(問)自殺した人の霊はどうなるか
ということをお教え下さい。
(答)どこへ行くかということですか。
自殺するって、本当に色んな原因があって、
誰も自殺したくってする人はないんだけれども、
ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。
全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の
場合は、自殺しても苦しい世界に行かないん
ですよ。自分が全部引き受けて死にますのでね。
(問)子供なんかどうなんですか。自殺
しますが、あれなんかどう解釈したら
いいのか、又、残された遺族の方については。
(答)あれは本当にね、菩薩行も
あるけれども、あの多くは、何か遊ばれてね、
色んなものにとり憑かれて死んじゃう
という事あるんですよ。つまり、それこそ
幽界の低級霊なんかに憑依されてね、
あるんですね。
それはその人が、神様を信じないから
良くないとかそんな事私は言うつもりは全く
ないけれど、結局何故そうなるかというと、
親が子供を本当の意味で愛しているか愛して
いないか、つまり、愛情のすれ違いが
あるのかないのか、そういうところなんですよ。
気持ちが通い合っているのかいないのかね。
相手を理解しているのかいないのかという、
そこがすれ違っちゃうと、人間というのは
寂しくなるんですよ。どんな小さな事柄でもね。
おそらく小学校卒業する位までの子供で、
自殺を考えなかった子供というと、今ほとんど
いない、100人の中99人まで自殺を考えた
という子供が、沢山いるんじゃないかしらね。
それは異常なことだというんじゃなくて、
人間というのは生きてゆく中で、死んで
しまいたいという事が何度も何度もあって
そこを越えて生きて行く訳ですよね。
ところがその子供達の場合は、子供でなくて
いいけれども、自殺してしまう人というのは、
そこのところが自分の心にも歯止めが
効かないし、誰も止めてくれないという
絶望感があって、そこで死んじゃう
訳なんですよ。
それはその人の因縁とか何とか、宗教的
にみれば前生がどうのこうのとあることは
あるけれども、だけれども、そんなんで
片付けられたんじゃあまりにも寂しいわけ。
それよりは、本当に親が親の役目というか、
親が精一杯子供を向いて、色んな面から子供の
人生を考えて、腹を立てずに見守って、子供は
子供で親にちゃんと伝えてくるのかどうか、
その辺の基本的なところでね、今、親は親に
なってない、子供は子供になっていない、
お互いに影響して非常に悲劇になって
来ていますよね。その辺のところだろう
と思うんですよ。
だから、想いを放つというか、親が子供に
対して、自分はこれだけお前を見守って
いるんだよという、本当に心配しているんだよ
という、その心が届いていれば子供は
死なない訳ですよ。本当に自分を見守って
くれている人がこの世の中に一人でもいると、
親が駄目なら友達がね、そういう人が居る
と思えば人間というのは死なないんですよね。
自分が必要な存在なんだと思えば
死ねないんですよ。そこのところが皆、今
ぎすぎすして駄目になって来ているでしょう。
ですから、まず子供が子供がと言う前に、
子供がどうやって生きていくか不安だという
前に、じゃあ親はその子供に対して、あるいは
親であることに対して、自信を持っていますか
というね、それぞれがみんな自信を持って
生きるという事に対して援助が足りないん
ですよね。お互いにね。自分のとこだけ
良ければよいという、それだと皆が成り立って
ゆかないんですよね。
だから私は、私のままでいい、貴女は貴女の
ままでいいから、そのままでいいから一緒に
頑張って行きましょうと。それがお互いに、
ああ私はこれでいいんだなという自信をつけて
ゆくということになりますから。ああ有りの
ままでいいんだなという。
だから、私の言ってる、消えてゆく姿で
世界平和の祈りというのは、その自分なりの
素のまま裸のまま、無一物のまんまでいいから、
後は全部神様が下さるから、そこで人間の
素直な裸の自分を出していく事に恐れないで、
必ず愛情は後にあるんだから恐れないで
という事を言う訳ですよね。
そういう限定されない神様の愛というものを
皆知っていれば、自殺なんてしないんですよ。
人間の生命が続いていくということを知れば、
本当に死ぬ人なんて一人もいなくなるんですよ。
ですけど、一足跳びに宗教というよりは、
まず現実的に親も子供もそれぞれ現場の中で
ちゃんと生きているか、今どうなっているか、
歪んじゃいないか、その辺の所に目配りして
気配りする人が増えてゆけば、隣の子供が
ああいう風に言っていたが、あれはどうなった
だろうという、その想いをあげてゆけばね、
行動しなくても想うだけでも、その光が届いて
行く訳ですよ。そういうまず、心を豊かにする、
気持ちをやわらかくする、そこから始まって
いかないと、これは救いようがないですよね。
だから、自殺するのはどうしてだろう
というのは、それは寂しくって悲しくって
辛くって仕様がないから、そこでどうしょうも
なくて、自殺しかないんですよね。そこの
孤独地獄から救っていかなきゃいけないん
ですよ、自分も人も。
それには自分が心豊かに生きるというね、
自分だけがいいというんではなしに、自分が
心豊かに生きるということになれば、まわりも
豊かになってゆく。回り道みたいだけれども、
そこから始まってゆかないと、人間が永生で
永遠の生命を持っていて、明るい朗らかな
神様の生命そのものなんだという所までは、
なかなか行かない訳ですよね。
ですから、あなたのまわりで、そういう風な
気になる子供とか親とかいたら、ほんの
一瞬でいいから想いを放って上げてね、
ああ、あの人も辛いだろうなあと、それだけで
いいんですよ。それがくい止める事に
なるんですよ。生命を救うことになって
いくんです。
ということをお教え下さい。
(答)どこへ行くかということですか。
自殺するって、本当に色んな原因があって、
誰も自殺したくってする人はないんだけれども、
ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。
全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の
場合は、自殺しても苦しい世界に行かないん
ですよ。自分が全部引き受けて死にますのでね。
(問)子供なんかどうなんですか。自殺
しますが、あれなんかどう解釈したら
いいのか、又、残された遺族の方については。
(答)あれは本当にね、菩薩行も
あるけれども、あの多くは、何か遊ばれてね、
色んなものにとり憑かれて死んじゃう
という事あるんですよ。つまり、それこそ
幽界の低級霊なんかに憑依されてね、
あるんですね。
それはその人が、神様を信じないから
良くないとかそんな事私は言うつもりは全く
ないけれど、結局何故そうなるかというと、
親が子供を本当の意味で愛しているか愛して
いないか、つまり、愛情のすれ違いが
あるのかないのか、そういうところなんですよ。
気持ちが通い合っているのかいないのかね。
相手を理解しているのかいないのかという、
そこがすれ違っちゃうと、人間というのは
寂しくなるんですよ。どんな小さな事柄でもね。
おそらく小学校卒業する位までの子供で、
自殺を考えなかった子供というと、今ほとんど
いない、100人の中99人まで自殺を考えた
という子供が、沢山いるんじゃないかしらね。
それは異常なことだというんじゃなくて、
人間というのは生きてゆく中で、死んで
しまいたいという事が何度も何度もあって
そこを越えて生きて行く訳ですよね。
ところがその子供達の場合は、子供でなくて
いいけれども、自殺してしまう人というのは、
そこのところが自分の心にも歯止めが
効かないし、誰も止めてくれないという
絶望感があって、そこで死んじゃう
訳なんですよ。
それはその人の因縁とか何とか、宗教的
にみれば前生がどうのこうのとあることは
あるけれども、だけれども、そんなんで
片付けられたんじゃあまりにも寂しいわけ。
それよりは、本当に親が親の役目というか、
親が精一杯子供を向いて、色んな面から子供の
人生を考えて、腹を立てずに見守って、子供は
子供で親にちゃんと伝えてくるのかどうか、
その辺の基本的なところでね、今、親は親に
なってない、子供は子供になっていない、
お互いに影響して非常に悲劇になって
来ていますよね。その辺のところだろう
と思うんですよ。
だから、想いを放つというか、親が子供に
対して、自分はこれだけお前を見守って
いるんだよという、本当に心配しているんだよ
という、その心が届いていれば子供は
死なない訳ですよ。本当に自分を見守って
くれている人がこの世の中に一人でもいると、
親が駄目なら友達がね、そういう人が居る
と思えば人間というのは死なないんですよね。
自分が必要な存在なんだと思えば
死ねないんですよ。そこのところが皆、今
ぎすぎすして駄目になって来ているでしょう。
ですから、まず子供が子供がと言う前に、
子供がどうやって生きていくか不安だという
前に、じゃあ親はその子供に対して、あるいは
親であることに対して、自信を持っていますか
というね、それぞれがみんな自信を持って
生きるという事に対して援助が足りないん
ですよね。お互いにね。自分のとこだけ
良ければよいという、それだと皆が成り立って
ゆかないんですよね。
だから私は、私のままでいい、貴女は貴女の
ままでいいから、そのままでいいから一緒に
頑張って行きましょうと。それがお互いに、
ああ私はこれでいいんだなという自信をつけて
ゆくということになりますから。ああ有りの
ままでいいんだなという。
だから、私の言ってる、消えてゆく姿で
世界平和の祈りというのは、その自分なりの
素のまま裸のまま、無一物のまんまでいいから、
後は全部神様が下さるから、そこで人間の
素直な裸の自分を出していく事に恐れないで、
必ず愛情は後にあるんだから恐れないで
という事を言う訳ですよね。
そういう限定されない神様の愛というものを
皆知っていれば、自殺なんてしないんですよ。
人間の生命が続いていくということを知れば、
本当に死ぬ人なんて一人もいなくなるんですよ。
ですけど、一足跳びに宗教というよりは、
まず現実的に親も子供もそれぞれ現場の中で
ちゃんと生きているか、今どうなっているか、
歪んじゃいないか、その辺の所に目配りして
気配りする人が増えてゆけば、隣の子供が
ああいう風に言っていたが、あれはどうなった
だろうという、その想いをあげてゆけばね、
行動しなくても想うだけでも、その光が届いて
行く訳ですよ。そういうまず、心を豊かにする、
気持ちをやわらかくする、そこから始まって
いかないと、これは救いようがないですよね。
だから、自殺するのはどうしてだろう
というのは、それは寂しくって悲しくって
辛くって仕様がないから、そこでどうしょうも
なくて、自殺しかないんですよね。そこの
孤独地獄から救っていかなきゃいけないん
ですよ、自分も人も。
それには自分が心豊かに生きるというね、
自分だけがいいというんではなしに、自分が
心豊かに生きるということになれば、まわりも
豊かになってゆく。回り道みたいだけれども、
そこから始まってゆかないと、人間が永生で
永遠の生命を持っていて、明るい朗らかな
神様の生命そのものなんだという所までは、
なかなか行かない訳ですよね。
ですから、あなたのまわりで、そういう風な
気になる子供とか親とかいたら、ほんの
一瞬でいいから想いを放って上げてね、
ああ、あの人も辛いだろうなあと、それだけで
いいんですよ。それがくい止める事に
なるんですよ。生命を救うことになって
いくんです。