緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

真冬の師走祭りを思い浮かべて

2011年01月10日 18時14分57秒 | 民俗芸能
1月10日(成人の日) 

 久しぶりに静かな休日を迎えようと遠出は避けて、取りこぼした仕事を午前中に済ませますと、残りは自室の清掃位で終えるとさっぱりします。朝から暖炉で火を焚いて物思いに耽ろうとしますが、働き者の相方が一言で阻止。物思いをぼそぼそと続けますに、六〇歳代後半から七〇歳代に掛けて、何かしら体力の衰えを自覚する現象があります。長距離の車運転が億劫になったり、行動力にバネが欠けるなと思ったりする事です。しかし、この様な現実は一部認めるとしても、それが全てであると決め込みますと、例え人それなりに年齢が達しているとは言え、まあ認識を変えた方が良さそうだと思ったりします。

地方生活で車は欠かせない足の代用ですので、車運転が難儀だと自覚症状が出ますと、萎縮して外出機会も当然の如く減少傾向になります。しかし、そのハンディをモノともせずに出向きたいモノは日向国の民俗芸能あるいは神事です。季節によりそれなりの特徴がありますが、近くは、今月二一日朝八時に木城町比企神社を出発します師走祭りの一行です。神職を始めとして集落氏子代表が当番で参加する行程はこの数十年間は小型バスが使われていますが、各地での神事は昔のままで再現されます。その追い掛けの場面々々が目に浮かび心がさわぎ、牧歌的と申しますか、魅せられた者は幸いです。

最近の師走祭りは、バスを足とする故に、行程三日間で初日に目的地である美郷町南郷区神門神社に到着します。この師走祭りについて深く研究した訳でも有りませんが、追っかけを数回繰り返しますと、地元温泉を楽しむ時間も作るようになり、祭りは人々の憩いのひとときでもあります。現地対応はその人の感覚にあり、それなりの楽しみ方を覚えていきます。その様な楽しみ方、つまり、地元で営々と連なる祭りの伝統を、例え追っかけという取り巻きの行動であっても、次世代の若衆諸氏に伝えられないものかです。

残念ながら、日向国に繰り広げられる民俗芸能や神事の楽しさを無理に人様に押しつける訳にもいかず、カメラを使いブログアップで孤独な追っかけを楽しんでおります。民俗芸能復活には、それなりに識者がおりますと、大いに盛り上がる場面があります。その様な場面に出会いますと民俗芸能がもたらす意義を自ずと理解するようになります。また、地元でも観光客と言いますか県外見学者を意識するようになり、神事とは言え対応が幾分変化してした面もあります。比企神社一行が南郷氏子衆に迎えられて、燃えさかる櫓の火の粉が降り注ぐ中を、粛々と神門神社へ向かう様は写真になります。一昨年の光景が下記に表記してあります。
http://blog.goo.ne.jp/higasi_may/d/20090125

古来より未来にかけても、人は日々を如何に暮らすか、その事に専念してきたのだと思います。その証拠でもありませんが、仕事の中で遺書や遺言書の存在にあまり巡り会いません。かと言って裁判所や公証人役場で確認した訳でも有りません。もっとも最たる個人情報を確認する術がある訳でもありません。片や民俗芸能や古来から伝わる神事と片や遺書や遺言書の存在、舌足らずの感はありますが、果たして何らかの繋がりがあるのか?と思います。

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