嘗つては本心そのものであつたと云ふ事である


欲望 恐怖 悲哀 憎悪

さうした業生(カルマ)の想念は

御身たちが神の光の世界から

肉体と云ふ形の世界に自己限定した時から起つたもの

現はれては消え去る大海の泡沫

夢幻が画く一夜の劇


人類が争つてゐるのではない

人間たちが迷つてゐるのではない

争つてゐる想ひが

迷つてゐる想ひが

今 消え去らうとして人類の前を本心の前を通り過ぎてゆくところなのだ


御身たちは只黙つて

御身たちの本心が神と座を一つにしてゐる事を想つてゐるがよい

光り輝く神と本心とをみつめつゞけるがよい

心を落ちつけ 想ひを静め

只々神の光明を観じてゐるがよい

さうしてゐる時が一番

様々な業生(カルマ)の想念(おもひ)が消え去り易い時なのだ

御身たちよ

消え去る業生(カルマ)を止(とど)める事はない

夢幻の苦痛を想ひかへす事はない

御身たちが止めさへしなければ

想ひかへしさへしなければ

業生(カルマ)は再び御身たちの下に戻つてくる事はない

御身たちは今

本心そのものである

神の大光明と全く一つの者である

地球の未来を光一色で画き出すものである


                  五井 昌久









 世界人類が平和でありますように

 日本が平和でありますように

 私達の天命が完うされますように

 守護霊様ありがとうございます

 守護神様ありがとうございます


 この世界平和の祈りは、宇宙へそのまま

とどく祈りなのです。愛と調和の光と気が、

この祈りをおもいうかべると、たちまち、

私達(小宇宙)にも、大宇宙にも満ちるのです。

 そして、両者はこん然と一体になって

ゆくのであります。そうして、愛ばかり、

光ばかりがすべてをおおうのであります。







いのちのながれは

本心と

私たちが

祈りによって

一体になる時に

尽きず

神の大愛へと

とけ込んでいることが

わかります


人類というものは

全体であって

また個なのです

世界人類が平和でありますように



私達が

祈ってゆくとき

自覚する

しないにかかわらず

人類のこころに

本心にとけ込むので

あります


また

私という人間以外の

人々

すなわち

世界中の人々が

世界平和の祈りを

祈ってまいりますときに

そのこころが

祈りの光とともに

私に流れ込んでくるので

あります


あらゆる場所

空間

おもいを

超えて

世界平和の祈りを祈って

まいりますときに

私たちは

いつもひとつのいのち

になってゆくのであります

ひとつのいのちに

むすばれ

本心にむすばれ

光明心によって

むすばれた

兄弟姉妹と

なってゆくのであります


そこで

いつも

私が申しておりますとおり

世界平和の祈りというものは

ただ

地球人類が

すなわち

地球人類が

ひとつになればよい

という祈りではありません


この地球の完全平和を

達成して

あらゆる霊人とともに

また

宇宙の先達たちと

ともに

大神様の

みこころである

愛と

平和と

調和による

宇宙の秩序を

より強固な

ものとするために

この地球に生きる

すべての人々が

すなわち

世界人類一人一人が

器として

起ってゆく

それも

無理なく

それぞれの

本心の

最奥の

祈り心に

照らして

今の生活を

そのままに

起ってゆく

そういうことを

私ども人類に

目ざさせる

御計画のもとに

この祈りは

くだされたもの

なのであります


でありますから

この祈りは

わたし個人

あるいは

全人類が参加するのみならず

あらゆる天界の霊人

諸神善霊も

ともに

私どもが

この祈り言を唱えるときには

一瞬にして

参加し

祈って下さるのみならず

その光明を

尽十方に

ふりまいて下さるので

あります


そうして

私が

これまで申して参りましたように

分生命

としての人間

分霊

としての人間

いいかえますなら

神にむすばれてゆく

いのち

としての

人間

という

もっとも

本来の

すがたに

我々を

たちかえらせて

くれるのが

この世界平和の祈り

なのであります


元来

祈りというのは

すべて

この

神にむすばれている

我々自身のすがた

というものを

明らかに

しめしてゆくもので

あります


法然の説いた

南無阿弥陀仏

に致しましても

キリストの教えた

主の祈り

に致しましても

そのこころは

神仏に帰命する

つまり

中心者

大智慧

大自然

にかえってゆく

帰一する

ということであります

みこころのままになさしめ給え

なのであります


あるいは

一切を凡夫として

一たん

私のすべて

このいのちもなにもかも

そのまま

全部を

いったん仏にかえしてゆく

そして

あらたに

いのちを戴きなおす

という

我凡夫の心

凡夫のすがたを

みきわめて

そこから

生まれかわらせていただく

ということなのであります


このこころが

祈りのなかには

特に

世界平和の祈りのなかには

あふれているのであります


世界平和の祈りを唱えてごらんなさい

この祈りは

徹底した

感謝行であります

しかも

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

という

祈り言のなかに

私自身の祈りと

わたしの祈りを超えて

世界人類という

大河のなかに

私をなげ出した

祈りとが

こん然と

とけ合っているのであります


そして

大らかな

朗らかな

こころで

守護霊様

守護神様

ありがとうございます

と結んでゆく


この祈りには

ただの一つも

人間を責めるところは

ありません

今までは

何かしら

みんな

責められてきたのです


お前の心が悪いから

と責められてきた

この肉体というものを

人間そのものだ

と思い込んだところから

おこる

さまざまな

とらわれ

こだわり

業想念

といったものを

つかまえすぎてきた結果

こんなに祈っているのに

私はまだ

駄目だ

だめだ

ああ私はなんてダメな人間なんだろう

悪い人間なんだろう

とその想念を

業想念を

後生大事に掴む

ところから

そもそも

まちがいが

起こってきているのであります


掴んでもいい

掴むのは仕方がない

けれど

人間は本来

神のいのちの分かれで

奥の自分は

光りかがやいていて

ひとつも

迷っちゃいないんだから

その光かがやいている自分に

合体してゆくために

ああこれは

消えてゆく姿なんだ

すべて

過去世のおもいが



あらわれて

消えようとしているんだ

神さま

ありがとうございます

世界人類が平和でありますように

と祈ってゆけばですね

何ひとつ

消えてゆかないものは

ないんです


それでもって

この罪悪深重の凡夫

という

肉体にとらわれている

我々の日常のおもいをですね

一切責めず

本来の霊としての

光としての

本心そのままの

大元のすがたへと

かえしてゆく

その祈りの梯子として

世界人類すべての人の心に

灯を点してゆけるのが

この世界平和の祈りなのであります



               五井 昌久