人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

天地をつらぬくもの

2010-10-16 11:00:23 | スピリチュアル
 人間は本来、霊であり、光そのもなのです。宇宙神の奥の奥から

流れてくる愛によって、私達は日々瞬々を生かされているもの

なのです。

 だから、この心が、どんなにかなしんでも、寂しがっても、本体の、

光につつまれた光そのものの自分は、かがやいているんだと思うことが、

神様と共にいることであり、いつの間にか、神様の深い深い愛に

いだかれることになり、その時、私達は、本当に無邪気に、神様の

ふところでやすらがせていただくことになるのです。


 すべて自分がやるんじゃない。神様がさせて下さる。我々は、唯、

神のみふところの深さをおもって、どんな時にもやすらいで

いればいい。泪がながれる、ながれるままでいいのです。淋しくて

淋しくてたまらない、そのままの孤独なたましいを、ありのままで、

世界平和の祈りの中に放り込む時、私達の本体は光りかがやくので

あります。


 天の私と、地の私が合体するというのは神様のみこころのなかに

入り、いつのまにか入らせていただいて、自己という意識もなく、

唯、あるがままにながれる生命そのものをいうのであります。

 その時、人は、姓名などという個々のものを超えて、神様の愛と

ともにあり、神様と一体になるのであります。そうしますと、

いわゆる想念の波によって、動かされる肉体の心、肉体波動と

いうものは、全く消えて、肉体にいながら霊身、神体となり、天と地を

つなぐ、本来の人間の姿となるのであります。


 生命というものは、本来明るく、さわりなく、むじゃきに、神を

よろこび、神とともに生きることを日常とするものであります。

(日常というのは、いわゆる肉体身の、我々の日常ではありません。)

 そのことを信じて、素直に明るく、世界平和の祈りを行じて参りましょう。