人は、ふるさとびと

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下さる神様は、私達の
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想いと言葉(4)

2020-05-18 07:33:17 | スピリチュアル
        (前日からの続き)
ところが、昔から言霊とか申しますように、
本当は言葉というものも想いというものも、
両方ともこれは自分が出すもんではない。
むこうの世界、守護霊さんなり守護神さんなり、
あるいは神様なり、我々を生かしめている
エネルギーの元というふうに考えてもいい
のであります。
そこのところがですね、今逆転してしまって
いるんです。
あいつはこんなこと言いやがったとか、こんな
こと言われたら俺だまっちゃいられねえー
とかですね。
そんなことを考えるから、そこで
その憎たらしいとか、悔しいとかいう想いが
飛んでいって、また争(あらそ)いが大きく
なる。
憎いという想いが飛んでいきゃ憎い、に
なります。
愛(いと)しいという想いが飛んでくりゃ、
やっぱりこっちも愛(いと)しい、と
なるんです。
それがつくづく分かるのは死んでから
なんですね。
死んで、自由な体になっちまったら、むこうへ
行けばですね、想いというのは、そのまんま
実現する訳ですから。
ですから何にも無いんです。
全く想いのまんまの世界が自分の目の前に
出てくる。
こんなたまらない世界はない訳ですね。

だから、今何でそれが実現されないかというと、
人間が肉体の世界のこの不自由な世界の中で、
いろんな物を物質化して、そして、肉体の波に
合うように、固い鉱物だとか何だとかいろんな
ものがまわりにあって、なかなか、その想い
というか想念そのままの世界を実現するには、
ちょっと時間がかかる様に出来ている。
ところが、むこうはひびきそのままなんですね。
人間の想いの奥底にあるもう一つ奥の想い、
そこへ合わせたひびきが出てくるから、その
ひびきがどういう流れのものであるかということ
によって、その想いが浄められもすれば言葉も
やわらかくなるということになっていく訳です。
              (つづく)