緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

旅の後で考えること

2012年09月25日 21時14分28秒 | 旅行
9月25日(火 ) 

 岩手県北部まで、津波を防いだ普代水門と太田名部防潮堤見学に出かけて、感じました事は、人はその地に何故に代々と住み着くのか?この質問に大きな答えを頂いた気分になりました。世界三大漁場とはネットで世界地図を紐解きますと、北西太平洋漁場(三陸沖、日本海、東シナ海、オホーツク海)、北東大西洋漁場(北海、ドッガーバンク、グレートフィッシャーバンク、アイリッシュ海)、北西大西洋漁場(ニューファンドランド島周辺海域、グランドバンク)とあります。日本近海は大半が世界三大漁場の一つになり、これも話が広がってしまいます。

 狭い三陸海岸に人々が住み着いたのは、目前の三陸沖の海が暖流と寒流のぶつかり合う海域で、豊富な海資源に恵まれています。現地に出向いて、初めて三陸海岸が魚の宝庫であると理解する事になります。今月は、大隅半島土の五千年前石剣をまじまじと観察した。人間の営みは代々と続くものだと感じ入っただけに、狩猟採集の縄文時代と言う言葉が、しっかりと心の中に定住してしまいました。

 それだけに、岩手県普代村大田名部漁港と背後の山間に列なる百五戸の集落、防潮堤が守る集落には一枚の農地もありません。見渡して、海の収穫が人々の暮らしを支えている事に気づきます。そして、どれほどの年月を、この海と山とで人々は生活して来たのでしょう!気の遠くなるような年月に思えます。人は暮らしを営める地には、少々の不便は乗り越えても住み着くものです。例え、様々な自然災害は発生してもです。その事を改めて認識しただけでも旅の価値があります。八月のカナダ旅行の延長線が今でも続いており、暮らしが成り立てば、北の地も南方人には生活の場になります。

 自然を知り尽くし、意志を堅く持てば、津波災害も防げるもの、公共事業とはそのようなもの。長い年月を対象とした事業こそ、何でしょう? 自然への畏敬の念を必要として、人の謙虚さを求めるものでしょうか。それでもどうしても、気になる事は福島第一原発事故が大事に至らないか?明快は答えをまだ見出していません。目の前の海が世界三大漁場とは言え複雑な心境です。

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