人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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いのちの光のながれくるままに 生きる

2019-03-07 08:32:37 | スピリチュアル
     112 ひかるいのち
人間の生き方、生かされ方とは、実に
さまざまであります。

私どもが、外からみておりまして、ああ
あんなに辛い苦しいことばかり続いたら、
さぞかし大変だろうと思っておりましても、
或る時、その辛がり、苦しがる筈の人の
あたたかいほほえみや、澄んだ眼に
出会って、どきっとすることがあります。

人間の貧しい想像と申しますか、イメージ
のなかで、私どもは、その人の「心」をも
わかったつもりになって、或る種の色眼鏡で
その人をみているのでありますが、当の
ご本人は、そうしたまわりの勝手な思い込み
には関係なく、その人の真実の相(すがた)
をみせてくれているということが、できる
のであります。

こういう人に出会いますと、私たちが、
真実に生きる、生かされるとはどういう
ことかと、自分の心をたずねている自分に
気付くのでありますが、はっきり申し上げられ
ますことは、生かされ方は、全くみごとに
神様の愛によってさまざまである
ということであります。
私どもの貧しい予測を超えたところで、
人間の心が澄み清まり、生き生きしている、
生き生きする瞬間を味わって、自分を愛し、
人を愛する方向へみちびかれるという
事実の前に、私どもは深く頭をたれる
のであります。

一切宗教というものを知らない、どこの
信者でもない。
けれども、私どもからみますと、まっすぐに
本心の光をかがやかせて、いのちの光の
ながれくるままに生きている尊い人々が、
多く存在されているのであります。

これは、当然のことでありまして、誰もが
神様の分霊(わけみたま)、分生命(わけ
いのち)としての光の子なのでありますから、
その人が、この現世で、宗教というものに
つながろうとつながるまいと、神様の方で、
その人をとおして、光をかがやかして
おられるのであります。

私は、こういう人に出会う度に合掌し、
礼拝し、祈りを深めてゆくこと、自らを
かえりみて、愛深い人間であることを、
こころあらたに願い祈って参るのであります。
そうして神様の御愛の深さ、ご計画の
深さをことほぐのであります。