ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

大統領職のあとさき・・・ニコラ・サルコジの場合。

2012-01-28 22:16:05 | 政治
♪♪一人歩きを始める 今日は君の卒業式
  僕の扉を開けて すこしだけ泪をちらして

と始まる、さだまさしの『つゆのあとさき』。どうして梅雨の時期に卒業式、と思ってしまうのですが、

♪♪めぐり逢う時は 花びらの中
  別れ行く時も 花びらの中

とありますから、卒業式は、やはり、春。ということは、梅雨は梅雨でも、菜種梅雨なのではないかと、感性の鈍ったおじさんは勝手に思ってしまうのですが、どうも、「卒業」は男女の別れを象徴しているという解釈もあり、涙の雨、心の梅雨なのでしょうか・・・

などと、さだまさしファンには言わずもがなのことをくだくだと書き連ねているのは、サルコジ大統領の今後についての記事を読んだからでありまして、もしかすると大統領選挙で敗れるのではないか、もしそうなった場合、ニコラ・サルコジはその先どのような人生を送るのか・・・「大統領職のあとさき」ということで、つい懐かしのフォーク・ソングが蘇ってしまったわけです。

あの強気で知られるニコラ・サルコジが、負けるかもしれないという仮定を受け入れ始めている。さあ、たいへんだ・・・24日の『ル・モンド』(電子版)です。

彼の心の中に、もはや疑う余地はなくなっている。「敗北した場合、政界から引退する、間違いなく。」 数日前から、大統領選で敗れた場合という仮定の話が出されると、このようにニコラ・サルコジは語っている。訪問客の前では情熱を誇示したり、自信のほどを語ったりしているが、敗北・引退という可能性も思い描いているようだ。

「いずれにせよ、崖っぷちにいる。人生で初めて、キャリアの終焉に直面している」とニコラ・サルコジは付け加えているが、キャリアの終点は数カ月後、あるいは5年後には必ずやってくる。

ニコラ・サルコジは、大統領の椅子に恋々としていないということを示そうとしている。彼を共和制君主に擬えているような人たちに対して、「自分は独裁者ではない」と好んで答えている。

もちろん、もし政界から去らねばならないとすれば、生活のリズムの変化や権力がもたらすアドレナリンの上昇を失うことを懸念してはいる。パスカル(Blaise Pascal:1623-1662)の言葉を引用して、「人間は死ぬということを忘れるように造られている」(l’homme est ainsi fait que tout est organisé pour qu’il oublie qu’il va mourir)と述べている(「人間は,死,悲惨,無知を癒すことができなかったので,自己を幸福にするために,それらを敢えて考えないように工夫した」、「人間は生まれながらの死刑囚である」といった言葉が『パンセ』に見られます)。

しかし、ニコラ・サルコジは変わった。別の人生の準備をすることになると自分を説得している。政治の世界では望むべきものをすべて得たことになる。市長、県議会議員、県議会議長、主要閣僚、そして大統領。そして、すべてを知ることになる。勝利がもたらす歓喜、敗北の傷、試練がもたらす知恵。心の穴を埋める情熱以上に何を期待できるだろうか。

2007年の大統領選で勝利する前に、ニコラ・サルコジはすでに、権力の消耗について考えを巡らせていた。2005年、大統領選の2年前、領土担当大臣となるブリース・オルトフー(Brice Hortefeux)を引き連れて、サルコジは内相のポストに再び就いた。ニコラ・サルコジとは子どもの頃からの友人であるブリース・オルトフーは、初めて閣内に入り、“Restignac”の役割を果たした(バルザックHonoré de Balzacの作品『ゴリオ爺さん』le Père Goriotの登場人物の名で、今日では、出世主義者arrivisteや野心家un jeune loup aux dents longuesといった意味で使われています)。サルコジはオルトフーに対して、「今の立場を楽しむがいい。最高の時かもしれない」といっていたが、彼らの夢、人生の野望を実現した時に、その最高の時はやってきた。

「ニコラ・サルコジは権力をもてあそぶという考えなど一切持っていなかった。代わりに、義務という言葉をしばしば口にした」とオルトフーは語っている。そのオルトフーにも、サルコジは、もし大統領選で負けたら政界を引退すると打ち明けている。他の側近たちとともに、オルトフーは、敗北した場合でも、UMPの領袖となってほしいと説得しているが、サルコジ大統領はそうは望んでいない。「UMPを率いてほしいって? それは自分には相応しくない。それくらいなら、カルメル山(カルメル修道会:le Carmel)の方を選ぶ。少なくともカルメル山では希望がある」と語っている。

大統領選挙(決選投票)の行われる5月に、サルコジ大統領は57歳になっているが、まだまだ何でもできる年齢だ。特に、昨年子どもが生まれたばかりのサルコジ大統領なら。(大統領をもう一期やった場合の)2017年には、62歳だ。今、彼は世界の首脳たちの政界引退後の歩みを観察している。国際会議で講演をする人が多いが、英語の場合が多く、彼の苦手な言語だ。一方、元ドイツ首相のゲルハルト・シュローダー(Gerhard Schröder)は、プーチン・ロシア首相と親しく、ロシアのエネルギー企業・ガスプロム(Gazprom)に職を得ている。

サルコジ大統領は、金銭欲を隠しはしない。昨年11月、G20のカンヌ・サミットで、金融界のモラルのなさを批判する前に、次のように語った。「私も将来、しっかり稼ぎたいと思っている。」

オルトフーによれば、マルタン・ブイグ(Martin Bouygues:建設・通信・テレビ局TF1・運輸Alstomなどの企業を傘下に置くコングロマリット、ブイグ・グループの会長)は、サルコジ大統領に幾度となく彼のグループに加わるよう勧めているようだ。サルコジ大統領は側近たちに対して、「自分は弁護士であり、自分の事務所を持っていた。やるべきことが多いほど情熱的になれるんだ。いずれにせよ、人生をすっかり変えようと思う。君たちも、もう私について聞くこともなくなるだろう」と語っている。

サルコジ大統領は、もっと快適で、疲れることの少ない人生を望んでいる。「旅行をし、火曜に始まり、木曜の夕方には終えるような仕事をこなす。そんな人生に懸念などない」と語っている。「彼は政界引退後、より快適な日々、それほど刺激的ではないが、より快適な人生を望んでいるようだ」とオルトフーは述べている。

行動派ではあるが、ニコラ・サルコジは、いつの日か自分の人生を生きる時間を取り戻すことを望んでいた。大統領に就任してすぐ、2007年9月14日に、父親の祖国、ハンガリー訪問から帰国した際、退任後の人生に思いを馳せるようになった。実際にはかけ足の滞在でしかなかったが、ブダペストに残り、二日ほど街をぶらぶらと歩くことができればと思うようになったのだ。二日あれば、馬に乗って森の中を散策し、温泉につかり、コンサートにも足を運ぶことができる。時間さえあれば。「ミッテラン元大統領は楽しみのために外遊をした。そのことを批判するつもりはないが、自分は仕事のために旅行をしている」と、サルコジ大統領は周囲に漏らしている。

元大統領たちと同じように、サルコジ大統領が気にかけていることは、歴史にどのようなカタチで残るかということだ。この点については、確信をもっている。「将来において愛される存在になるためには、止めるべきだ。」

・・・ということで、各種世論調査での劣勢を受け入れ、政界引退、そしてその後の人生設計に想いを馳せつつあるサルコジ大統領。しかし、本心なのでしょうか。それとも、乾坤一擲、反転攻勢へ出るための、言ってみれば嵐の前の静けさなのでしょうか。

1955年1月28日生まれですから、まさに今日、57歳の誕生日。Bon anniversaire ! まだまだ、若い。

しかし、権謀術数、陰謀渦巻く政界に長く身を置いてきただけに、静かな余生を送りたいと、思うようになったのでしょうか。人間は、誰でもいつかは死ぬ。どんな政治家でも、いつかは政界から引退する。そろそろ潮時かもしれない・・・本当にそう思っているのなら、さすがのomniprésentな大統領も、ついにエネルギーが切れてしまったのでしょうか。もしそうなら、政治家のエネルギーのもとは、国民からの支持、国民によって与えられる信任なのかもしれません。

あるいは、頂点を極めれば、あとは山を降りるしかないことに気づいてしまったのでしょうか。最良の時を十分に楽しんでしまったから、後悔はない、といったところなのでしょうか。

♪♪梅雨のあとさきのトパーズ色の風は
  遠ざかる 君のあとを かけぬける

ニコラ・サルコジの去った後には、どんな色の風が吹くのでしょうか・・・いずれにせよ、退任後の話題が出ること自体、フランス・メディアもサルコジ後に備え始めたということなのだと思います。