緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

読書は生活を変える

2010年06月18日 18時27分30秒 | 季節
6月18日(金) 

 遠出は電車を使おう。都城市界隈で電車とはJR日豊本線を走る三~五両編成の特急電車か二両編成の通勤電車と二本立てが大半です。遠出の目的地は宮崎市か鹿児島市か、せいぜい果てが日向市延岡市を飛び越えて大分市くらいか。マイカー運転もビジネスでは一時間圏内かあるいは休日のノンビリとした行楽ならば数時間運転も差し支えないでしょう。背景には地方都市の足は大半がマイカーで、車台数も年々増加の傾向にあり、交通機関に変化が無い限りこの傾向は続くでしょう。それに比較して、自戒すべきは我が身もそろそろマイカー運転不適応症になりつつあります。


Garden flowers blooming in the rainy season

数は少ないけど、電車を使うようになりますと乗車時間に読書が出来るようになります。最近はネット情報に傾斜したせいもあり、新聞社やテレビ局の判断が必ずしも正鵠を得ているとは思えず、そんな事もあり新聞やテレビから遠ざかりますと意外にも読書に関心が集まるものです。ホンマカイナ?ホンマです。



前置きが長くなったようでもありますが、友人から送ってきた小説「九重の雲・闘将桐野利秋」東郷隆著を一日の内で手持ちぶさたになる時間帯に読みますと、これが中々面白いもので書面から百五十年前の幕末光景がふつふつと沸いて上がる如く目の前に現れます。文中で鹿児島弁をふんだんに使った著者の力量はさすがです。しかし、当時の薩摩弁は武士方と百姓方とでは言葉も幾分異なりますが、諸県地方と薩摩本藩とで武士方はほぼ同じと見ます。その武士方も城下士と郷士とあり世の中いつの世も複雑です。



幕末史は司馬遼太郎の坂本龍馬伝や街道を行く等で先入観がありますが、こうして中村半次郎改名後は桐野利秋を中心軸として薩摩藩の立場から眺めますと地元の私領都城藩まで浮かび上がりそうで改めて幕末の喧噪に想いが走ります。ただ今、第十二章中の第五章東奔西走を読んでいますの全体に五分の二ほどでしょうか。なかなか、送本してくれた友人の書籍に対する目利きは大したものと拍手します。



こういう友人の好意を素直に受け止めるには受領者も日々の生活の中で読書時間をひねり出さなければなりません。それは当然の事ながら生活の変化を自分で創造しなければならず、なるほど変化のきっかけを友人から頂くとは至福の極み、ひいてはその事が百寿者の道へ繋がるものとおおらかに考えます。百寿者とは高齢者を励ます希望の星です。



読書で満足しますと心も軽やかです。出向いた先は山間の棚田、低く垂れ込めた雨雲も恵みの雨、一年中で最も雨量を必要とする田植え時、豊かな水量が天から地へ注ぎ込んで来ます。日南市坂元棚田も今が田植えの盛り、小さな棚田に万遍なく苗を植えていく様子は今も昔も変わりません。過疎と叫ばれる中でも田植えが続く山間の棚田、この勤勉さが人々の基本にあることを改めて知らされます。



夕方のラッシュ時、昼間は静かな国道沿い、路面を走る車の音が雨でより高く響きます。六月も半ばを過ぎて週末の金曜日、ラム酒にも似たり黒糖酒、奄美の太陽が溶け込んだような焼酎、本日も酒の香りを楽しむ時間がやって来ました。

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