人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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神の心

2010-10-05 12:00:53 | スピリチュアル
 神の心、神様の心というのはどんなものか。この世の中には、

不幸なことが絶えないとみんなおもっている。

 事実、病気になる、貧乏になる、こんなに一生懸命やって

いるのに、ちっともよくない。そこで神様なんているのかしら

というおもいにとらわれちゃう。

 神様がいるとしたら、神様はこういう現実をみて、みながら、

どう思ってるんだろうと考える。果ては、神様に心なんてある

のかと思ってしまう。


 しかし、ここで、わたくしははっきり申し上げますが、神様の

心というものは、ただもう人間を愛する愛一元、光一元の心

なのであります。


 この世的にみれば、病気になった、あるいは貧乏になった

ということはあります。そういうことは出てきます。

 しかし、それは、一つのあらわれであって、いつもわたくしが

申しておりますように、過去世の業が、今、消えてゆくための

あらわれ、消えてゆく姿なのである。


 神様というものには、全く、愛以外のものはないのであります。

 宇宙は、神の深い深い愛によって成り立っており、この地球も、

又、私達、地球人類の一人一人も、愛によって、この世に押し

出され、役目をおびて生れてきた存在なのであります。

 その役目は、一人一人が神の光を、この世にふりまいてゆく、

光と光をつなぎ、光を結ぶという役割でありますが、波動の粗い

肉体をまとって生きるうちに、人間は、本来持っておりました

自由自在心を失い、その粗い波動の中から生れてくるおそれや、

かなしみや、やり切れなさ、あるいは慾といった業想念を自分

自身だと思いまちがえて、今日に至っているのであります。

 どの世界に行ってもそうでありますが、一体、天災や、不幸と

いわれるものが、どこから生れてくるかというと、それは、我々

人間一人一人の想い、こうなるにちがいない、こうなったら

どうしようというとらわれの心に満ちた想念から生み出されて

きたものであります。


 実際、想念というものが、すべてのものの源になって

いるのである。

 速い汽車があればいいというおもいが、今、新幹線を走らせて

いる。これも、人間のおもいを受けた科学が、結実した結果で

あります。これを、神様の方に移しますと、神様は、もう愛の

おもいで宇宙をつくり、地球という星をつくり、人間、私達を

つくられたのである。


 だから、私達の中には、神の愛と光が流れ込んでいるので

あります。どんなことが起ころうと、その愛と光は、誰も

とりのぞくことが出来ないのであります。


 いつも申しますように、私達の生命というものは、ずっと

つづいて参ります。神のみこころ、みふところ深く、天命を

完うするまで、この生命は、かがやいて神と共にあるので

あります。


 いわゆる不幸とみえることは、その人の過去世の業、

─本来光であることに気づかずに、犯した過ち─が消えてゆく

瞬間であると同時に、その人の魂の成長のために、その人が、

そのことを経験することによって、一層神様とつながって、

光をかがやかすために、神様が、守護霊、守護神に命じて

なさることでもあるのです。


 その神様のみこころは、どこをどうのぞいてみても愛

なのです。暗い所や、闇のところなんぞ、これっぽっちも

ありゃしないんです。

 ですから、色々なことにぶつかっても、ああこれで

消えるんだな、と思って、どうぞ世界平和の祈り一念、

愛の祈り一念の生活をつづけていって下さい。


 それでは今日はこれでおわります。

 どうもありがとうございました。

                   五井 昌久