人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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行為の光明化(14)

2020-05-11 07:23:32 | スピリチュアル
       (前日からの続き)
ところが人間というものは、やはり矛盾を
する様でありますけれども、ある程度のしるし
なり形なり何かの成果なりというものを目の前に
しておかないと、やはりこれは非常に不安になる
ものでして、そのある程度のしるしなり形なり、
例えば、本部から講師の先生を呼んで話を聴く、
皆の中にいる自分というものを自覚をして
はじめて、じゃあこの言葉について深く考えて
みようかとか、いろいろなことを自分は考えられる。
そういう場が与えられてはじめて人間という
ものはそういう気持ちになってゆける。
そういう部分があるのでありまして、それを
私は何も、それではだめだということでは
ないんであります。

それは大いに利用したらよろしいけれども、
しかし、それを一つまちがうと、何回講師の
先生を呼んだとか、何回柏手を打ったとか、
お浄めをしたとか、いうふうな回数を数える
様なことになっていく訳でありまして。
ところが魂の修行というものはそんなものでは
なくて、回数ではないんであります。
あるいは成績主義ではないんであります。
魂がどの程度目覚めるかということは、我々の
世界というものが、我々の心の中の本心という
ものが、どの程度開いていくかということ、
どの程度自分の中のものを捨て去って無になって
ゆけるかということでありまして、そのために
祈りがある。
           (翌日に続く)