人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

毎日毎日 私を呼んで下さい

2019-03-09 10:17:15 | スピリチュアル
     114 無と空を越えるもの
無になるための修行とか、空になるための
修行とか、よくそういう言葉をききます。

では、何のために無になり空になるのか
といいますと、それは、神のみこころを、
みこころとして、この身に心に受けるため
なのであります。受ける用意をするため
なのであります。

この世を現し世といい、人の身を現し身と
いいますのも、ひとつづきにつづいている
あの世(この世もあの世もないのですが)の
相(すがた)を映すということでしてね、
あるいは人間本来の真実の相を現す、肉の身に
かがみのようにうつすというので、現し身
というのでありますが、これが、人間の
業想念主導のようになってしまっている、
現世では中々大変なことなんです。

まっすぐにみこころ、神様の愛をおろそう
とすると、とても肉体が苦しむ、悩む。
業想念が主人だと思っちゃってるから、
それを払うのはなかなか大変なわけなんです。

で、そのままですと、いつまでたっても本当の
人間の相があらわれてこないし、あらわれても
あらわれ方が弱いので、どうしようかと神様が
いろいろお考えになってね、そこで、私が
神様から消えてゆく姿で世界平和の祈り言を
受けたとこういうわけなんです。

そこで、この話をすすめてゆくために、
もう一度最初にいいました無とか、空とか、
そういうことを目ざすことについて考えて
みますとね、何とか我々の先達がですね、
自在身、法身、光そのもののからだを
目ざして、血のにじむような努力を
したわけなんです。

お釈迦さまもそう。
キリストもそう。
法然さんも親鸞さんもみんなそうなんです。

その努力で、時代時代の人は救われて
いったし、聖賢たちは、まさしく光そのもの
だったわけですが、いつの間にか無になり空
になるということが、朗らかな自在身、法身、
光そのもののからだを目ざすという大目標を
横においてしまってね、無が大目標、空が大目標
になってしまったもんだから、さあ少しでも
雑念が入ると、最初からやりなおし、でまた、
無になっているだろうかとか、ああこれじゃ駄目
だとか、想念に追いかけられましてね、日常
よりも修行をしている方が、もっと苦しいという、
何が何だかわからない状態になってきたわけです。
わかりますか。

そういう時にはクークーといびきをかいて
ねちゃった方が、よっぽど神様の中に入る
ことになるんだけどね、いやホント。

無とか空とかいいますのはね、いのちを
生き生きと充実させる、充実している状態を
いうんです。
神様のいのちとね、我々肉体人間のいのちですね、
私でしたら、五井昌久という人間のいのちと、
神のいのちが出会ってね、かたーく握手をしまして、
神様あなたのいのちと私のいのちは本来一つ
でしたかとよろこぶ、それが無から空へ
突き抜けた状態でね、そっから先になると、
もうあるがまま、なすがまま、何しろ宇宙と
宇宙ですからね、のんきなもんなんですよ。
わかりますかな?

植芝先生がね、私に初めて会って下さった
時に、「私は宇宙です」といわれたのは
ここなんですよ。
人間はみんな宇宙なんだから。

私もあなたも宇宙なんですからね。

さあ話があんまり一足飛びになると、目を
パチクリしてる人もあるかしら。

でもねえ、真理を語りたいんですよ。

無とか空はね、もう一度いいますよ、最後の
ものじゃないんです。

我々は、神様のみこころのなかに朗らかに
入ってゆくいのちそのものなんです、光
そのものなんです。
いいですか、あなた方は光なんですよ。
こんなしょぼくれた光があるもんかなんて
思っちゃ駄目、思っちゃいけないの。
それは、肉体人間の思い込みなんです。
肉体はいくらしょぼくれてても、我々の
霊体は神体は、ゆたかな神の光を受けて
いるんですよ。
そこでこの人間の本来身、自由自在身という
ものをあらわすために、神様が考えに考えて、
私がいただいた祈りが、世界平和の祈りと、
消えてゆく姿のみ教えなんです。

すーっと、これは誰が唱えても、光の柱が
そこにたっちゃうんです。
なぜかというと、もう神様の愛念とゆるしと
慈愛、人間に対する人間よ立派になれという
悲願が結集した祈りだからなんです。

みんな自由自在になっちゃうそういう祈りです。
そうして悪いおもい、不幸とみえる出来事が
でてきても、それは、自在なあなたじゃない。
過去世の人間の業なんだから、どうぞ本来の
自分にもどして下さいと辛いまま、苦しいまま、
祈りのなかに放り込んで下さいとわたくしは
いうんです。
あるいは、五井先生ってよんですがって、
預けりゃいいんです。

まだまだみんな預け方が足りないんですよ、
私に何の遠慮がいるんですか、何の遠慮も
いりません。
一人一人が、心のすなおなやさしい、人の
気持ちのわかる人に、なるってことが大事
なんです。
そのために、私がきたんです。
こうして私がいるんです、本当にやさしく
なるためには、瞬間瞬間に味あわされる苦しさを
苦しいと思って、すぐ五井先生に預けて下さい。
そうすると、無も空もない、自由自在身へと、
この肉体のままで、あなた方はかがやいて
ゆくんです。

どうぞ毎日毎日私を呼んで下さい。
いいですか。

ではどうもありがとうございました。