緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

日田川開き観光祭

2012年05月26日 17時49分51秒 | 旅行
5月26日(土)  


記憶のはるかとおく
思い出の花が咲いている
夜空のはるかとおく
ここから始まる明日を想う
どこからでもまた始められるさ
この想いを もう一度語るなら
きっとそんな言葉がいい
ひとつの願いを宿すように
今宵また 希望の花が咲く(http://www.oidehita.com


日田市大原神社本殿

 昔の記憶を尋ねて、四月に旅しました日田市へ愚妻と義妹を伴って、第65回日田川開き観光祭へ出かける事にしました。日田市は父の仕事で昭和二一年から昭和二四年にかけて、丸三年間を暮らしました。半世紀以上昔の事です。居住地となった場所は三隈川旅館街のど真ん中、万屋旅館で現在はホテルになっています。日田市で最も眺めの良い場所です。


市役所と大原神社を結ぶ市道、かって旧陸軍戦車が放棄されて列んでいた

 敗戦後まもない頃で、大原神社へ通じる市道には旧陸軍戦車がずらりと放棄された状態で列んでいました。砂利道と周囲の農地より高かった道路が記憶に残っています。さて、大原神社へお参りして、市街地へ下りますと、午後一時より川開きのパレードが市役所を出発点にして、旅館街まで続きます。この観光祭は市民上げての祭りで、市内小中高と各学校のブラスバンドや鼓笛隊がパレードに参加して、なかなかにぎやかなものです。


懐かしの母校・日隈小学校のパレード


日隈小学校ブラス鼓隊

 総勢約一五〇〇人の日田市の子ども達が参加する音楽の大パレードでもあります。駅前通りでパレードに拍手を贈っていましたら、日隈小学校のブラス鼓隊が目の前を通り過ぎていきます。昭和二三年に入学しました母校であります。懐かしいやら、なんとやらで六三年前の子ども達の様子が浮かんできました。


日田市観光の中心三隈川


川べりに列ぶ屋形船

 自分の人生を見つめ直す場面、見つめ直してどうなるわけでもありませんが、天からのさずかりものかと思ったりします。三隈川の川開きは昭和二四年には既に開催されていました。鵜飼いや筏流し、川を使っての地域産業の振興、観光は日田市の古くからの産業と申して差し支え有りません。それだけにまちづくりには歴史が有ります。


三年間ながめた山の稜線

 こうして三隈川添いのホテルで日田温泉の湯に親しみ、三年間、目にした山の稜線を眺めていますと、幼い記憶が少し蘇ります。一週間もしますと、過去と現在が重なり合い、タイムスリップを感じなくなるかな!戦災に遭わなかった都市だけに旧市街地は昔の風情を残しているやに感じます。六三年間で三回は訪問したのでしょうか、三隈川の川面には時を忘れさせるものがあります。

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